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上電80's

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三俣駅にて(1983年5月下旬)

現在は貨物側線のみ残されていますが、1986年2月までは三俣駅で貨物(丸屋石油)の取り扱いが行われていたようです。(っと伝聞調で書くのは、前年に上京し、1985年春以降の上電の様子が分からないためです) 写真の右端にコウモリマーク(現ENEOS)の貯蔵タンクが写っています。 左は中央前橋行き上り電車(200形電車 クハ31+デハ231)です。 この当時のフェンスは古い枕木を使っています。 2枚とも三俣駅にて(初出) 1983年5月下旬撮影

1979年晩秋から初冬の上電

数年前、実家の引っ越しに伴い部屋を整理していたところ、思わぬところから、撮影後行方不明になっていたネガが35年ぶりに出てきました。 これらの写真は、1979年11月下旬から翌月にかけて撮影したもので、ブレやボケ、露出オーバーなど技術的に非常に拙いものですが、今となっては懐かしい写真ばかりです。 西武鉄道から譲渡されて間もないクハ36(元クハ1448) 中央前橋ー一毛町間にて 1979年11月下旬撮影 晩秋の赤城山麓には黄色い電車が映えます。 デハ171+クハ61(手前

城東町にて

1977年の春から徐々に上電に入線してきた元西武電車、子供の頃は「ツートン」と呼んでいました。 カラー写真は1979年11月中旬、市営城東団地の線路脇の小公園の辺りから、中央前橋方向を撮影しています。 写真左奥の一毛町駅(現在の城東駅)上空にアドバルーンが揚がり、分譲地(城東メトロタウン)の売出しを告げています。 下り電車(既出) 下のモノクロ写真は翌1980年5月の撮影です。 撮影場所は上のカラー写真とほぼ同じと思います。 上り電車(既出) (妻面に貫通扉や手すりが

春の夕暮れ(1981年3月下旬)

この写真の次のコマに、定年を迎えた先生の記念写真があることから、3月下旬の学校帰りに撮影しています。 高層建物と言えば、まだ大生相互銀行の建物しかなかった時代です。 片貝ー上泉間にて Kodachrome64使用 1981年3月下旬撮影

田植えの頃(1981年6月下旬)

デハ101の写真は、これまでもウェブサイトやFacebookで紹介していますが、湿気の多い時期に長期間カメラにフィルムを入れていたこと、ネガの保管状態が悪い事が原因ですが、発色が悪くカビも生えています (;´д`)トホホ…。 加えてネガフィルムの読み取りや画像編集の結果にも今ひとつ納得出来ない、不本意な状態でこれまで公開していましたが、今回あらためてフィルムデジタイズシステムを用いて読み取り直し・編集をしてみて、以前より少しはイメージに近い色が出せるようになりましたので、初め

早春の畑にて(1983年2月)

正確な撮影日は不明ですが、前後のネガから1983年2月上旬の日曜日だと思います。 通っていた上泉町の中学校近く、現在は廃止になっている踏切脇の畑で農作業をするおばちゃんを撮影させてもらいました。 右側のおばちゃんが頭に巻いている手ぬぐいには、現在は世界遺産になっている富岡製糸場の、当時オーナーだった「片倉工業」の文字が見えます。 西武鉄道からやってきた電車と この日は上手い具合にデハ101が牽く貨物列車があり、おばちゃんと組み合わた撮影も成功し、意気揚々帰宅後早速現像し

朝の三俣駅(1981年3月1日)

現在は広大な駐車場になっていますが、かつて三俣駅の南西には、城東町の丸屋石油さんの備蓄タンクがあり、1986年2月まで貨物の取り扱いが行われていたようです(っと伝聞調で書くのは、前の年の春に前橋を離れて、貨物取り扱いの廃止を後年知ったため)。 大胡駅から上り200列車で中央前橋に到着したデハ101は、8時半過ぎに下り301レとなって、貨物の取り扱いがある日は三俣駅でタンク車の連結作業を行います。 休日でも入れ替え作業を行うことが多かったため、土曜日の学校帰りにタンク車の有無を

雪晴れ(1984年2月1日)

気象庁の過去の気象データによると、写真の前日(1月31日)の前橋の気温は、ほぼ終日氷点下に加え、午後から降水が記録されており、翌2月1日はご覧の通り結構な積雪の朝を迎えました。 こう言う日は普段見られない風景の中を走るデハ101を撮ろうと、学校へ行きがてら撮影に勤しみます。 下の2枚は、かつての前橋市立第二中学校(2011年閉校)脇の踏切から撮影したデハ101(200列車)。屋根に結構な雪を積んだまま山から降りて来ました。 続く2枚は、中央前橋駅を発車してすぐの桃井橋から、

体育の日(1984年10月10日)

ネガシートのメモ書きを見ると、この日は粕川と大胡で2枚撮影しただけのようです。おそらく高校の文化祭(写真展)のネタ探しで赤城山南麓を走り回っていたのだと思いますが、真相は分かりません。 ト21 粕川駅にて撮影 1936年5月 日本鉄道自動車(現:東洋工機)製 1984年9月 廃車 (出典:寺田裕一著 ローカル私鉄車両20年 東日本編 JTBキャンブックス) 松葉スポークの小型無蓋車 下は県道前橋大間々桐生線の踏切にて 1984年10月10日撮影(ト21は既出)

1984年1月18日夜

この日は満月(月齢14.9)上州名物のからっ風も止んで穏やかな夕方、カメラ・三脚を担いで上毛電鉄沿線の畑(現在の国土交通省関東運輸局 群馬運輸支局の北側、太陽光パネルがある辺り)へ出かけています。 左右に走る白い帯は、中央前橋行き電車の灯りです。フィルムはコダックのトライX 30秒間くらいシャッターを開けて撮影しています。 この時分まだ赤城山はくっきり見えていましたが、既に月には暈がかかってボンヤリして、天気が下り坂であることを予感させました。 1984年1月18日撮影(初

雪の日の上泉駅

気象災害に関するサイトを見てみますと、この日(1984年1月19日)は東京で22cmの積雪があったとの記述があります。 前橋もそこそこ積雪がありましたが、普通に学校へ行き、下校してからカメラを持って、最寄りの上泉駅で撮影なんぞをしています。 前年の6月に上泉駅は無人化されましたので、ホームの雪かき作業は保線区の方が行っていました。 ネガに写っている電車から、おそらく同駅で1時間は時間を潰していたと思います。よほど他にすることがなかったんでしょうな(苦笑) 1984年1月19

上電プラザビル(1984年10月21日)

早朝国鉄上越線での撮影を終え、上電沿線沿いに写真を撮りながら帰宅しました。 写真のビルは、群馬県で始めての駅ビル:上電プラザビル。市内の幼稚園に通っていた1976年(昭和46年)に竣工しましたので、工事中の頃から覚えている建物です。 記憶ではホームから改札口を抜けた正面にスーパーがあり、電車を待つ間に買い物をする人たちで賑わっていたり、エレベーター乗り場前に水深が浅く小さな噴水や飛び石のある池がありました。 1999年(平成11年)に解体されたとのことですが、その頃は前橋には