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このままではヤバい〜キリスト教?!

「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる」。私は、この言葉に、え?と思える人でありたいと願っています。そして、え?と思える人と一緒に生きていきたいと思います。
え?と思うということは、「そんな殺生な」と思うということです。「殺生な」は、思いやりがないという意味です。「持っている人はもういいじゃないか、持ってない人に与えてほしいわ」と、思っている人にとって、今日の聖書の箇所の最後は、相当にヤバいのです。

16 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。17 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。18 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」

ルカによる福音書8章16−18節(聖書 新共同訳)

筋肉質なキリスト教からの脱出

ヤバいは、汎用性のある言葉です。「良い」と、「許し難い」という意味もあります。さらにはそれが混ざってどちらとも言い難い時にも「ヤバい」は使われます。今朝、問題にしているのは「どうなっているの、これ?」というヤバさです。
何このトンチ問答?とか、「これって結局、元々ある人が報われるって話だとしたら、キリスト教は過酷なこと言うわ」と思えるというのは大事だなと思います。
これにもきっと意味があるはず、自分が持っている側に立たなくては、と焦らされるのはもういい加減やめたらいいと思います。そういうキリスト教のマッチョさ、筋肉質で強さに依存するあり方から脱出したいです。それどころか、持っていない人を侮蔑し、否定するような話をする場所は教会ではないし、心底、そんなキリスト者ではありたくないと私は思っています。皆さんは正直なところどうですか?さて、この持っていない人が取り上げられるっていうお話の意味について、このあと記したいと思います。
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