見出し画像

AIが生み出したARとは何か?およびAR自由主義の提言。(死霊美術論#24)

 AR、拡張現実というのは圧倒的にTechnologyによる恩恵が大きい。

 つまり、AIを前提にした社会を造るときに、今までの社会では考えられないことが起きて、AIによるアート優位社会、人間性が遺伝子的に再定義された美術社会、それを超AR時代と私は提唱している。

 紋切り型のwiki的説明でもピンとこないと思うので、ここで秀一な具体例に走りたい。

 たとえば。

 AIロボットの白衣を着たアンドロイドお姉さんと人間の私が喋るとする。

 私は談笑が楽しく進みながらも、あっトイレ行ってきますと途中で話しを中断するのだ。

 すると、AIロボットはいきなり

「大便ですか?!小便ですか?!」

と背中越しから聞いてしまう。

 ギョッとしたボクは止まってしまい、汚くて恐縮だが、大便を漏らしてしまい、ロボットお姉さんはニッコリするのだ。

 これがAIが公共化された世界の簡単なラフであり、今までの公共性からマインドシフトする意味を込めて汚い例にした(笑)。

 つまり、仮にこのようなエグい発言が禁止コマンドになっていても、先程のAIロボットは楽しく談笑することを目的にしているので、黙っていても不気味にニコニコとトイレの先を眺めたり、かりに配慮ができていても、

「おトイレに行くのね♪それはそれは大変ですわ!いってらっしゃ~い」

といちいちトイレぐらいで騒ぎすぎたという話しになるし、

 仮にグラデーション調整してもAIロボットにはAIロボットの個性があるため、従来の公共性に当てはまらない独特のエモさを醸し出すと思う。

 私が冷笑系配信者加藤純一ことうんこちゃんの下品なギャグが嫌いなのも、裏では糞真面目という従来的な公共性を意識したむしろ寒いのはオマエだということなのだ。

 冷笑系や現実主義はこれから無くなり、あってもTechnologyと美意識を前提にしたChaosなForestに迷い込んだかのような複雑なコンテキストを複雑なまま楽しまないとならない。

 簡単に言っちゃうと、AI絵師よろしく美術の領域にAIが導入されていくと、これは0か1で正しくないか正しいか、判断するのは複雑系すぎて困難なため、パラドクスで複雑な表現だが、理文で区分できないナンセンスなアート的な解釈のほうがこれからのビジネスやライフスタイルに成り代わるという次のパラダイムのことである。

 今まではアート的な解釈は特別視されていた。

 美術館でじっくりと感じたり、プロの漫画家を称えたりだ。

 しかし、SNSの発達やAIによるアートの数式化によって、AIはもはや身近なものになり、AIをいち人間と同等ぐらいに重要した社会にセカイはスライドしているのだ。
 
 AIが自然化される社会では、AIも人間も差があるということは共通点もあるんだと可視化されながらも、複雑なコンテキストを帯びていく。

 虚か実か、をハッキリ断定せずに、複雑なコンテキストを複雑なまま甘受し楽しむ拡張現実時代、現実が拡張されていく極めて謎を謎のまま楽しむアート過多時代を改めて拡張現実と呼んでいる

 この時代には極めて精密すぎる数学や批評の価値が反動で上がっているのも言うまでもない。

 YouTube上における医学部受験や偏差値至上主義の流行りの背景には、IQの高さやTechnologyが使いこなせるか?使いこなせないのか?という極めて新たな教養が生まれている。単なるプログラマーではダメで、顔出ししたりして主客が未分すぎるAR的な直感知に投資していくアーティスティックな時代になっているのだ

 今までのアーティストは西洋美術よろしく東洋サブカルチャーよろしく、美術館や漫画家、どちらにしても、極端に厳しい修行を重ねた実名のプロとダラダラした匿名なアマたちという近代的な解像度の低い01のアーティスト観だった。

 しかし、AIが人間より価値もある超AR時代には、プロとアマの境はなく、これまでは近代的なマスへアートを見せる一部の特別な職業だったのが、自分なりにどう見せるか?そして24時間だらだらとOKという個性経済学、個性的な美術をいいところもわるいところも含めて楽しむ人生毎日がアーティスト時代に突入している。

 これは別段良くも悪くもない。

 単なる現実論ならぬ、

 拡張現実論だ。

 自分をFランだと手ぬるくアーティストをやって長期的に自ら自滅するパターンもあれば、未来投資でイカれすぎだが、カップラーメンを日夜家中に投げつけて汚しまくる確信犯的なアーティスト、まあ昔の漫画家的な誤読でやりすぎだが、そんなアーティストだっている。

 人は必ずなりたいものになってしまう。

 私が尊敬する共産党活動家・予備校講師・表三郎の言葉だ。

 しかし、アーティスティックな彼はこう共産主義的に、いや落合陽一によって更新されたマルクス、こう遺伝子学的に結論づける。

 なりたいな というそんな生易しいもんじゃない。

 なりたいと意識して思わなくても、人は無意識になりたいものにさせられて苦しみながらも喜ぶというのだ

 バイオハザード・アンブレラ・クロニカルズに出てくるラスボスのロシアの軍人、苦しみながらもゾンビ化したマゾヒズムなサディストな大佐を思い出す。

 解決策として彼は、日々に渡り問いを立てろと彼は問いの魔力で提唱するが、今振り返るとAR、拡張現実のありかた、AIに支配された人間たち、そもそもマルクスが唯物論で提唱した下部構造が上部構造を規定する、ここの下部構造にAIやTechnologyが代替されて、AI共産主義が跋扈したにすぎない。

 僕らが次に考えなければいけないこと。

 ?

 ?

 ?

 読者にも問いを真剣に立てているよ。

 これはやんわりと0か1から東洋的ゆるさを肯定し西洋の資本主義を否定しマルクスを肯定し宇野常寛をバックに置いたAI共産主義の名著・落合陽一『デジタルネイチャー』は予見性が当たりすぎたがゆえに、全否定しなければならない。

 次僕たちが問いを立てるべきは、

 AI資本主義の作り方

 だろう。

 実践および新自由主義の読み替えが重要だ。

〈追記〉

私がYouTuberや更には不謹慎系YouTuberで言いたかったことは、アメリカ人の思想、更にはインターネット空間まで飛び越えた拡張現実時代の次の生き方を不謹慎系YouTuberで提示した。

 YouTuberでアメリカ人を不謹慎系YouTuberでAR人を。

 次に行うべきは、アメリカ的な世界観の再設定。

 いきすぎたAI共産主義に対抗、補完する次の未来の作り方、

 改めて2045年にシンギュラリティを起こすための、

 AIに負けないAR人たちをたくさん造るための、

AR新自由主義の造り方に違いない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?