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しゃくとり虫のように進む


2023年10月24日(火)朝の6:00になりました。

しゃくとり虫、そろそろ登れ、富士の山。

どうも、高倉大希です。




遠くに旗を掲げて、そこまでの距離を縮める。

ものごとは、こうして前へと進みます。


あまりに遠くに掲げすぎると、見えなくなってしまいます。

だからといって近くに掲げすぎると、一向に前へと進みません。


多少旗が遠かったとしても、その距離を縮められるようになる。

これが、成長というものです。


なにか新しいことが始まろうというときに、できない理由ばかりを探して並べてしまう人がいます。しかし「ないものをつくる」ということに必要なのは「できない理由」よりも「できる方法」なのです。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎


わたしたちは、旗までの距離の縮め方を、思い込みによって制限してしまいます。

本当は簡単に縮められる距離なのに、そのための手段を選ぼうとすらしません。


なんなら、はじめからそんな手段はないものだと思っています。

やればできる手段でも、できないものだと信じきっているのです。


できないと思っていれば、当然選択肢にすらあがりません。

できない手段は、思いつきもしないのです。


子どもたちを今の社会に合わせられるようにするのではなくて、むしろ子どもたちが現状を変えていけるように、現状から解放されるような教育を行うべきだよ。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


なんだかものごとの前進は、しゃくとり虫みたいだなと思います。

身体を精一杯ぐんと伸ばして、その分だけ前へと進みます。


いちどに進むことができる距離は、自分の身体の長さ分です。

それ以上の距離を、進むことはできません。


なんどもなんども身体を伸び縮みさせながら、旗に向かって進みます。

そして旗についたころには、すこしだけ身体も大きくなっているのです。


私たち自身が作り出しているはずの社会を、私たちはまだ十分にコントロールできないでいます。科学がいくら進歩し自然界をコントロールすることに成功しても、社会をコントロールするための科学を私たちはまだ手にしていません。

山岸俊男(2000)「社会的ジレンマ」PHP研究所


そうしているうちに旗を遠くに掲げることが、だんだんと楽しくなっていきます。

夢のような距離だったとしても、到達できるような気がしてくるわけです。


決して、いちどに辿り着こうとしてはなりません。

問題を解決するのは、順番にひとつずつです。


いちどに進めるのは、自分の身体の長さ分です。

しゃくとり虫のように、着実に前へと進むのです。






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