80年代初めのアルバムから

ゆういち ライフワークであるネガ/ポジのデジタル化、および「写真集 前橋駅(増補改訂版…

80年代初めのアルバムから

ゆういち ライフワークであるネガ/ポジのデジタル化、および「写真集 前橋駅(増補改訂版)」の制作ノート 群馬県前橋市出身 姉妹サイト:https://note.com/dansharitei

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最近の記事

【番外編】最近の話題から

カバー写真は、ちょうど40年前(1984年)の4月6日に撮影した、国鉄両毛線・前橋駅、旧駅舎の最終日の様子です。 翌7日(土)から仮設の橋上駅舎での営業が始まり、旧駅舎は2ヶ月も経たずに姿を消しました。 相変わらずネガフィルムの読み取り作業は進んでおらず、我ながら弱ったもんだと悩んでおりますが、そうこうしている間も、旧前橋駅に関した話題がいくつか集まりましたのでご紹介します。 前回の投稿でご紹介しました、街なかの「アーツ前橋」に於ける「前橋の美術2024-やわらかなバト

    • 【番外編】改札鋏の話

      拙ページをご覧の皆さんの中にも、インターネットの動画投稿サイトで、30年以上前の新宿駅の改札口の様子を撮影した動画をご覧になったことがあるかと思います。 切符を切らない間も、調子を取るために駅員さんが鋏を動かす、カチカチという音がなんとも懐かしい貴重な動画です。 拙写真集にも改札風景の写真はありますが、残念ながら手もとや鋏(改札鋏)が写っている写真はありません。 下の写真は2009年秋、「江戸東京たてもの園」で開催された特別展「甲武鉄道と多摩」の会場で撮影した、元駅員さ

      • 【番外編】旧駅舎復元計画に思う

        今年(2023年)の正月、降って沸いたように旧前橋駅舎と駅前噴水の復元の話が持ち上がり、以降どうなるか注視し続けていますが、最近は前橋市長のブログやSNSにも「駅舎・復元」の文字が散見されます。 40年前に旧駅舎の解体と移築計画の話を目の当たりにしている人間としては、一度は消えた旧駅舎の復元計画が再開するのであれば、撮り溜めた写真等の協力は惜しまない所存ではあります。 そんな中、前橋駅北口には別の動きがあることを、地元の上毛新聞が報じています。 駅北口を出た右手に、結婚

        • 【番外編】ふたりは並んでいたのか?

          前回の投稿で紹介しました、前橋の様々な話題を取り扱うフリーペーパー(前橋新聞 me bu ku)が、駅前ロータリーの「建設と平和の像」(分部順治作)に関する追加記事の作成で写真を募集していたので、拙ブログも僭越ながら参加させていただき、新しい記事で採用していただきました。 まだ噴水が完成する前(噴水の通水式は1965年:昭和40年 筆者が生まれる1年前)の貴重な写真や、初めて目にする「建設と平和の像」除幕式の模様とされる大変興味深い写真が紹介されていていましたが、この写真に

        【番外編】最近の話題から

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        • 思い出の前橋駅
          17本
        • 上電80's
          12本

        記事

          前橋初市まつり(1981年・1984年)

          前橋三大祭りのひとつ「初市まつり」は、個人的には他の2つ(七夕まつり・前橋まつり)よりも馴染み深く、撮影枚数も多いです。 個性的な露天商や、値引き交渉をするお客さんを捉えたお気に入りのショットがたくさんあるのですが、近年はやれ「肖像権」だなんだと面倒なご時世でして、迂闊に公開してトラブルに巻き込まれてもつまらないので、このページでは無難なショットのみ集めてみましたが、やはり楽しさが伝わってこないですね。カメラマン受難の時代です… (;´д`) カラー写真は1981年、モノク

          前橋初市まつり(1981年・1984年)

          前橋駅舎と噴水(1981年1月8日)

          久しぶりの投稿は、前橋の様々な話題を取り扱うフリーペーパー(前橋新聞 me bu ku)のウェブ版が2023年の元日に報じていました、旧前橋駅舎と噴水復元への動きに因んで、遡ること42年前の1981年1月8日に撮影した写真を紹介します。 この日から意欲的に前橋駅の記録撮影に取り組み始めて、8日と翌9日の2日間で(中学生の感覚では高価な)36枚撮りモノクロフィルム1本を使い切り、駅舎と噴水の組み合わせは3ショット撮影しています。 なかなか構図が決まらず、噴水中央の「建設と平

          前橋駅舎と噴水(1981年1月8日)

          年賀郵便元旦配達出発式(1984年1月1日)

          20年ほど前から大晦日を夜通し起きて新年を迎える気力・体力は無くなってしまいましたが、撮影当時はまだ「紅白」や「ゆく年くる年」を見てから寝ていました。 年末の大掃除で珍しく綺麗に片づけられた勉強机の上に、博文館の新しい日記帳が置かれ、時計は新年の午前0時過ぎを指しています。 明けて元日早朝は、当時毎年参加していた年賀状配達のアルバイト。 城東町の前橋中央郵便局では、年賀状の配達出発式が行われていて、どう言うわけかその時の様子を家族(たぶん母親)が撮影しています。 当時第二集

          年賀郵便元旦配達出発式(1984年1月1日)

          上越新幹線開業77日前

          夏休み最後の日曜日、国鉄高崎線・信越本線を走る客車列車を撮影後、両毛線の電車(当時の時刻表から、高崎12:21発 桐生行き453Mと思われます)に乗って前橋に帰って来ました。 台風10号による利根川の氾濫・橋梁の復旧工事後、初めて現場を通過するので、様子を見てみようと先頭車の窓に齧り付いています。 手前の架線柱の下にある橋脚が傾いたため、付近の枕木や渡り板が上流側(写真左側)に僅かにズレたのがわかると思います。 前橋駅入り口の脇には「上越新幹線開業まであと77日」と表示さ

          上越新幹線開業77日前

          【番外編】友人Hのネガから(その3)

          【番外編】3回目は、夏休み最後の日曜日、高崎線・信越本線を走行していた旧型客車による普通列車(2321レ・321レ)を一緒に追いかけた際の写真です。 閑散とした車内の様子や、開放されたデッキに立つ乗客など、今では考えられない長閑な様子をお楽しみください。 全て1982年8月29日 友人H撮影 (オマケ) 友人Hからは四半世紀ほど前に、高崎機関区や信越本線が舞台の「機関士ナポレオンの退職」(清水寥人作 東宝映画「喜劇各駅停車」の原作)の公演を収録したVHSテープも借りていま

          【番外編】友人Hのネガから(その3)

          【番外編】友人Hのネガから(その2)

          前回に引き続き、友人Hが撮影した写真から。 今回は関東地方を通過した台風10号の翌日(1982年8月2日)と、利根川の氾濫により不通となった国鉄両毛線・利根川橋梁の復旧作業の様子(8月7日)を紹介します。 引用した記事の通り、台風一過の翌2日、自転車で[高二]を訪問し、前日「さよなら運転」を行ったEF12形電気機関車 5号機を撮影しています。 (上手い具合に敷地外からでも見える場所に留置されていました) 高崎第二機関区にて 1982年8月2日 友人H撮影 国鉄両毛線・

          【番外編】友人Hのネガから(その2)

          【番外編】友人Hのネガから(その1)

          2年半以上続く自粛生活・在宅勤務のおかげ(と言ってはアレですが)で比較的時間が出来、当初は昔のネガの取り込み・編集作業を思いっきり出来ると目論んだのですが、現実は独り黙々と自宅で仕事をする毎日に加えて、どうにも気が重くなるニュースが次々飛び込んでくるので、仕事を終えてから読み取り作業をする気が起きず、ただただ空虚な日々を送っています。 そんな中、久しぶりに会った50年来の友人Hから、今から40年前:高校生の頃に撮影した10本分のネガシートを預かりました。 現代のデジカメであ

          【番外編】友人Hのネガから(その1)

          関西修学旅行(1983年11月下旬)

          ※ 2022年8月13日追記 お盆休みに自宅の物置部屋を捜索していたところ、旅程表が見つかりましたので、加筆修正しました。 11月21日から11月25日まで、関西方面の修学旅行に出掛けています。 前橋の自宅に「旅行の栞」が保管してあるはずなので、見つかれば旅程の詳細が分かりますが、確か朝7時半過ぎに前橋駅を出発、9時半前に上野駅に着く臨時列車だったと思います。 上野駅から山手線で東京駅へ移動、10時過ぎに東京駅発の東海道新幹線で新神戸へ向かい、姫路城を見学して初日は神戸の旅

          関西修学旅行(1983年11月下旬)

          初夏の高崎駅(1983年6月)

          前橋駅構内で撮影したコマに続いての写真ですので、電車に乗って高崎駅西口のビッ◯カメラへ、フィルムや薬剤を買いに出掛けたついでにホームの北の端で撮影した写真です。 華々しい上越特急は前年秋に廃止されてしまい、適当に貨物列車を撮ってフィルムを消費しています。 ネガシートの前半に、通っていた高校の体育祭の様子が写っていたので開催日が判明すれば、もしくは4枚目の季節特急「そよかぜ52号」の運転日が分かれば、撮影日がある程度特定できると思います。(ちなみに気象庁の過去の気象データから、

          初夏の高崎駅(1983年6月)

          三俣駅にて(1983年5月下旬)

          現在は貨物側線のみ残されていますが、1986年2月までは三俣駅で貨物(丸屋石油)の取り扱いが行われていたようです。(っと伝聞調で書くのは、前年に上京し、1985年春以降の上電の様子が分からないためです) 写真の右端にコウモリマーク(現ENEOS)の貯蔵タンクが写っています。 左は中央前橋行き上り電車(200形電車 クハ31+デハ231)です。 この当時のフェンスは古い枕木を使っています。 2枚とも三俣駅にて(初出) 1983年5月下旬撮影

          三俣駅にて(1983年5月下旬)

          盛夏(1981年8月上旬)

          正確な撮影日は不明ですが、8月13日に前橋工業高校が夏の甲子園第2試合に出場していることから、8月上旬に撮影したと思います。 1枚目は国道50号線の5差路から駅の方向(南)を見た様子。30数年後に同じ場所で撮影をしていますが、道路の白線が変わったのと、ケヤキの枝を少し切りましたかね、若干見通しが良くなったと思います。 近い将来渋滞緩和策でこの界隈も変わるらしいですが、ケヤキ並木は出来る限り残して欲しいものです。 毎度おなじみのアングルからの撮影です。 駅舎入口の脇に「がんば

          盛夏(1981年8月上旬)

          特急「とき」3本(1982年9月5日)

          信越本線の普通列車321レを撮影後、高崎着11:44の電車で戻って来て、1時間ほど駅構内で撮影をしていますが、この当時昼飯はどうしていたのか、駅弁や駅そばを食べていた記憶が全くなく、毎度不思議に思いながら写真を編集しています。 高崎駅1番線を通過するEF15形電気機関車152号機 12:36に高崎駅に到着する白山2号(3012M) (左は同時刻に到着する両毛線の普通列車 450M) 上の写真の4分後(12:40)には1番線から青森行き(青森着21:45!)いなほ3号、同

          特急「とき」3本(1982年9月5日)