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偉い人なんていない


2024年5月19日(日)朝の6:00になりました。

エジソンは偉い人、そんなの常識。

どうも、高倉大希です。




タメ口を挟んだり、相手の言動をイジったり。

ちょっと生意気なくらいの方が、目上の人からは可愛がられます。


もちろん、相手へのリスペクトがあってこそです。

リスペクトの上に、生意気さを重ねます。


これが、昔からずっと不思議でなりませんでした。

どうして生意気な人が、好かれやすい傾向にあるのだろう。


どうして僕らは時に、喜ばれないプレゼントを贈ってしまうのでしょうか?プレゼントは嬉しいもの、良いものというイメージがあると思いますが、僕らの日常を考えると、貰って嬉しいプレゼントよりも、貰って困ってしまうプレゼントのほうがもしかしたら多いと言えるかもしれません。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


この疑問が解消されたのは、自分が先輩になってからのことでした。

先輩の声というものは、どうも無条件に受け入れられがちです。


当然、ありがたいとは思います。

聞く耳をもってくれないよりかは、よっぽどましなのかもしれません。


しかしどこかでは、つまらなさを感じている自分がいました。

対等な議論というものが、なかなか成立しないからです。


バフチンによる対話の定義がどういうものかというと、「いつでも相手の言葉に対して反論できる状況がある」ということです。バフチンの表現で言うと「最終的な言葉がない」。(中略)そのようにしてどこまでも続いていくのが対話の本質であって、別の言いかたをすると、ずっと発言の訂正が続いていく。それが他者がいるということであり、対話ということなんだとバフチンは主張しているわけです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


はじめから、変なフィルターがかかっています。

言わば、「違うんじゃない?」と言ってもらえないわけです。


もちろん、素直であることは大切な要素です。

ただ、だからといって何でも鵜呑みにすればよいというわけでもありません。


先輩たちも、こう思っていたのか。

自分が先輩になったことで、ようやく気づくことができました。


「社長」は代表取締「役」というが、ようは「役」なのだ。「ミッキーマウス」とおなじくらい、幻である。ミッキーマウスな、「ミッキーマウス」とおもってくれる人がいるから存在できるのだ。

しんめいP(2024)「自分とか、ないから。」サンクチュアリ出版


先輩は、あくまでもひとつの役割です。

先輩が、人として偉いわけではありません。


リーダーも、マネージャーも。

係長も、課長も、部長も、社長も。


あくまでも、ひとつの役割です。

人として偉いわけではありません。






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