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「普通の人生が良かった」と感じる人へ

人は皆『普通』に憧れる
普通に仕事して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子どもが出来て、そして普通に死んでいく。

大人になればなるほど、この普通がどれだけ尊くて難しいかが身に染みて分かってくる。
難しいからこそ僕たちは普通に憧れてしまう。

世界には人それぞれの人生がある。人の数だけ『普通のライン』も変わってくる。
人によっては「それキツイなあ」と感じることでも、ある人からすれば「そんなの普通だよ」と感じることは沢山あるのだ。

それなのに、僕たちは人生においての普通を求めて彷徨い続けてしまう。
誰かと分かり合いたくて、『普通の共有』をしたくて関係を求めあっていく。

一体普通の幸せとは何なのだろうか?
やりがいある仕事をすること?好きな人と愛し合うこと?

いや、「やりがいのある仕事ができるなんて贅沢だよ」という意見も多いだろう。
恋にしたってそうだ。上手くいかないのが普通だと思ってる人はいる。傷付くのが普通だと感じてしまっている人だっている。

幸せそうなのが普通なのか、それとも不幸気味な人生が普通なのか
きっと幸せと不幸がちょうどいいバランスで訪れる人生こそ、誰もが憧れる普通の人生なのかもしれない。
でも、良いことと悪いことが1:1のバランスとは思えない。
どうしても人は”悪いこと”が頭に残ってしまう生き物だから、悪いことが多いように感じてしまう。

「泣きたくなることが沢山ある人生の中で、小さな幸せを感じよう!」みたいな人生の教訓を語る人を見たことがあるはず。
この教訓を言い換えれば「不幸なことが多いけど、幸せなことだってあるよ!」となる。

そう、皆ぞれぞれ辛いことを経験している。
僕はnoteに投稿することで、辛いことを発信してストレスを発散できてるけど、中には永遠に「辛いこと」を溜め込んでしまう人だっているだろう。

普通の幸せに憧れているからこそ、惨めな自分を許せないのだ。
誰かに言うことすら恥ずかしくて、情けないのだ。
とんでもなく落ち込むと、人は普通の基準を上げてしまう。そしてそのまま自己嫌悪に陥る。

「インスタで見る友達はみんな幸せそうなのに、どうして私は…」
「あー、普通にカップルで幸せな写真あげてるのいいな。でも俺は何にもない」

こんな風に自然と周りを持ち上げて、自分の立ち位置を低いところに見積もってしまう。
自分が考える『普通のライン』が、いつの間にか遠くになっている。

その気持ちも分かる。周囲がキラキラに見えて仕方ないんだよね。
普遍的な幸せを手にしている彼らに嫉妬しているのかもしれない。
「なんで俺は普通の人生を送れないんだろう。なんで。なんで」って思っちゃうんだよね。
そして、そんな醜い自分が嫌いになって…。負のループが完成してしまう。

誰にも共感できないであろう孤独感を味わったとき、人は堕ちていきそうになる。
自分で勝手に上げたハードルを飛び越えられなくて嫌になってしまう。
「病んでる姿なんて普通じゃない」と思ってるから、誰にも見せることができない。
どこにも発散できないまま、マイナスの感情が溜まっていくだけだ。

でも、見方を変えて欲しい。
「普通の人生が良かった」と羨むことこそが、普通なのだと僕は思う。
誰だって普通を追い求めているのだ。
生まれたからには、少しでも幸福を感じたいと思っているのだ。
幸せのハードルを組み立てて、そこに向かっていくからこそ、自分自身に失望するんだ。

あなたが「普通の人生が良かった」と悔いている時点で、あなたは幸せになろうと頑張っている。
自分自身を責めるのも、おかしなことじゃない。
何もおかしなことじゃなく、普通のことなんだから安心していい。
君は立派な”普通の人生”を過ごしているよ。

生きている以上、他人と自分を比較することは避けられない。
特にSNSが発展した現代だと尚更のことだ。
知ってる人・知らない人の人生が勝手に流れ込んでくる。多くの人が幸せの共有をしている。
でも、僕たちが覗いている”誰かの幸せ”だって、無数の不幸があったからこそ生まれた奇跡かもしれない。

「恋人との写真ばっか上げやがって腹立つ」
「こいつ意識高そうな暮らししてんな!」
こう感じることもあるだろう。その気持ちもめちゃくちゃ分かる。
だが捻くれた感性を持つのではなく、他人の幸福を一緒に喜ぶ人生であってほしいものだ。

だって、恋人と一緒にいたら楽しいし、意識高い暮らししてたら自己肯定感上がるもん。そりゃ周りにアピールしたくなるさ。

幸せの共有をしたがる人ほど、普通の不幸を知っているのかもしれない。だからこそ普通の幸せをシェアしたくなる。
決して「みんな大変なんだから!自分だけ不幸な顔するな!」と言っているわけではない。

君の辛い気持ちが、誰かの普通で浄化されればいいな。と感じるだけだ。

だから「普通の人生が良かった」なんて言葉で、自らの人生を縛らないでほしい。

出来る範囲でいい。もっと自由に生きよう。

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