![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135625019/rectangle_large_type_2_ea7dfa580c3c5a1d6c6800f2cc15b683.png?width=800)
どんな「当たり前」に囲まれて過ごすか
2024年3月31日(日)朝の6:00になりました。
いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。
どうも、高倉大希です。
わたしたちは、身のまわりの「当たり前」と共に暮らしています。
そんな「当たり前」とのギャップによって、悩んだり苦しんだりします。
海外に行けば「当たり前」が、まるで違うことに気がつきます。
歴史を遡れば「当たり前」が、まるで違うことに気がつきます。
それでもやはり、もっとも影響を与えるのは身のまわりの「当たり前」です。
どんな「当たり前」に囲まれて過ごすかで、暮らしは大きく変わるのです。
「収入が高くて困っている」とか「自分の異性が好きなんだけど、どうしよう」と悩む人がいてもよさそうなのに、見当たらないのはどうしてでしょうか?それは僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。
いわゆる進学校では、大学受験をすることが「当たり前」とされています。
まわりが必死に勉強しているものだから、自分も当然のように勉強します。
いわゆる会社では、スーツを着て仕事をすることが「当たり前」とされています。
まわりが着ているものだから、自分も当然のようにスーツを着ます。
良いか悪いかは、また別の話です。
大切なのは、偏った「当たり前」に影響されていると自覚しておくことです。
諸子百家から歌比丘尼、坊さんから先生、新聞人からラジオのプロデューサーまでをつらねて、そのすべてに共通する点は、かれらがみんなシンボル操作の熟練者であるという点である。
変な「当たり前」に苦しんだとき、ただ文句を言っても仕方がありません。
わたしたちが進む道は、次のふたつのいずれかです。
1.その「当たり前」の中でうまくやっていく。
2.その「当たり前」を変えるために働きかける。
もしかしたら、他の「当たり前」に移動するという手もあるのかもしれません。
しかし多くの場合においては、移動したとしても結局は同じ壁にぶつかります。
世の中のほうは、私のためにあるわけじゃありません。私たちが生まれてくる以前から世の中は先にあります。私の好き嫌いとは関係なく、すでに世の中は存在している。だったら、とりあえず受け入れるしかありません。それが大前提です。
変えた方がよさそうに見える「当たり前」なんて、この世にいくらでもあります。
しかし、すべての「当たり前」を変えられるほどの時間は残されていません。
だからこそ、選択が必要になります。
どの「当たり前」を変えることに、注力するのかという選択です。
それ以外はいかに、その「当たり前」の中でうまくやっていくかです。
近くに見えるものにいちいち反応いていたら、簡単に日が沈みます。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
サポートしたあなたには幸せが訪れます。