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僕は元カノを引きずり過ぎている。

もう1年以上経ったのに、僕は毎日のように元カノの夢を見てしまう。
0時過ぎにベッドに入り、元カノの夢を見て午前4時ごろに目が覚める。
「あぁ、また見ちゃった」と思いながら水を飲んで床に入る。
日によっては二度目の登場をしてくるときもあるくらいだ。

ある意味で僕はあの人に支配されているのかもしれない。いや勝手に囚われてるだけなんだけど。

なぜこんなにも忘れられないのだろうか。
もちろん完全に元恋人を忘れるなんて無理だろうけど、どうして囚われ続けてしまうのだろうか。

頭の中では「もう忘れたい」とか「次の恋したいな~」と思っているはずなのに、あの人は僕の夢に出てくる。
しかも大半の内容が幸せそうに話をしているのも困るポイントだ。

付き合ってる時の記憶でもなんでもない。架空の理想がそこにはある。
もうどうやったって見ることができないであろう景色を見せつけてくるのだ。

きっと、永遠に刻み込まれるくらいに大好きなんだろうな。
「あの人を逃してしまったら、もう俺は恋愛なんて出来ない!」と思っているのかもしれない。
非常に認めたくないところではあるけど、やはり僕は過去を引きずっているのだ。

冷静に思い返せば、僕はあの人との良い思い出なんてあまりない。
ないがしろにされていた記憶のほうが色濃く残っているし、振り回された想い出のほうが多いくらいだ。

でも、僕は彼女の笑顔が世界一好きだったのだ。
もう全部どうでもよくなるくらいに好きでしょうがなかったのだ。

そして同時に、そんな人に嫌われたくないから無理して”カッコつけた自分”を演じてしまった。
そして気持ちを離したくないから同情を誘うような付き合い方もした。
「不幸な自分」をアピールすることで、彼女に歪んだ愛情を根付かせようとしていたのだろう。

単純に楽しいことだけ見てたいのに。一緒にご飯食べるだけでよかったのに。
「この人を離したくない」という感情は、放っておくと思わぬ方向に舵を切ってしまうことがある。

つまるところ「この人は私がいないとダメになる」と感じて欲しかったのだ。それはもはや愛でも何でもない。

だから彼女が僕から離れたのは必然だと思う。
付き合ってる時は客観的に自分を見れていた気がするけど、こうして振り返ると何にも見れていなかったと反省するばかりだ。

不幸をエサにして誰かを釣っても待っているのは互いの堕落だけ。
自分だけならまだしも、他人まで引きずってはいけない。
もっと彼女を包むような愛し方をすればよかったな。結局僕は、あの人の優しさに甘えていただけなのだ。
いい歳したくせに何をやっているのだか…。

いわゆる”重い恋愛をする人”の多くが、当時の僕みたいに『不幸への共感』を強いているんじゃないだろうか。
好きな人を離したくなくて、どうしても自分だけ見て欲しいから、過度なまで不幸をアピールしてしまう。
だってそうすれば同情してもらえるしね。分かる分かる。

もちろん皆が根っこに持っているのは「幸せになりたい!」という感情だ。
幸せになりたいから好きな人を離したくないのだ。
でもそれは独りよがり。自己中心的すぎる。

恋人という関係性はお互いに想い合って成り立つものじゃないか。
「幸せになりたい!」だけじゃなくて「幸せにしてあげたい。喜ばせたい。」と思わなきゃ。
不幸中毒のままじゃ、自分が理想とする幸せは得られない。

「愛してる」とか「好きだよ」と伝えて終わりではなく、伝えたあとに目一杯喜ばせてあげるのが愛だと感じる。

自己中心的な考えで献身を果たそうとするのではなく、ほんの少しでも他人中心で愛する人と向き合いたい。

きっと今日も元カノの夢を見る。
いつもは楽しい光景のまま寂しさを抱えて目が覚めるけど、今日は最後に「今までありがとう!じゃあね」と言えてたら嬉しいな。

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