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何からだって学べる
2023年12月26日(火)朝の6:00になりました。
変わっていくこと、それが学ぶということ、知るということです。
どうも、高倉大希です。
何が起こったか。
わたしたちは、できごとばかりに注目しがちです。
よいできごとは、よい。
わるいできごとは、わるい。
できごとそのものに、解釈すらも委ねてしまっています。
本当は、何からだって学べるはずなのにです。
コミュニケーションには、つねにおくり手とうけ手が存在する。情報には、かならずしもおくり手とうけ手があるとはかぎらない。さきに天体をも情報のおくり手であるといったが、正確にいえば、天体が情報をおくりだしているのではない。情報はその天体とともに存在するのである。その情報を情報としてうけとめ、それを解読するのは人間の側の問題である。
芸人さんのラジオを聴いていると、よくこんな話を耳にします。
「どれだけ嫌なことがあっても、ラジオで話せばいいやと思うようになった」
起こったできごとがわるいことだったとしても、ラジオのトークにすればいい。
ここまでくるともはや、わるいできごとをラッキーだと思うようになるそうです。
できごとそのものの、よしあしではありません。
実際に起こったできごとを、どう解釈するかです。
僕らが話をするのを聞いて、どうしてそんなおもしろい経験ばかりしているのだろうと、一般の人は思うかもしれない。けれど、それは違う。僕らだって、普通の人と同じように平凡な普通の毎日を生きている。その日常の中から、素材を見つけ出し、料理しているだけなのだ。
できごとに感情が引っ張られてしまう気持ちは、よくわかります。
よいことがあれば嬉しくなって、わるいことがあれば悲しくなります。
ただ、そんなできごとに振り回されていてはキリがありません。
できごとはつねに、自分の外で発生するものだからです。
外で起こるできごとを、自分でコントロールすることはできません。
コントロールできないものに委ねると、すべてが運任せになってしまいます。
美術評論家的な人がゴッホの絵について「ゴッホはこういうふうに見えていたんですね」なんて言うけどもね、そんなはずはないよ、あんなふうに見てたら危なくて道を歩けないよ。絵の具があんなにゾロゾロしてるような道なわけないじゃない。ゴッホがそういうふうに「描きたかった」だけの話で、そういうふうに「見えていた」わけじゃないんですよ。
何が起こったかではありません。
起こったことをどう解釈するかです。
それはすなわち、君たちはどう生きるかです。
できごとに委ねてはなりません。
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
本当ならば、何からだって学べるはずなのです。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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