マガジンのカバー画像

ぼくが聖書を好きな理由

116
キリスト教の礼拝でするお話の原稿はこちらにまとめています。そんなに「新しい」とは自負していませんが、「正統派」に疲れた方々に届けたい聖書のまた一味違った魅力を書いています。
大体月に4本です。 一本200円の記事をマガジン登録で500円でお読みいただける設定にしています。…
¥500
運営しているクリエイター

#平和

平和への歩み

平和への歩み

ヤコブが兄と父を欺き、権利を取得したかのようでした。しかし、「そこまでして」獲得したはずの特権がヤコブの人生を豊かにすることはありませんでした。そもそも、何かの権利を取得するのに、そんなことまでしなければならない、そこにこそ問題があるんじゃない?とは思わなかったのでしょうか。日本に住む人々の中で

もっとみる
キリスト教会はイエスの宣教を真に受け継ごうとしているのか〜イザヤ書2章4節を巡って〜後半

キリスト教会はイエスの宣教を真に受け継ごうとしているのか〜イザヤ書2章4節を巡って〜後半

さて、前半で述べたイザヤの時代のことばは数百年のちにどのように受け継がれていったのかを考えていきたいと思うのです。それはやっぱり絵に描いた餅だったのでしょうか。
 また最後の部分は教会ではお話ししていない加筆部分です。

平和の預言はイエスによっても受け継がれました。「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイ5:39

もっとみる
クリスマスに読みたい聖書の話⑧〜イザヤ書9章1−6節(2)

クリスマスに読みたい聖書の話⑧〜イザヤ書9章1−6節(2)

前回に引き続き、イザヤ書9章1−6節からの分かち合いです。

「深い喜び」「大きな楽しみ」(2)、預言者イザヤが語る言葉とは真逆のリアルに直面しているのは2700年ほど前のユダ地域の支配者アハズ王だけではないでしょう。聖書は歴史的な書物です、というのはその通りと思います。だからこそ聖書は今の私たちのあらゆる営為に関係しているという点が落とされてしまうことが多いとも思います。
歴史とは何かについては

もっとみる
クリスマスに読みたい聖書の話⑦〜イザヤ書9章1−6節(1)

クリスマスに読みたい聖書の話⑦〜イザヤ書9章1−6節(1)

アドベントの第二週が始まります。第二週目はイザヤ書9章1−6節から。ところがこの箇所は読みようによってはとんでもなく好戦的に響く可能性があります。

特に6節の「ダビデの王座とその王国に権威は増し…」から、ユダ地方(ヨルダン川南西部地域)の勝利宣言を読み取り、それを2700年近く引きずってダビデの王座こそが秩序と安定であると信じそれ以外を徹底的に攻撃することがまかり通るからです。読み違えも良いとこ

もっとみる
イザヤ書53章1−12節を読んでみた①

イザヤ書53章1−12節を読んでみた①

代理苦を必要としているのは、本当は誰なのでしょうか?王が民の代わりに苦しむ歌を預言者は民の歌にして詠み直しました。
 代理苦は、他の人がその苦しみを担うことで、本来苦しみを受けるべき人が苦しみから免れることです。本当にそれで苦しみから免れることができるのでしょうか。

もっとみる
神 動く

神 動く

一昨日これまで住んでいた居宅をお返しし、新しい場所へ移りました。
 これまで住んでいたところとは、2021年に入ってすぐとにかく出て行かねばらなくなった事情があり、同時に子どもたちが大学進学をするかもしれないという受験真っ只中で、本当にどうすればいいのかもわからないので、どっちに転んでもなんとかなるよう、家賃が高くても一時避難的にと考えて追われるように逃げた先。ハイスペックなマンションでしたが、や

もっとみる
この地上が一つの植木鉢だったなら

この地上が一つの植木鉢だったなら

自由度が高い地の草花

電話をいただきました。「いや〜ベランダの話、最高だったわ」と。大学神学部の先輩。恥ずかしや。ぽっ。他にも「どんなけ脱力してるんや」とのライン。そうですねえ。やっつけ仕事しているように思われているのかもなあと

もっとみる
それともぼくと踊りませんか〜たわ言を信じる人びとが平和をつくる

それともぼくと踊りませんか〜たわ言を信じる人びとが平和をつくる

イースターおめでとうございます。イースター礼拝でしたお話のもとになる原稿を記事にしています。「ふざけんな!」とお怒りになられるやも、などちょっと頭をよぎったのですが、イースターはお祝いだし、ちょっとわさわさしても大丈夫かな、おゆるしあれ!と念じつつ温めてきた内容です。
この話はレント期間中にずっと考えてきたものです。受難節って、眉間にしわ寄せ、難しいことを考えている風に過ごさなければならないような

もっとみる
このままではヤバい〜キリスト教?!

このままではヤバい〜キリスト教?!

「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる」。私は、この言葉に、え?と思える人でありたいと願っています。そして、え?と思える人と一緒に生きていきたいと思います。
え?と思うということは、「そんな殺生な」と思うということです。「殺生な」は、思いやりがないという意味です。「持っている人はもういいじゃないか、持ってない人に与えてほしいわ」と、思っている人にとっ

もっとみる
願いを口にしてみると

願いを口にしてみると

イエスは、どうして泣いてしまったのでしょうか。イエスは、友人のラザロが死んで埋葬された時にも、涙を流しました。ヨハネによる福音書にのみこの話は掲載されています。墓まで行ったイエスは涙したのです。一方、ルカはエルサレムに近づいた時にイエスが泣いたことを記録しています。福音書が書かれた時代は異なるのですが、この二つの福音書を重ねて、イエスの涙の理由を考えることも大切な読み方の一つだと私は思います。イエ

もっとみる