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トライなき者にエラーなし


2024年6月27日(木)朝の6:00になりました。

何回転んだっていいさ、擦りむいた傷をちゃんと見るんだ。

どうも、高倉大希です。




子「100点をとったよ」

親「すごいじゃない」


子「赤点をとっちゃった」

親「ちゃんと勉強しないからでしょ」


わたしたちはこのように、結果に一喜一憂しがちです。

今さら変わることのない結果を、穴が開くまで見つめます。


彼は、「興味」を「人とその人の行為の題材や結果とのあいだの距離」を消滅させる「有機的統一」として見ている。興味は、しばしば私たちの心の内側に内在化しているもののように思われるが、彼にとってそれはその人と対照との「あいだ」や、現在と、将来に引き起こされるであろう結果との「あいだ」にあるものとして理解されている。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


テストとは本来、お試しです。

これまでの取り組みの効果を、検証する機会です。


なんのために検証するのかというと、今後の方針を決めるためです。

結果を踏まえて、軌道を修正するわけです。


だから、結果そのものに一喜一憂しても仕方がありません。

なぜその結果になったのかという、分析こそが重要です。


自分自身の取り組みにどのような価値があるかを考え、自身の意思決定を振り返り、今後の自身の学びの軌跡、自身の評価軸はどうあるべきかを、他者の目線も頼りにしながら考えていくのである。

藤原さと(2020)『「探求」する学びをつくる』平凡社


これを試そう。

はじめからそう決めて臨んだ方が、振り返りの観点も明確になります。


よく言われる話ですが、思いどおりの結果にならなくてもそれはそれでOKです。

このやり方では駄目なんだ、というひとつの知見が得られたにすぎません。


なんとなくテストを受けて、なんとなく結果に一喜一憂する。

これでは、なんの検証にもなりません。


仮説を立て、実験して、検証するというプロセスを毎日実行できるということは、やろうと思えば一年で最大三六五回の実験ができるということである。こうした日々いろいろな売り方の工夫ができる企業と、数カ月に一回しか仮説検証ができない企業では、同じ商品を同じ価格で売っても、売り方のスキルやノウハウに歴然とした差が出るのは当たり前といえば当たり前である。

内田和成(2006)「仮説思考」東洋経済新報社


テストって、こういうことだったのか。

残念ながら、その意義に気がついたのは大人になってからのことでした。


すごい人たちはやはり、こぞって検証が上手です。

生活のすべてが検証であり、それらの振り返りからいくつもの学びを得ています。


ただやりゃあいい、というものではありません。

同じことをしたとしても、そこから得ているものがまったくもって違うのです。






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