毒親育ちから見た山上容疑者の下劣ぶり

これは既に古されているやり取りかも知れませんが、直近の記事を書く中で頭の中を巡るようになってきたので整理させてください。

まず一連の始まりと言える毒親の母の話で、母が「宗教にはまったわけではない」とも書きました。正直自分から言わせれば「いい大学からいい就職先で将来安泰」論もまた結構なカルトだと思うのですが、ここで言う宗教は統一教会や創価学会のような所謂「新興宗教」だけでなく、キリスト教や仏教のような「一般的に認められている宗教」も含みます。この辺についても持論はあるのでそれは後日としますが、この時「宗教に~」と書いた中には間違いなく「宗教に生活を傾けるほどの寄付を行なった」ことを意図しています。

そして宗教にそんな寄付を続けた話は、それこそ旧時代からあったものです。安倍元首相を暗殺した山上容疑者が別段新しい事例ではないのです。そして自分の記事を読んでいる方の中に「この人は毒親育ちだから同じ毒親育ちとして山上容疑者に同情する気持ちがあるのでは?」と感じた人がひょっとしたらいるかはわかりませんが。

こちらは殺人はおろか万引き一つせずに善良に生きているのです。あんな殺人者と一緒にしようと少しでも思ったなら、その下劣を恥じて貰いたい。

あれがせめて自身や家族が食べるための窃盗や、進んでも強盗ならもう少し理解しなくもありません。安倍氏を殺害したところで奴や家族の生活が直接的に向上するわけではないのです。勿論裏で手を引く存在がいてその後の保証をするのであれば別ですが。殺人は他人を害することはできても、自身には実利をもたらさない犯罪です。それに手を出すということは山上容疑者自身がそもそも殺人を犯すような人間性だったということです。最終的なターゲットが安倍氏になったかどうかだけで、いずれ殺人を行う下劣であったのは変えられない事実でしょう。

自分以上に苦しい毒親の元での暮らしをしていた方がいるのは想像に難くありません。ですがその全員が全員犯罪に手を染めているわけでもありません。親が毒親だからと言って犯罪の情状酌量とすべきではないのです。情状酌量としていいのは被害者がその毒親自身であった時のみです。もしそれでも「辛い人生を送ってきたんだから少しくらい汲んであげても」と抜かすのであれば、なら同様に辛い人生を送ってきた自分から「己が引剥をしようと恨むまいな」(羅生門)の一言をお送りします。それで黙って奪われるまま、自分に「辛い人生を送ってきたのだから仕方ない」と言って警察に通報すらせずにいられる者のみが奴の情状酌量を訴えることを許されるのです。その程度の覚悟も無く奴の情状酌量を訴える痴れ者が多いことに呆れ果てています。

毒親育ちの立場として言うなら、奴に対しては同情どころかこれまで善良に生きてきた自分たちを虚仮にされた気分です。この心情が奴への罪状に乗せて貰えないのが残念で仕方ありません。

勿論「貧すれば窮する」という言葉もあるように、苦しい生活の中で人間性が瓦解していくことは傾向として存在します。ですがそれを正当な理由にする前に、そんな苦しい中でも他人に危害を加えることなく生きている我々に思いを馳せて貰いたいものです。よく「犯罪者にも人権がある」などと抜かす輩が現れますが、その大事な大事な犯罪者様は「他人の人権を踏みにじった人間」に他ならないのを考えてから言って欲しいものです。諺で「蛙の子は蛙」とありますが、山上容疑者は「カルト信者の子が殺人者」という現実から、母親の人間性がしっかり遺伝・発現していると言わざるを得ません。

今回は自分の思考の整理のため、山上容疑者が何故下劣と評すべきかに集中させていただきました。統一教会を筆頭とするカルト含めた宗教に対する処遇の在り方は別の機会にと考えています。また、事件の背後関係とか「安倍氏がカルト被害者救済の法整備をした」とかの話も自分の手元には十二分な情報が無いので言及は避けることにします。確実に出ている情報から確実に言えることだけを言う、それだけです。その「それだけ」から軸足を動かさないままに「下劣」とまで評することができるというのが殺人や強姦といった犯罪行為の凄さでもあるのです。

自分も今書けるものを書くに限られている身、不勉強があるかも知れません。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。


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