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【番外編】旧駅舎復元計画に思う

今年(2023年)の正月、降って沸いたように旧前橋駅舎と駅前噴水の復元の話が持ち上がり、以降どうなるか注視し続けていますが、最近は前橋市長のブログやSNSにも「駅舎・復元」の文字が散見されます。

40年前に旧駅舎の解体と移築計画の話を目の当たりにしている人間としては、一度は消えた旧駅舎の復元計画が再開するのであれば、撮り溜めた写真等の協力は惜しまない所存ではあります。

そんな中、前橋駅北口には別の動きがあることを、地元の上毛新聞が報じています。

駅北口を出た右手に、結婚式場・パーティー会場として利用されていた、南欧風の小洒落た建物がありましたが、新聞によれば今年の春に営業を終了して、マンション会社に売却されたとのこと。

(2023年10月22日追記)
3週連続でJR前橋駅北口を訪ねたところ、解体工事中の旧結婚式場の仮囲いに、「建築計画のお知らせ」の標識が設置されていました。

建築計画のお知らせ標識(2023年10月21日撮影)

物見高い人間としては、様子を見ておこうと10月上旬に現地を訪ねました。

解体工事中の結婚式場(2023年10月8日)

訪問に先立ち、旧駅舎が現在の北口駅前のどの辺りに建っていたかを確認すべく、以前から利用している「沼津高専 ウェブ地図」を開いてみたところ、「過去の空中写真の組み合わせ」なる機能が加わり(もしかしたら以前からあって、気が付かなかっただけかも知れませんが)、この重ね合わせ地図によると、旧駅舎は前述の結婚式場の並び、駅前の噴水は駅前ロータリーへ進入するバス・タクシーと一般車両を分けるY字路の辺りに位置していたことが分かります。
(現在のJR前橋駅は、国鉄時代の貨物側線跡の上に建設されたので、全体的に南側に移動しています)

出典:沼津高専 ウェブ地図より

この「過去の空中写真の組み合わせ」地図は、難しい操作もなく眺めているだけでも楽しめますので、ぜひお住まいの場所や、気になる場所で試してみてください。

現地を訪問し、42年前(1981年)に立ったと思う場所で撮影したのが下のカラー写真です。
意図的に駅名標を入れるため広角レンズで撮影したので、実際はもう少し写真の奥、雨除けの庇の下辺りかも知れません。

前橋駅北口駅前(2023年10月14日)
前橋駅北口駅前(1981年8月上旬)

北口駅前の「アクエル」とその南側の立体駐車場との間の通路と、昔の東武バスの事務所脇の通路を重ね合わせたのが下の写真、バスの降車場や待機場所の上にかつての駅舎が建っていたことが、この写真からも分かります。

旧駅舎はどの辺りに建っていたか(イメージ)

ところで、数年前までJR中央線沿線に暮らしていた筆者は、数駅隣の国立駅の解体から復元までの様子や、漏れ伝わってくる市の動きを注視していました。
当初から復元することを前提に、資材の保管や駅前整備をしていたので、建物はもちろん、駅前ロータリーから見た再現度はそれは見事なものでした。

我らが前橋駅も、どうせなら国立駅くらいの意気込みで復元して欲しいのはやまやまなのですが、如何せん40年前に解体した資材を散逸させてしまい、0からの出発となること、そもそも郊外に旧駅舎を移築する計画だったので、旧駅舎ありきの駅前整備ではないことが、国立駅とは大きく異なります。

長い年月をかけ整備された駅前ロータリーの上に、旧駅舎を建てるとは到底考えられませんし、もはや市民の半数は旧駅舎を知らない世代でしょうから、理解は得られないと考えます。

では、仮に旧駅舎を復元するとしたらどこに建てるか?

個人的には、結婚式場跡地に建設が計画されている、高層マンションの下層部分に、旧駅舎の外壁を忠実に再現して巻くように建てる、俗に言う「腰巻ビル」様式はどうか、マンション会社の同意が得られなければ、現在の高架駅の北側の面に旧駅舎の外壁を貼り付けると言うものですが、いずれにしても現在の駅前に旧駅舎を完全な形で復元するのは難しいと考えています。

まぁ筆者の様な部外者は知らないだけで、すでにいろいろ動いているのかも知れません。引き続き今後の推移を注意深く見守ってゆきたいと思います。

(151回目の鉄道記念日に記す)


最後に余談になりますが、南口出入口の旧駅舎を模した5角形の部分、茶色とベージュの配色が逆が気になります。これまで誰もツッコミを入れなかったんでしょうかね?

汚れも目立ってるんで、何かの機会に塗り直したら、それだけでもイメージはだいぶ変わると思うんですが。

前橋駅南口駅前

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