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人はいつだって見当違いなものに拍手を送る
2024年7月5日(金)朝の6:00になりました。
他人がつくったリングの中で、きみが立派な成績を出したことに対する拍手だ。
どうも、高倉大希です。
「人っていうのはいつだって見当違いなものに拍手をするんだよ」
J.D.サリンジャーの小説、『ライ麦畑でつかまえて』の一節です。
みんな笑っているけれど、何がおもしろいのかがわからない。
思春期をこじらせていた当時の自分にとっては、とてもホッとする一文でした。
そうだよな、見当違いだよな。
つまらないものに拍手を送ったら、その人が勘違いしてしまうよな。
ムダな頑張りを褒めると、間違った方向に人は進みます。「これさえやっとけばいい」という発想になります。「評価」という仕組みは、それくらい慎重に扱うべきものです。
「この人で、笑ったことがない」
お笑い芸人さんの動画を開くと、大抵このようなコメントがみつかります。
そんなこと、わざわざ書かなくてもいいのにな。
そう思いながらも、ほんの少しだけ気持ちがわかる自分もいます。
そうだよな、見当違いだよな。
つまらないものに拍手を送ったら、その人が勘違いしてしまうよな。
いまいちばん気をつけなきゃいけないのは「無責任に褒めてくる大人からみんなを遠ざける」ということだと思っています。まだできていないのに、その感じで褒められると、勘違いした人間が生まれてしまう。
アメリカのオーディション番組で、日本人がときどき脚光を浴びています。
先日も、TT Brothers のステージが大きな盛り上がりを見せていました。
T、TT、T〜T〜、TT〜!
会場がとても楽しそうで、思わず画面の前で拍手をしました。
人っていうのはいつだって、見当違いなものに拍手をするんだよ。
きっと、こういうことだよな。
生きているということが素晴らしいかつまらないかということは、やっぱり、その人つまり自分がそう思っているってことなんだ。自分が思う以外に、他の誰も自分の代わりに思うことはできないんだから、これは確かにそういうことなんだ。
見当違いなものに、拍手なんて送るべきじゃない。
かつては、こう思っていました。
見当違いなものに、拍手を送るということはすばらしいことなのかもしれない。
最近は、ちょっとだけこう思うようになりました。
人っていうのはいつだって、見当違いなものに拍手をするんだよ。
きっと、こういうことだよな。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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