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運に任せる


2024年3月17日(日)朝の6:00になりました。

運ってやつは、たえず変わる。

どうも、高倉大希です。




人との出会い、組織との出会い、本との出会い。

わたしたちの暮らしにとって、運は大切な要素です。


運がなければ出会わなかったであろう人たちが、本当にたくさんいます。

言ってしまえば、運のおかげで今の状況があるわけです。


要因が複雑すぎて、運と呼ぶしかない。

もしかすると、こう考えることもできるのかもしれません。


僕が言いたいのは、歴史も人間も複雑で、多面的だということです。そして、今この本を読んでくれているあなたの人生も、歴史の一部です。ということは、あなたの人生もまた単純には語れない多面的なものだということです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


「あの先生の授業がわかりづらいせいで、自分は勉強ができないんだ」

子どもたちと話していると、こんな言葉を耳にすることがあります。


先生によって授業が異なるので、わかりづらいこともあるのかもしれません。

わかりづらくはなくとも、相性がわるいということも十分に考えられます。


じゃあ、先生をチェンジしよう。

この選択ができればよいのかもしれませんが、なかなかそうもいきません。


相対性には絶えずわたしたちの足元をすくう要素がひとつある。わたしたちはものごとをなんでも比べたがるが、それだけでなく、比べやすいものだけを一生懸命に比べて、比べにくいものは無視する傾向がある。

ダン・アリエリー(2013)「予想どおりに不合理」早川書房


「あの子のここが嫌だから、変えてほしい」

子どもたちの喧嘩の仲裁に入ると、こんな言葉を耳にすることがあります。


集団で長く過ごしていれば、気に食わないこともあるのかもしれません。

気に食わないことはなくとも、相性がわるいということも十分に考えられます。


じゃあ、クラスメイトをチェンジしよう。

この選択ができればよいのかもしれませんが、なかなかそうもいきません。


無意識や無意味なんて、お互いにわかるはずがない。上澄みだけを見て意味を求めるから、「通じるはずだ」と思ってしまっているわけです。だから私は「人間はもっと謙虚になれ」といつも言います。自分の行動は、すべて自分でコントロールできていると思っている。そんなものは驕りです。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


そりゃあ、よい出会いがあればわるい出会いもあります。

両方ともが、おなじ運によって引き起こされます。


わたしたちは、都合のよい場面でだけ運の恩恵を享受します。

少しでも都合がわるいと、運を簡単に投げ捨てて相手を変えようとするのです。


享受した運が、わるいものだとわかった瞬間に匙を投げる。

それだと、この先のすべてが運任せになってしまいます。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。