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エッセイ「優しさの追求」

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実体験を主にして自分が思う「人への寄り添い方」について書き綴ります。
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記事一覧

僕は元カノを引きずり過ぎている。

もう1年以上経ったのに、僕は毎日のように元カノの夢を見てしまう。 0時過ぎにベッドに入り、元カノの夢を見て午前4時ごろに目が覚める。 「あぁ、また見ちゃった」と思いながら水を飲んで床に入る。 日によっては二度目の登場をしてくるときもあるくらいだ。 ある意味で僕はあの人に支配されているのかもしれない。いや勝手に囚われてるだけなんだけど。 なぜこんなにも忘れられないのだろうか。 もちろん完全に元恋人を忘れるなんて無理だろうけど、どうして囚われ続けてしまうのだろうか。 頭の中

「普通の人生が良かった」と感じる人へ

人は皆『普通』に憧れる 普通に仕事して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子どもが出来て、そして普通に死んでいく。 大人になればなるほど、この普通がどれだけ尊くて難しいかが身に染みて分かってくる。 難しいからこそ僕たちは普通に憧れてしまう。 世界には人それぞれの人生がある。人の数だけ『普通のライン』も変わってくる。 人によっては「それキツイなあ」と感じることでも、ある人からすれば「そんなの普通だよ」と感じることは沢山あるのだ。 それなのに、僕たちは人生においての普通

溺れていく人

母がうずくまって泣いていた。 「具合が悪い」「気持ち悪い」 僕が何を言っても返ってくる言葉はそれだけだ。 すかさず背中をさする。顔を近づける。 僕は母に聞いた。 「何かあった?体調崩したなら病院行こう」 そう聞いた瞬間、母から匂いがする。 酒だ。結構な量を飲んだのだろう。 深夜2時ごろの飲み屋から漂う匂いと同じ。 自分が酔っているときは気付かないのに、他人のはどうしようもなく気になる酒の匂い。 それが母から漂っていた。 具合が悪そうながらも母は口を開いた。 「最近お酒ば

五月病の終わり。そして僕のなりたい人

5月が終わる。 我々人間にとって最大の敵とも言える「五月病」にサヨナラできるのだ。 五月病は厄介な奴らだから、あと一年会わなくて済むのは非常に嬉しい。 なんとなく「五月病」という言葉を使って身体のダルさ・やる気が出ないことを正当化していると思っていた。 しかし、調べてみたら五月病には由来があるみたいだ。 なんでも4月からの新生活にともなって慣れない環境で無理をし、身体やメンタルに異常をきたし始めるのが5月あたりらしい。 なるほど。42へぇ~くらいだ。メロンパンはもらえない

なんで愛のないセックスができんだよ!!

タイトルは友達と飲んでいるときに、泥酔した僕が泣きながら叫んだ言葉である。 正直あまり覚えていない。 その飲み会で「ワンナイトラブできるかどうか」みたいな話題になったときに、出来ない側が少なくてキレ散らかしていたのは覚えている。 あと感情が高ぶりすぎて、居酒屋のテーブルを台パンしたら店員さんに「他のお客さん怖がっちゃうんで」と注意されたことも鮮明に覚えている。 心から謝罪します。すみませんでした。 別に誰が誰と寝ようがどうでもいいはずなのに、酔った僕は許せなかったらしい

良かったね

大好きだった人が結婚した。 それは、いつもと変わらない日の朝だった。 何の気なしにSNSをチェックしたら、綺麗なウェディングドレスを着て満面の笑みを浮かべる写真が載っていた。 普段はあまり「いいね」を付けることはしないのに、その写真を見た時、思わずいいねを押した。 それは心の底から「よかったなあ」と思えたからだ。 僕にとって、そのウェディングドレスを着た人は「どうしても幸せになってほしかった人」の一人だった。まあ元カノである。 些細なもつれから仲違いになってしまい、連絡も

遠回りと白いスイートピー

朝、ギリギリに起きる。もはや焦ることもなくなってしまった。 「焦った方いいのに」 「いい加減大人なんだから早めに起きろよ」 心の声が聞こえてくるけども、もはやこの時間に起きるのが普通なのだ。 早起きは諦めてもらってほしい。 ギリギリに起きたなりの準備をして職場へと向かう。 自分では目覚めているつもりだけれども、たぶん半分以上は寝てるみたいな状態だ。 職場に着く。 元気な同僚、気怠そうな後輩、話しかけるなオーラを出す上司 大きい職場ではないけれど色んな人がいる。 僕は

「死にたい」という母

僕の母は不安定だ。 多分、というか確実にADHD的な何かを持っているんだと思う。 その性格が原因で学生時代は人間関係に苦しんでいたらしい。 僕は息子として母が不安定なことを察していた。8歳くらいの頃にはハッキリとした違和感を持っていた。 でも別に生活は出来ているし、母に対して怒りを感じたこともない。 だって僕のことを無償の愛で包んでくれていたし、何よりも大切な存在として扱ってくれていたからだ。 もちろん「過保護すぎだろこの人・・・」と感じたことは何度もある。いつまで子ど

父親と愛。

僕には父親がいない。 もちろん戸籍上はいるが、生まれた時から僕の家庭には父親という存在がいなかった。小さいながらも、僕が生まれる前に母が離婚を経験したことは察していたし、それが当たり前の世界に生きてきた。 僕の人生には、父の影響なんて1ミリもない。母と父が仲良くしている日常なんてものも見たことがない。僕にとってそれは幻に過ぎない。 しかし、それをマイナスに捉えることは不思議となかった。母からは無償の愛を受けてきたし、幸せな家族であることは間違いない。 でも、それでも歳

ハッピーエンドを信じて

人は本当に強くなるのだろうか? よく「辛いことを1回乗り越えれば、その分強くなるよ。」なんてことを聞く。実際ぼくも誰かが辛い経験をしているのを見たときに同じような助言をしてみたものだ。 考えてみれば、叩かれた分だけ強くなる。なんていうのは絶対的な格言でもなんでもない。 人によって辛いと思うことは違うし、同じことを経験しても全く同じような感情を持つ人間なんていないかもしれない。 つい最近、私的に辛くて心が痛む出来事があった。まさに青天の霹靂というやつだ。 「誰かを傷付

自分に「いいね」を押してあげて

この季節は語彙力を失ってしまう。外に出れば「暑い」しか言えなくなってしまうのだ。 「暑いのと寒いのどっちがマシだと思う」なんてテンプレート通りの会話を毎年している。そのたびに「暑すぎると冬が恋しいけど、寒すぎると夏が恋しくなるよね。」というこれまたテンプレ通りの回答を繰り返す。 人間関係というのは複雑で難しいように見えるけど、意外と型が決まっているのかもしれない。僕もアラサーになって色々な人と話してきたつもりだけれど、“こういう人にはこういう返し方をしよう。”なんてものが

冷えた飲み物、暑い夏

人がたくさんいるカフェでこの文章を書いている。 外は驚くほどの暑さで立っているだけで蒸し焼きになってしまいそうだ。涼しむために室内へと逃げるのも当然のことだろう。 丁度よく冷えたカフェオレは夏の暑さとコントラストになって非常に美味しい。大袈裟かもしれないけど「生きてて良かった」なんて感じる。 暑いのは苦手だけれど“暑い日に飲む冷えた飲み物”は至福以外の何者でもない。なぜか分からないけど“冬に飲む暖かい飲み物”より美味しいと感じる。 横で友人と楽しそうに談笑している学生