見出し画像

良かったね

大好きだった人が結婚した。
それは、いつもと変わらない日の朝だった。
何の気なしにSNSをチェックしたら、綺麗なウェディングドレスを着て満面の笑みを浮かべる写真が載っていた。

普段はあまり「いいね」を付けることはしないのに、その写真を見た時、思わずいいねを押した。
それは心の底から「よかったなあ」と思えたからだ。

僕にとって、そのウェディングドレスを着た人は「どうしても幸せになってほしかった人」の一人だった。まあ元カノである。
些細なもつれから仲違いになってしまい、連絡も取らなくなってしまった。

しかも、彼女側が責任を感じるようなきっかけだったのも良くなかった。
仲の良かった人同士が、ある一件を境に連絡を取らなくなるなんてことはよくある話だ。
しかし、片一方だけが悪いという風潮になるのは非常に後味が悪い。

昔のことを振り返ると、自分も最低な人間だったなあと思う。
相手の気持ちを推し量ることもせず、えらく感情的に話をしていた。
もちろん「相手が100で悪い」というパターンも世の中には存在するだろうが、大抵はどちらにも責任がある。
でも当時の僕は、自分に非があることを認めたがらなかった。
彼女から「そっちも悪い」と言われたら、本気でイラっとしていたのだ。自分にも悪いところがあると心で分かっているくせに。
ダサい男やでホンマに!

そんなかんなで”後味が悪い別れ方”をしてしまったことが、ずっと心残りだった。
そりゃ分かれた当初は未練だってあるし、引きずる。
でも月日が経つに連れて、その感情は段々と変化していった。

そもそも彼女に対して怒りとか憎しみの感情はなかったし、どちらかと言えば「なんでこんなことに…」という悲しみの感情が大半を占めていた。
でも、悲しんでばかりでは人生つまらない。というか前に進まない。
だから僕は、視点を変えて考えてみることにした。
「傷つけられてしまった」という気持ちを捨てたのだ。それよりもポジティブなほうに目を向けてみよう。

起きてしまったことは変えられないのだ。それなら自分が元気になれるほうに重きを置いた方が幸せである。

考えると彼女は僕の人生において、多大なる幸せを感じさせてくれた人の一人だ。
彼女のおかげで知れたことや行けた場所がある。何より普通に”良いやつ”なのだ。
良いところを沢山知っているからこそ、どうしても幸せになってほしいと思うようになった。

連絡を取り合うこともないし、別れた後なにをしているのかも全く知らなかったけど、とにかく傷つくようなことだけはあってほしくなかった。
たまーに昔の友人から「元カノは元気そう」という話を聞くこともある。その時は心の底から安心したし、嬉しかった。

そして先日、彼女は誰よりも幸せそうな表情を浮かべた写真をSNSにアップしてくれたのだ。
おそらく、いや確実に”その日一番美しい人”だったと思う。ああ良かった良かった。

これから先も彼女と連絡を取り合うことはないだろう。お互いに何をしているか知らないまま歳をとっていくだけだ。
でもとりあえず、幸せになってほしい人の幸福な瞬間を見ることが出来て良かった。
こんなとこでアレだけど、おめでとう~!


人は何歳になっても、自分中心で物事を考えがちだ。
決してそれは間違っていないと思う。だってせっかく生まれたんだし、自分が主人公であると考えたほうが良い。
むしろ「自分の幸福=世界の幸福」くらいのデカいスケールで捉えたほうが、何かと楽しいだろう。

その「自分の幸福」の中に”周りが幸せでいること”が含まれていれば、もっとハッピーになるかもしれない。

俺の周りのやつら、全員幸せでいろよ~
またな~


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?