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ハッピーエンドを信じて

人は本当に強くなるのだろうか?

よく「辛いことを1回乗り越えれば、その分強くなるよ。」なんてことを聞く。実際ぼくも誰かが辛い経験をしているのを見たときに同じような助言をしてみたものだ。

考えてみれば、叩かれた分だけ強くなる。なんていうのは絶対的な格言でもなんでもない。

人によって辛いと思うことは違うし、同じことを経験しても全く同じような感情を持つ人間なんていないかもしれない。


つい最近、私的に辛くて心が痛む出来事があった。まさに青天の霹靂というやつだ。

「誰かを傷付けてまで自身の幸せなど感じたくない。」

これは全世界の誰もが抱いている普遍的な感情だと思っていたけど、どうやら違うのかも。

傷付ける選択肢を選ぶ人間も世界には存在するのだ。全く困った世の中である。

こうなると僕はどうしても自分を責めてしまう。自分が不幸だと感じるのは自分自身に問題が100%あると本気で思い込んでしまうのだ。これまた困った性格である。

しかし、今回の落ち込み方には強い既視感を覚えていた。2年ほど前にも僕は酷く、そりゃもう目もあてられないほど落ち込んでいた時期があった。

友人曰く、「あの頃のお前は本気で自殺すると思ってた。」らしい。確かに『死』というものを身近に感じていたし、存在する価値を見失っていたのも事実だ。

周りの人たちのおかげで、何とか”落ち込み期”を抜け出したのに…。人生山あり谷ありとは言うが、谷の期間が長すぎやしないだろうか?

しかしその”落ち込み期”を振り返ると、一つだけ確かなことがある。

それは「ネガティブは何も生まない。」ということだ。ネガティブな感情からは何もプラスは出ない。

生まれたとしても「死にたい」とか「この世が憎たらしい」などの負のものばかり。この感情の発起は”生まれた”とは言えないだろう。

負の感情のループほど苦しくて、自分一人じゃどうしようもならないものはない。バッドエンドの映画なんてフィクションだと分かっているからこそエンタメとして鑑賞できるのだ。

虚構じゃなく現実に起こる悲しい出来事・負の感情は何一つエンタメじゃない。美味しそうなスイーツだって、胸キュン必死なピュアな恋愛映画だって、全部がバカらしくて憎たらしくて…。

とこんな時期を過ごしていた僕は、今回味わった傷付く出来事で「またか…」と思った。案の定ひどく落ち込んだ。

でも、でもね。「ネガティブからは何も生まれない」という経験があったことで、”落ち込み期”はすんなりと終わったのだ。

楽しいとつまらないだったら楽しいほうがいいに決まっている。美味しいものを沢山食べて、好きな人たちと笑い合ったほうがいいに決まっている。

全部が全部楽しいことで埋まる人生なんてのもありえないだろうけど、楽しいことの割合が多ければ多いほど充実しているのは言うまでもないだろう。

落ち込むことがあったら、一つでいいから希望を定めればいい。

例えば仕事で失敗して落ち込んだなら、「次任される仕事は絶対に失敗しないで遂行して上司に褒められるようにする。」

友達と喧嘩しちゃったなら、「自分から謝って仲直りする。そしてまた一緒にご飯に言って他愛もない話でゲラゲラ笑う。」

どんな小さいことでもいい。どれだけ大きくたっていい。一つ目標を自分の中で決めるのだ。

そこに向かって進めば、絶対に辿りつくはずだから。

道に迷うと「もう目的地に着かないんじゃないだろうか…?」なんて不安が過ぎるけど、実際はきちんと着く。

遠回りか近道かなんて誰にもわからないけれど、それでも絶対に叶えたい目標を抱えれば、人は希望に向かって明るく生きられるものだ。


僕は昔よりメンタルが強くなったなんて思えないけども、考え方が柔軟になった気はする。

どうしても自分一人じゃ抱えきれないときは、少しだけ相手のせいにしたり、他人を思いっきり頼ってみればいい。思ったよりも周りの世界は優しいものだから。

本当に他人を思いやりたいなら、時には自分の思いの丈を伝えるのも大切だ。「全部自分が悪い。」なんて殻に閉じこもるのは優しさじゃない。

さて、これからもきっと落ち込むことは降りかかってくるだろう。でも大丈夫。

きっと、いや絶対にハッピーエンドが待っている。だって自分が思う幸せに向かって進んでいるんだから。


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