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私は私に出会えて良かったね。

この1~2週間は特にうつの症状が辛い。

勿論、3月も3月で大変だった。
初めて開催するコーヒーセミナーへの不安、伴う呼吸の苦しさ、頭の混乱、それらを抑えるための頓服を服用し、副作用の異常な眠気を常に帯び。気付いたら昼寝して3時間が過ぎている。夕飯の支度もセミナー準備も何も進んでいない。
そんな状況にさらにメンタルがいでででで!とダメージを軽く受ける。

「辛いよー逃げたいよー」という脳システムの悲鳴と、好きなことを仕事にできそうなわずかな感触に、魂が小躍りしている、ハートは喜んで前にガンガン進みたがっている、けれど脳と身体のギャップが悩ましい。

思い通りにいかない身体。

前に進みたいのに進めない。

4月になれば安定するかと思っていたが、思いの外、うつ病の症状がゆるむことは無い。


そんな思うようにいかない劇団四季なマイボディにうぬぬぬぬぬと胃をキリキリさせていたのだけど、

ふと

――私は私に出会えて良かったね。


という気づきがなぜか湧き出てきた。
スキンケア中、ぽろって涙がこぼれた。

母の子宮の中に辿り着いた私っていう生命とか。
たくさんのご先祖様が守り抜いてきた血、この命とか。
私が私であることは決して偶然ではない。と私は思っている。
「生かして頂いている」「生かされている」と常に思う。


そして、私はきっと、
何かの自分の人生の課題というか魂の宿題というか、使命を持ってこの世に生かされている。(と私は私の人生を定義している)
そこで授かったのがこのマイボディ。

十代からうつ病になりがちでしょっちゅうパニック障害になるこの劇団四季なマイボディ。

そしてそのボディの中にある、私の心とか潜在意識とか自我とか魂みたいなものが、組み合わさって、私がここに今いる。


そんな私は今心身苦しいのだが、
それでもなぜか

—―私は私に出会えて良かったね。

という感覚が降りてきた。


生かされていることへの感謝に近い感覚なのだけど、
ふと、全身が慈愛で満たされた。

やりたいことに向かって身体が言うことを聞かない、ちょっと不便な私の心身。
だけど、そんな私のことを、

「私が誰よりも私のファンでいてあげよう」「よく頑張ってるね」「この身体、人間らしいね」「不完全さがかわいいね」「私で良かったね」

そう思ったら、ぽろぽろ涙がこぼれてきた。


うんうん、今のままでも大丈夫。
十代も二十代も三十代も、いつもいつも「普通の学生」「普通の会社員」になれない。
しょっちゅう退学、退職、無職、休職のオンパレード。

けれど、スムーズに前に進めないという私の「個性」を理由なく愛せた夜。
きっとこの状況にも意味や学びがある。
この経験にしか育めない志や感性が芽生える。
そうやって温かい気持ちで自分で自分を包む。

30代後半になって、ようやく、
自分の不調に対してかなり優しくなれたのでした。


今日も不調です。春らしく呼吸が苦しい。
でも、不思議と不安や焦りや恐怖はなく、
ただただ、波打ってくれる心臓を愛おしいいと思える。


でもそれこそ昔は、苦しくて、海で溺れているような危機感、緊迫した気持ちで、「何とかしよう」「何とかここから脱しなければ」と焦っていたし、うつ症状を無くしたいと、誰かに助けてもらおうと他人に縋りつきながら、余計に藻掻いて苦しんでいました。

時が経つのを待つ。じっと耐える。もがかない。

でも今は、図に描いたような「待機」って感じ(笑)もがかない。

私は健康な時期は、趣味で夫とスキューバダイビングをしますが、ダイビングも海の中ではゆっくり動きます🐠
海の中で何かしらバランスを欠いた時こそ、慌てて動くと、意図や動きと逆方向の浮力が発生して余計にバランスを崩します。
海の中では緊急事態の時こそ、ゆったりとした動作の方が、少ない労力で最短で安定します。そんな感じ(笑)

こんな日々だけど、いつか明ける日が来る。


—―私は私に出会えて良かったね。

そんなセルフラブ思考のお話でした。


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