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ふたりで話せば大体いい人


2024年8月11日(日)朝の6:00になりました。

いい人と歩けば祭り、わるい人と歩けば修行。

どうも、高倉大希です。




文面では、なんだか素気なかったのに。

ふたりで話せば、いい人です。


集団の中のその人は、なんだか苦手なタイプだなと思っていたはずなのに。

ふたりで話せば、いい人です。


もちろん、相性による違いはあります。

それでも、ふたりで話せば、大体がいい人です。


人間は、誰かとの関係の中で、その人のための分人を常に生み出している。お互いにです。相手の中には、あなたのための分人が生じる。一対のセットとして、言葉や感情のやりとりをしている。個性というのは、だから、唯一普遍の核のようなものじゃないんです。

平野啓一郎(2015)『空白を満たしなさい(下)』講談社


だからできるだけ人とは、会って話してみたいなと思います。

会って話さないと、自動的に憶測だけが膨らんでいってしまうからです。


他者にとっての自分も、同じように見えているのだろうなと思います。

会って話してみれば、きっと思っているよりもいい人です。


8/18〜20 は、関西で過ごします。

お時間のある方は、ぜひ乾杯いたしましょう。


けっきょく、自分の世界というのは「普段なにを見ているか」や「普段誰と会っているか」によって決まってくるものだと思います。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


決して、話せば誰とでもわかり合えると言いたいわけではありません。

むしろどれだけ話そうが、根本的にわかり合えることなどないと思っています。


わかり合うことと、いい人であることは、まったくの別ものです。

わかり合えなかったとしても、ふたりで話せば大体はいい人です。


話せば話すほど、お互いの違いが顕著になります。

そんな違いを認め合う心地よさから、いい人だと判断しているのかもしれません。


そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


逆に言うと、大人数が苦手な理由もここにあるような気がします。

ふたりで話せばあんなにいい人なのに、と勝手に嫌になってしまうのです。


大人数で集まると、どうしても集団としての正解を追い求めて動きます。

ふたりで話せばいい人が、違う仮面を被りはじめてしまうわけです。


ふたりで話せば、大体いい人。

車の運転席と助手席が、いまのところの最適解です。






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