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チッチのスピリチュアリズム奮闘記


1.自己紹介


はじめまして。チッチと申します。


小さなころから妖怪や霊等の不思議な物には興味がありましたが、よくありがちな怖い物見たさだけで特に深く学ぶなどとは思ってもなく、ただ不思議な物に興味のあるごく普通の幼少期を過ごしました。
その後もスピリチュアリズムなんて言葉も知らず、ただ怖い話や不思議な物に興味はあるけど深く学ぼうなどとは思ってもいませんでした。

スピリチュアルな事に興味を持ったきっかけとなった出来事。
私が高校を卒業する頃に友人にたまたま紹介してもらった占い師さんの所に行った事が大きなきっかけになったのだと思います。

その占い師さんに全てを言い当てられ、それからかなりの年月が経ちますが、未だにその通りになってしまっています。(とても悔しいですが…)


「人生は変えられる。」


その言葉は本当なんだと思います。

生活していく中で自らの人生に疑問を抱くようになり、スピリチュアリズムを勉強し、読んだ書籍は350冊を超えました。日々スピリチュアリズムを学び、実生活と照らし合わせながら過ごしています。心霊現象や宗教等の事も少し勉強しましたが、私にとっては霊現象や宗教より生活に根差したスピリチュアリズム(霊的心理)の探求を主としております。

人生悩んだり苦しい毎日ですが、私の学んだ事が少しでも皆様のお役に立てたら幸いです。


2.生い立ち

とても小さい体で産まれ、未熟児網膜症と診断され、小さいころは大学病院に通っていたそうです。両親は大変心配したと話していました。生活も苦しかったそうで大変だったと思います。


母の里帰り出産で東北地方で産まれたそうですが、その後は関東近辺にて生活をしています。

幼少期は人見知りと好奇心旺盛な所、好きなことに真っすぐな所があったと思います。
少し精神年齢が同年代より幼かったのか、小学校低学年迄は学校の砂場で休み時間夢中で遊んで授業始まっても遊んでいたので、クラスの子が呼びに来てくれたりしてました。呼びに来ても泥だらけで教室に行けないので、保健室で下着から何から着替えさせられた思い出があります。
夢中になると周りが見えなくなる所は昔から変わらないなとおもいます。小学校高学年になる頃に転向したのをきっかけに、徐々に落ち着いてきました。

中学はサッカー部。幼稚園の頃からサッカーを習っていたのでそのまま続けていました。ポジションはFW。それしか出来ません。むしろそれ以外やりたくなかった!
ここで最初の挫折らしい挫折を経験しました。体が小さく食も細かったので周りが成長して体格差がどんどん大きくなり、体力的にもついていけなくなり、ついにレギュラー落ち。10年近くやっていて初めての経験でそれからやる気を失い、中学卒業の頃にはサッカーが嫌いになってました。それから殆どボールを触る事もありません。未だにね!


その時に自分の傲慢さや変なプライドに気付き改善出来ていたら人生変わっていたかもしれません。たらればはありませんが、振り返ると自分のしてきた事が情けない…
それから気付けるタイミングは多々あったものの、気付く迄には大変な時間を要しました。

高校からの十年程はバンド活動していまた。

ただの生意気なク〇ガキに育ってしまっていました。何もありません。

周りから見たらただの害悪だった事でしょう。
ご迷惑おかけした方本当にごめんなさい。

社会人になり人生のジェットコースターが勢いを増し始め今に至ります。
その頃時を同じくして、スピリチュアリズムに出会い勉強を続けています。
社会に出てからの話等は追ってお伝えして行きたいと思います。

3.スピリチュアリズムとの出会い

ク〇ガキ真っ盛りな時期に知り合ったY君は未だに良き友人です。
そのY君の紹介でちょっと変わった凄い人が居て占いしてくれるとの事で、占いに連れて行ってくれました。その頃まだまだ勢い衰えず、せっかく就職した大手企業をバンドやりたいからという理由で生活など考えず退職届を出したばかりの頃でした。


占い師さんに初めてお会いした印象は、不思議。
良く解らず色々と見てもらいましたが、仕事は続けた方が良かったみたいです。


今思えば確かに安定していたし、今のご時世に凄くマッチしていてこれからも伸びていく企業である事は間違いない。
今は今で苦しくも楽しい人生になっているけど、その選択が人生で一番大きな転換点だったんだと思います。
それと、「人間なめている。」「人の話を聞いてるようで聞いてない。」「これから大変だよ。」等々色々と言われてコテンパンにされて帰って来た記憶があります。
勢いと負けず嫌いな所だけは一級品だった私は悔しくてその後数年に渡り色々と厳しくもやさしさのあるその方にお世話になりました。

今は占いに行くのは卒業しましたが、それもその方のご指導あっての事。


あれからかなり年月が経ちましたが未だに私の人生その通りになってしまっています。ただ、教えていただいた事が変えられてないだけなので、そこは受け入れて日々試行錯誤しながら生きていくしかありません。

最後まで諦めずに過ごして行こう。

4.挫折と苦悩、そして病む

中学時代の小さな挫折に気付かず、そのまま過ごして自分を変えられずにいた事による大きな挫折と苦悩が幕を開けます。


バンドも頑張っては見たものの周りはデビューしていくが、私は鳴かず飛ばず。そりゃそうだ、口だけ達者でしたから。それでもバンド活動は好きでした。


年齢も良い頃になりそろそろ正社員で働こうと思い、正社員で働き始めましたが、ついにカルマの法則は働きます。良いことも悪いことも返ってきますね。


入った会社は表面上はどこにでもある普通の企業でしたが蓋を開けてみたら危ない会社で、恫喝、パワハラなんて普通で、変わった色のスーツの方が出入りしてました。働き続け、色々な事が重なりついに心と体が悲鳴をあげてしまいました。


最初の診断はパニック障害。暫く休みましたが仕事に行けなくなり最後は家族の助けもありなんとか退職。
暫く環境を変えたり周りの助けもあり、アルバイトしながら過ごして居ました。

そして考え方も少しずつ変わってきて良い方向に向かいつつあった頃にお世話になっていたアルバイト先の店で店長を任される事になりました。


社長は物凄く頭の回転が速く仕事も早いので、この人についていこうと思い必死に食らいつき働きました。一通り仕事も覚えた頃、社長も休み無く働かれていたので社長には休んでもらいたかったし、自分でどこまで出来るのかも知りたかったんだと思います。一人で任せてもらえる事になりました。


必死で働きました。休まず働きました。成果もそれなりに出せました。


気付いたら何か月、いや、気付いたら2年近くほぼ休みなく、時には2日3日寝ずに店に立ち続けていました。


今思えば明らかにやりすぎ。最終的にどんどん体が弱っていきました。頻繁に体調を崩し始め明らかに体に変調をきたし病院を受診したところ、自律神経異常と言われましたが仕事休めないので働き続けました。

 そしてついにその日がやってきます。

店で仕事中に前触れもなくふと力が抜けてしまい精神崩壊し泣き崩れている自分が居ました。どうしようも無くなりついに休みをもらい、病院を受診したところ、「過労による鬱」との事。


一度崩壊してしまった感情が雪崩のように押し寄せてきます。


少し休めば何とかなるかと思いましたが時すでに遅し。
そこから自暴自棄になり暫くの間はアルコールと抗うつ薬に頼る生活を続け、少し体調が良くなれば仕事を始めてはまた体調を崩しの繰り返し。
気付けば職を転々とし何とかやり過ごす毎日。
また占い師さんの言葉が脳裏をよぎります。またその通りになってしまった。

生きるとは何か、なんで生きているのか、周りに迷惑をかけて迄何のために生きなくてはならないのかと悩み苦しんだ先にあったのがスピリチュアリズムでした。必死でしがみつきました。

そしてやっと少しずつではありますが理解してきて実生活に落とし込めるようになって来た気がします。

5.これからをどう生き抜くか


現在は体調も安定して前向きに生きる事が出来ています。
自分と向き合う事をせずに見て見ぬふりをしていた事を反省し、内観しながら自分を見つめどのように生きるのが自分に合っているのか、どのような形でより多くの人の役に立つ事が出来るのかを日々考えながら生活しています。

人それぞれの持つ気質等はなかなか変えられない所もあるかと思います。
いかに自分を知り最終的に人の役に立てるのか。きっと行き着く所はシンプルで、自分の思う正しい道を歩みながら取捨選択しより良い明るい未来を創る。それだけなのかもしれません。


まだ道半ば 迷い 悩み 転び そして立ち上がり 歩く
その繰り返しなのでしょう。

今の情報化社会で何が本当なのかもわからずに情報量に圧倒され、何を信じ何を選択してよいのか『自ら考える』という事が難しくなってきているように感じます。一度周りにある情報から離れて自分と向き合う時間も大切にするべきなのだと感じます。

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