見出し画像

自分の病気も父の余命も、少しずつ受け入れていくものなのかもしれない

弱音を吐こうか、吐くまいか。
愚痴を書こうか、書くまいか。
いつだって、弱音を吐いてるけど、吐いてないこともある。
いつだって、愚痴を書いてるけど、書いてないこともある。

私は、決して強くはない、かなり弱い。
しかし、決して弱いだけでもない、少しは強い。

今の自分は、上手く言えないが、ギリギリ踏ん張って生きてる感じである。

私は、膠原病(皮膚筋炎+合併症として間質性肺炎)と子宮内膜増殖症の闘病中。
膠原病は自己免疫疾患なので、薬を減らしてる今、あちこちに症状が出てしまっている。
息切れ、咳・痰、筋力低下、皮膚の線維化、胃炎(逆流性食道炎?)、などなど。
(私の抗体を持つ皮膚筋炎の)合併症からくる間質性肺炎は、薬が効きやすく再発しやすいので、常に再発を疑いながら暮らしている。(現状、わずかに再発の可能性あり)
子宮内膜増殖症は、常にホルモン剤で調整をしないと、いつがん化するかわからない状態。

不安は、常にある。

父は、新年早々、肺に水が溜まり、心不全となり、緊急入院。
入院中に誤嚥性肺炎を発症、実は数日の命と言われた。(初めて言う)
様々な後遺症が残る可能性のある人工呼吸器をするしか、方法はないと言われる。
様々な後遺症、人工呼吸器を取った時に、①認知症になっているかもしれない(家族を認識できなくなっているかもしれない)、②口がきけなくなっているかもしれない、③気管切開をしなければいけないかもしれない(声が出せなくなる)、④週3回の透析が必要になる可能性が高い、⑤最悪の場合、人工呼吸器を付けている最中にも命を落とすかもしれない、などの可能性を告げられた。

私は、父を信じて、人工呼吸器をお願いした。
しかし、もう二度と父が家族を認識できなくなる、家族と話せなくなる、更には天国へ旅立つ可能性を踏まえて、人工呼吸器を付けるお願いをした日、父と最後になるかもしれないお別れの挨拶をしてきた。
あれから、生きた心地のしない1週間を過ごしたが、父は幸い、人工呼吸器が取れて、認知症にもならず、口もろれつが回らないが話すことができている。
心配なのは、体力がどこまで持つかということ、父の体力は相当、弱っているからだ。
そして、再び、誤嚥性肺炎をやらないこと、これをやったらまた人工呼吸器を付けることになってしまう。

そんな不安の中で過ごしている。

父の入院から延命治療の過程を見守りながら、私は父の命だけではなく、自分の命についても、随分と考えさせられた。
私は、老若男女の違い、健康か病気持ちかの違い、それらが命の長さに比例すると、なんとなく思っていたのだろう。
だが、今はそれらの考えは打ち消された。

明日は、この世の誰にとってもわからないということである。
必要以上に不安になる必要もなければ、まったく不安をかき消すこともできないのだと思われる。
もう、その状態を受け入れていくしかない、それも、少しずつ、少しずつでいいのだと、ようやく感じられるようになってきた気がする。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?