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よかったと思うしかない


2024年2月16日(木)朝の6:00になりました。

春風めぐり、大人になった世界は理不尽に曲がる。

どうも、高倉大希です。




「つぎに笛を鳴らすまで、階段をダッシュで往復しつづけろ」

この言葉を聞いてから40分後に、ようやく聞きたかった音が鳴りました。


中学時代の部活の顧問は、いわゆる「鬼」というやつでした。

連帯責任なんて、あたり前です。


誰かがミスをしようものなら、一瞬にして地獄のダッシュがはじまります。

いま考えてみれば、あの時代によくあそこまでできたなと思います。


例えばスポーツにおいてコーチが「提案させるが採用しない」「意見を言わせるが聞かない」ことを繰り返すと、選手は提案も意見も言わなくなる。やっても無駄だと学習するからだ。人が好奇心から動きたくなるのは変化する可能性があるからで、それがないとわかれば人は沈黙する。

為末大(2023)「熟達論」新潮社


あのころの経験があったおかげで、いまの自分がある。

苦しかった過去は、往々にしてこのような文脈で語られます。


成功者のエピソードなんかは、十中八九この形です。

「挫折」や「下積み」という名前がつくことで、美化されるというわけです。


きっと、嘘はついていません。

苦しかった過去は、あってよかったと思うしかないのです。


まあ、挫折を知らないからダメって言われても、どうすることもできないわけだからね。挫折なんて、しないならしなくていいですよね。というかできないですからね。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


ひとりで勝手に思っている分には、なんの問題もありません。

厄介なのは、ここから派生するあれこれです。


あまりにも美化しすぎて、捏造された過去に依存してしまったり。

自分の過去と比較して、ほかの人の苦しみを軽んじてしまったり。


おなじ経験が必要だろうと、我が子にも強要してしまったり。

挫折や下積みがないことを、コンプレックスに感じてしまったり。


本当に大事なのは成功者のメッセージを聞くことではないんじゃないかという気がしているんですね。じゃあ、なにが大事なのか。ぼくがもっと大事だなと思うのは「うまくいくかどうかまったくわからない。むしろたぶん失敗するという中でも、とりあえず無理やり足を踏み出してしまう意味不明な勇気というものをどうもつか」ということじゃないかと思うんです。

令和4年度 バンタン卒業式」成田悠輔さんの祝辞より


過去の自分と現在の自分が、一本の線の上に立っているまったく同じ人間だ。

このような前提があるからこそ、上記のようなあれこれが発生してしまいます。


朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。

孔子の教えをまとめたとされる「論語」に記された言葉です。


解剖学者の養老孟司さんは、この言葉をこう解釈されています。

自分が変わるということは、以前の自分が死んで生まれ変わることだ。






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