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思い出の前橋駅

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2016年に自費出版した「写真集 前橋駅」の増補改訂版の制作ノートです
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前橋駅とその周辺(1981年2月28日)

なにはなくともまずはこの写真から。 何気なく撮影した写真ですが、幸い余分なものが一切写っていない、お気に入りの一枚です。 当時の前橋駅は北口しかなく、上州名物「からっ風」が直接待合室に吹き込むのを防ぐため、冬場になると駅舎の入口に衝立を組み立てて「風除室」を設けていました。 女学生達がなにやら慌てている様に見えますが、この頃の時刻表を調べると、おそらく16時02分発の高崎行き電車に乗るためではないかと思われます。 前橋駅の写真を撮り始めた頃で、カメラアングルも試行錯誤状態、

【番外編】最近の話題から

カバー写真は、ちょうど40年前(1984年)の4月6日に撮影した、国鉄両毛線・前橋駅、旧駅舎の最終日の様子です。 翌7日(土)から仮設の橋上駅舎での営業が始まり、旧駅舎は2ヶ月も経たずに姿を消しました。 相変わらずネガフィルムの読み取り作業は進んでおらず、我ながら弱ったもんだと悩んでおりますが、そうこうしている間も、旧前橋駅に関した話題がいくつか集まりましたのでご紹介します。 前回の投稿でご紹介しました、街なかの「アーツ前橋」に於ける「前橋の美術2024-やわらかなバト

【番外編】改札鋏の話

拙ページをご覧の皆さんの中にも、インターネットの動画投稿サイトで、30年以上前の新宿駅の改札口の様子を撮影した動画をご覧になったことがあるかと思います。 切符を切らない間も、調子を取るために駅員さんが鋏を動かす、カチカチという音がなんとも懐かしい貴重な動画です。 拙写真集にも改札風景の写真はありますが、残念ながら手もとや鋏(改札鋏)が写っている写真はありません。 下の写真は2009年秋、「江戸東京たてもの園」で開催された特別展「甲武鉄道と多摩」の会場で撮影した、元駅員さ

【番外編】旧駅舎復元計画に思う

今年(2023年)の正月、降って沸いたように旧前橋駅舎と駅前噴水の復元の話が持ち上がり、以降どうなるか注視し続けていますが、最近は前橋市長のブログやSNSにも「駅舎・復元」の文字が散見されます。 40年前に旧駅舎の解体と移築計画の話を目の当たりにしている人間としては、一度は消えた旧駅舎の復元計画が再開するのであれば、撮り溜めた写真等の協力は惜しまない所存ではあります。 そんな中、前橋駅北口には別の動きがあることを、地元の上毛新聞が報じています。 駅北口を出た右手に、結婚

【番外編】ふたりは並んでいたのか?

前回の投稿で紹介しました、前橋の様々な話題を取り扱うフリーペーパー(前橋新聞 me bu ku)が、駅前ロータリーの「建設と平和の像」(分部順治作)に関する追加記事の作成で写真を募集していたので、拙ブログも僭越ながら参加させていただき、新しい記事で採用していただきました。 まだ噴水が完成する前(噴水の通水式は1965年:昭和40年 筆者が生まれる1年前)の貴重な写真や、初めて目にする「建設と平和の像」除幕式の模様とされる大変興味深い写真が紹介されていていましたが、この写真に

前橋駅舎と噴水(1981年1月8日)

久しぶりの投稿は、前橋の様々な話題を取り扱うフリーペーパー(前橋新聞 me bu ku)のウェブ版が2023年の元日に報じていました、旧前橋駅舎と噴水復元への動きに因んで、遡ること42年前の1981年1月8日に撮影した写真を紹介します。 この日から意欲的に前橋駅の記録撮影に取り組み始めて、8日と翌9日の2日間で(中学生の感覚では高価な)36枚撮りモノクロフィルム1本を使い切り、駅舎と噴水の組み合わせは3ショット撮影しています。 なかなか構図が決まらず、噴水中央の「建設と平

上越新幹線開業77日前

夏休み最後の日曜日、国鉄高崎線・信越本線を走る客車列車を撮影後、両毛線の電車(当時の時刻表から、高崎12:21発 桐生行き453Mと思われます)に乗って前橋に帰って来ました。 台風10号による利根川の氾濫・橋梁の復旧工事後、初めて現場を通過するので、様子を見てみようと先頭車の窓に齧り付いています。 手前の架線柱の下にある橋脚が傾いたため、付近の枕木や渡り板が上流側(写真左側)に僅かにズレたのがわかると思います。 前橋駅入り口の脇には「上越新幹線開業まであと77日」と表示さ

【番外編】友人Hのネガから(その1)

2年半以上続く自粛生活・在宅勤務のおかげ(と言ってはアレですが)で比較的時間が出来、当初は昔のネガの取り込み・編集作業を思いっきり出来ると目論んだのですが、現実は独り黙々と自宅で仕事をする毎日に加えて、どうにも気が重くなるニュースが次々飛び込んでくるので、仕事を終えてから読み取り作業をする気が起きず、ただただ空虚な日々を送っています。 そんな中、久しぶりに会った50年来の友人Hから、今から40年前:高校生の頃に撮影した10本分のネガシートを預かりました。 現代のデジカメであ

【番外編】友人Hのネガから(その2)

前回に引き続き、友人Hが撮影した写真から。 今回は関東地方を通過した台風10号の翌日(1982年8月2日)と、利根川の氾濫により不通となった国鉄両毛線・利根川橋梁の復旧作業の様子(8月7日)を紹介します。 引用した記事の通り、台風一過の翌2日、自転車で[高二]を訪問し、前日「さよなら運転」を行ったEF12形電気機関車 5号機を撮影しています。 (上手い具合に敷地外からでも見える場所に留置されていました) 高崎第二機関区にて 1982年8月2日 友人H撮影 国鉄両毛線・

盛夏(1981年8月上旬)

正確な撮影日は不明ですが、8月13日に前橋工業高校が夏の甲子園第2試合に出場していることから、8月上旬に撮影したと思います。 1枚目は国道50号線の5差路から駅の方向(南)を見た様子。30数年後に同じ場所で撮影をしていますが、道路の白線が変わったのと、ケヤキの枝を少し切りましたかね、若干見通しが良くなったと思います。 近い将来渋滞緩和策でこの界隈も変わるらしいですが、ケヤキ並木は出来る限り残して欲しいものです。 毎度おなじみのアングルからの撮影です。 駅舎入口の脇に「がんば

第二前橋道踏切にて

前橋駅構内の東の外れにあった踏切で撮影した写真を紹介します。 まずは貨車移動機による貨車の入れ替え風景。 前橋駅脇の貨物ホームから、駅構内東の引き上げ線まで、結構な数の貨車を引っ張り出したあと、駅南の貨物側線まで推進運転を行います。 この間10分くらい踏切はずっと閉じたままになりますが、通行人はひたすら開くのを待っていました。のんびりした時代でした。 上の写真の貨車移動機が、貨物側線に貨車を押し込んでいる様子が小さく写っています。 上の写真とほぼ同じ場所から、秋の夕暮れ

台風一過(1982年8月2日)

台風10号の接近に伴い、8月1日は昼ごろから猛烈な雨が降りました。 そんな中、高崎第二機関区に唯一残っていた戦前型電気機関車:EF12形電気機関車5号機の「さよなら運転」が行われるとの新聞記事を見て、大騒ぎで父親に頼んで車で前橋駅へ行き撮影しましたが、帰宅して母親からこっぴどく叱られたのを思い出します。 急いでフィルム現像をしたため、温度管理もままならず粒子が荒くなり、肝心の写真は芳しくありません (;´д`)トホホ… 翌2日は一転して台風一過の晴天、小学校以来の友

お召し列車(1981年6月5日)

1981年6月3日〜5日まで、昭和天皇・皇后両陛下は伊香保御用邸でご静養のため群馬県にお越しになりました。 6月5日は金曜日ですが、学校行事の関係で上手い具合に午後放課となったため、自転車で前橋駅に駆けつけ、東京・原宿駅へお帰りになるお召し列車を、駅東側の天川原道踏切から撮影しました。 この後上越線と関越自動車道が交差する高崎の日高まで移動して、走行中のお召し列車を撮影していますから、かなり長い時間停車していたと思われます。 前橋駅構内 天川原道踏切にて Kodachrom

正月早々の前橋駅(1982年1月3日)

今回ネガのデジタル化をしている中で初めて気がついたコマで、記憶は曖昧ですが、他のコマの写真や駅の時計(午後4時過ぎ)から、おそらく正月早々上越線の臨時列車を撮影した帰り、駅前に立ち寄って撮影したものと思われるため、タイトルの通り1982年の1月3日としました。 駅舎と噴水はお決まりですが、この写真では「建設と平和」の像が、駅入口に対して左側に寄っていて全体のバランスが悪いため、これまで注目して来なかったのだと思いますが、これまでにスキャンした駅前の写真には無い、いかにも冬の