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願いを口にしてみると

イエスは、どうして泣いてしまったのでしょうか。イエスは、友人のラザロが死んで埋葬された時にも、涙を流しました。ヨハネによる福音書にのみこの話は掲載されています。墓まで行ったイエスは涙したのです。一方、ルカはエルサレムに近づいた時にイエスが泣いたことを記録しています。福音書が書かれた時代は異なるのですが、この二つの福音書を重ねて、イエスの涙の理由を考えることも大切な読み方の一つだと私は思います。イエスがエルサレムを眺めた時、そこにある光景は、ラザロの墓の前の光景に似ているということではないかと思うのです。時系列で言えば、ラザロの墓の前の光景は、まるでエルサレム神殿での賑やかな商売や、律法学者らによる教説、宗教指導者の腐敗した活動の様子と重なっていたのではないでしょうか。
イエスは、友人が亡くなった時、その死を悼み、女たちが悲しんでいるのを見てイエスも泣きました。ここでは、イエスは一体何を見たというのでしょうか。エルサレム神殿が葬られているかのような状態であるのを悲しむ人々、それを悼む人々を見て、イエスは涙を流したのではないでしょうか。


41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
45 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、46 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」47 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、48 どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。

ルカによる福音書19章41−48節(新共同訳 聖書)

つまらない怒り

イエスは強烈な一言を発しています。
「お前を地に叩きつける」、「石を残らず崩す」、「あなたは弁えていなかった、その時を」。
この怒りは、イエスが泣いたことと地続きです。目の前に広がる不義に、イエスはもう耐えきれなくなっていたのです。私は、このイエスの強烈な言葉を読むたび、自分が怒る原因、その内容はなんと「つまらないことか」と思わされることがあります。

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