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前橋駅とその周辺(1981年2月28日)

なにはなくともまずはこの写真から。
何気なく撮影した写真ですが、幸い余分なものが一切写っていない、お気に入りの一枚です。
当時の前橋駅は北口しかなく、上州名物「からっ風」が直接待合室に吹き込むのを防ぐため、冬場になると駅舎の入口に衝立を組み立てて「風除室」を設けていました。
女学生達がなにやら慌てている様に見えますが、この頃の時刻表を調べると、おそらく16時02分発の高崎行き電車に乗るためではないかと思われます。

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駅舎と東武バス(写真集 前橋駅に収録)

前橋駅の写真を撮り始めた頃で、カメラアングルも試行錯誤状態、駅名の看板が隠れています。
何も考えずに撮影していることが分かります(苦笑)。

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「建設と平和」の像(1952年)と噴水(噴水の完成は1965年7月)
高崎市出身の彫刻家:分部順治(1911 - 1995)作(初出)
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駅頭から冬枯れのケヤキ並木を見る(写真集 前橋駅に収録)

「前橋駅旅行センター」は、1973年4月1日に開設、駅舎の正面から見て右手にありました。
腕木式信号機は、(確か)1978年の秋頃に八高線の駅から運んで設置したと記憶しています(後日図書館等で調査して修正します)。

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旅行センター入口の腕木式信号機(初出)

駅の東西には、有人の踏切がありました。(新前橋寄り:玉村街道踏切、駒形寄り:天川原道踏切)
列車が近づくと、番小屋から警報音が聞こえ、踏切保安係がハンドルを回して遮断器を下ろし、列車に向かって手旗を振る様子を飽きもせず眺めていました。

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手旗を振る踏切保安係 天川原道踏切にて(既出)

前述の通り旧前橋駅は北口しかありませんでした。
写真は駅南側の貨物側線。現在の南口の出入口辺りかと思います。
貨物の取り扱いは、撮影の年の11月に廃止になりました。

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駅の南側から構内を見る(写真集 前橋駅に収録)

駅周辺の撮影を終えての帰り道、天川大島町の踏切脇から駅方向を見た風景です。

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勾配変更点付近(天川大島道踏切)にて(初出)

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