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吉海直人(1953- )『百人一首の新考察 定家の撰歌意識を探る』世界思想社 1993年9月刊 308ページ  秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ 天智天皇 後撰集 秋中 302

吉海直人(1953- )
『百人一首の新考察
 定家の撰歌意識を探る』
世界思想社 1993年9月刊
308ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4790704742

秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ
 天智天皇 後撰集 秋中 302

「百人秀歌・百人一首ともに、
巻頭には天智天皇(第三十八代)の「秋の田の」歌が配されている。
これは定家の日記『明月記』に
「古来の歌各(おのおの)一首、天智天皇より以来、家隆雅経に及ぶ」
(文暦[ぶんりゃく]二年(1235年)五月二十七日条)
と出ており、この記事が具体的に何を指すのか問題であるものの、
定家自身は最初から巻頭に天智を据える予定であったことが分かる。

続く二番に持統天皇を配し、さらに巻末に後鳥羽・順徳両院を据え、
親子二代の御製で首尾を統一している点も同様の意識と見たい。」
p.15

「百人一首、は単純に歌人百人の秀歌を撰んでいるのではない…
天智天皇は、百人の中にどうしても外せない人物として、
作者が先に撰ばれている[…]
その後で彼の詠歌の中から適当な歌を探すわけだが、
天智天皇の勅撰集入集歌は四首、
その中の二首は百人一首成立以後の
『玉葉集』・『新千載集』所収歌であり、
残った二首が
『後撰集』「秋の田の」歌と、
『新古今集』「朝倉や木の丸殿[まろどの]に我がをれば名のりをしつつ行くはたが子ぞ」(1689番)歌の二首なのだが、
ともに天智天皇の真作とは考えられないものである。」
p.16

「歌人としての天智天皇などどこにも存在しない[…]
桓武天皇以下の平安朝天皇の直系の祖として
尊重されていたために撰ばれた[…]
『後撰集』302番における天智天皇という作者表記そのものが、
村上天皇[926-967]及び梨壺の五人[『後撰集撰者]の
意図的な作為かもしれない。」
p.15

「偽作とおぼしき『後撰集』の御製が、
勅撰集の作者表記に依拠する形で
百人一首の巻頭に意図的に撰びとられ[…]
天智天皇歌として最もふさわしい
新たなる解釈が施され[…]
農耕の辛さ苦しさを詠じた素朴な、
農民になり代わって農作業の辛苦を思いやった
慈悲深い帝の歌として再生している。」
p.17

https://ja.wikipedia.org/wiki/梨壺の五人
「天暦五年(951)村上天皇の命により、
平安御所七殿五舎の一つである昭陽舎に置かれた和歌所の寄人。
昭陽舎の庭には梨の木が植えられていたことから梨壺と呼ばれた。
『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などを行った。
大中臣能宣 源順 清原元輔 坂上望城 紀時文」

https://tenki.jp/suppl/kashiwagi/2021/05/14/30399.html
柏木由夫(1949- )
百人一首成立の謎に迫る!
意外と知らない百人一首の世界を探求〈3〉

「後鳥羽・順徳の両院の歌を欠いた、
「百人一首」にわずかの差がある
「百人秀歌」という作品が、
昭和二〇年代に発見されました。

この作品は、「百人一首」にある両院の歌の代わりに、
「一条院皇后宮(清少納言が仕えた定子)」
「権中納言国信(堀河天皇近臣)」
「権中納言長方(平安末歌人)」
の歌三首が入り、
別に源俊頼の歌に差し替えがある点のみが違いで、
歌数は百一首です。
天智天皇の歌に始まり、
持統天皇・柿本人麻呂・山部赤人と続くのは、
「百人一首」と同じですが、その後の歌順はかなり異なり、
末尾は雅経・実朝・家隆・定家・公経の順です。
「百人一首」で、最後に位置していた両院の歌はありませんが、
「明月記」にある家隆・雅経が末尾というわけでもありません。」


吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して
 新典社選書 97』
新典社 2020年9月刊
312ページ
2020年11月19日読了
福岡市総合図書館蔵書
https://www.amazon.co.jp/dp/4787968475

「第一章
 天智天皇
「秋の田の」歌(一番)を読み解く」p.15-24
『日本語学』2017年6月号(第36巻6号)
「百人一首を味わう18」を大幅に増補改訂

秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ
 天智天皇
 後撰集 秋中 302

「到底天智天皇[626-671]の自作とは考えられないもの」
p.17

「秋田刈る刈廬(かりいほ)を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける
 万葉集 巻十 2174
作者不詳な伝承歌が改変され
後撰集[951年撰和歌所開設]に至って
俄かに天智天皇歌として取り入れられた。
どのような根拠・必然性があってそうなったのか
詳細は一切わからない。後撰集において、
天智天皇歌が俄かに要請された。」
p.19

「農民が農作業の辛さを歌ったものが、天智天皇歌とされると、
農民の辛苦を思いやる <聖帝> の歌として再解釈される。
仁徳天皇の
たかき屋にのぼりて見れば煙(けぶり)たつ民の竈(かまど)はにぎはひにけり
 新古今和歌集 巻第七 賀歌 707 巻頭歌
と相通じるものである。そういった徳のある天皇が要請されたのだ。」
p.22

「百人一首の巻頭二首と巻末二首に親子天皇歌が配されている。
巻頭・巻末に天皇歌が配されている秀歌撰などこれまでになかったし、
以後にも見当たらない。

ほぼ時代順に並んでいて、
平安時代の始祖天皇[[天智天皇は桓武天皇(737-806)曽祖父]
から始まって、平安時代の終焉を象徴する天皇で終わっている、
和歌で綴った平安朝歴史絵巻。

天智天皇は、遠い昔の英雄としてではなく、
平安朝の歴史を語るに必要不可欠な人物として、
一番に撰ばれている。」
p.23

「丸谷才一氏など積極的に「秋」に「飽き」を掛けることによって、
この歌を閨怨歌として解釈しておられる(『文藝読本百人一首』)。

確かに「衣・露・ぬれ」という用語からは、
百人一首の主題の一つたる恋歌としての解釈も可能であろう。
さらに「刈り」に「離る」が掛けられているとすれば、
通ってこない恋人の姿も浮上してくる。」
p.24

読書メーター
吉海直人の本棚(登録冊数8冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091377

百人一首の本棚(登録冊数15冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091294

https://note.com/fe1955/n/n586a12682eab
秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第一章 天智天皇
「秋の田の」歌(一番)を読み解く」p.15-24
『日本語学』2017年6月号(第36巻6号)

https://note.com/fe1955/n/n62266db52edf
春すぎて夏来にけらししろたへの衣ほすてふ天の香具山
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第二章 「白妙の」は枕詞か
 持統天皇歌(二番)と山辺赤人歌(四番)の違い」

https://note.com/fe1955/n/n0ba90ea3e6c6
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第三章 柿本人丸歌(三番)の
「ひとりかも寝ん」の解釈」

https://note.com/fe1955/n/n8a17ee829b0e
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第四章 柿本人丸歌(三番)の
「長々し」の特殊性」

https://note.com/fe1955/n/n4f431d990faa
かささぎのわたせる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第五章 大伴家持
「かささぎの」歌(六番)を待恋として読む」

https://note.com/fe1955/n/n33fa91b5395e
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第六章 阿倍仲麻呂
「天の原」歌(七番)の再検討 上野[誠]論を起点として」

https://note.com/fe1955/n/n1e1c79d9cfff
立別れいなばの山の峯におふるまつとし聞かば今帰り来む
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第七章 在原行平「立ち別れ」歌(一六番)の新鮮さ」

https://note.com/fe1955/n/ncf668d55a127
ちはやふる神代も聞かず竜田川から紅に水くぐるとは
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す 2
 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第八章 在原業平歌(一七番)の「ちはやぶる」幻想
 清濁をめぐって」p.97-113
『同志社女子大学大学院文学研究科紀要』17
 2017年3月

https://note.com/fe1955/n/nd7cbc56bb2ef
ちはやふる神代も聞かず竜田川から紅に水くぐるとは
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第九章
 在原業平歌(一七番)の
「水くぐる」再考 森田論を受けて」

https://note.com/fe1955/n/n0cd814798890
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十章 素性法師歌(二一番)の「長月の有明の月」再考」

https://note.com/fe1955/n/nf5c13c161a9f
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十一章『百人一首』の「暁」考
 壬生忠岑歌(三〇番)を起点にして」
『同志社女子大学大学院文学研究科紀要』13
 2013年3月

https://note.com/fe1955/n/na4105dc83b68
久方の光のどけき春の日に静(しづ)心なく花の散るらむ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十二章 紀友則歌(三三番)の
「久方の」は「光」にかかる枕詞か?」
『解釈』683集(第61巻3・4号)
 2015年4月

https://note.com/fe1955/n/nb4ff7c92d48c
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十三章 清原元輔歌(四二番)の
「末の松山」再検討 東北の大津波を契機として」p.179-199
 『古代文学研究』第二次23 2014年10月

https://note.com/fe1955/n/n3b8dec0bafab
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなを聞こえけれ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十四章 藤原公任
「滝の音は」歌(五五番)をめぐって 西行歌からの再検討」

https://note.com/fe1955/n/n16dc1cc3dbeb
大江山いく野の道の遠ければふみもまだ見ず天橋立
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十五章 小式部内侍
「大江山」歌(六〇番)の掛詞再考
 浅見論を契機として」
p.213-236
『古代文学研究』第二次 28
 2019年10月

https://note.com/fe1955/n/nf6a845025e47
夜をこめて鳥の空音にはかるともよに逢坂の関はゆるさじ
吉海直人(1953- )『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊 
「第十六章 清少納言歌(六二番)の
「夜をこめて」再考 小林論の検証」
『日本文学論究』79 2020年3月

https://note.com/fe1955/n/nfda49d0f8bf2
よもすがら物思ふ頃は明けやらぬ閨のひまさへつれなかりけり
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十七章 俊恵法師歌(八五番)の
「閨のひま」再考」
『解釈』第66巻3・4号 2020年4月

https://note.com/fe1955/n/nd0476d50dc9f
み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十八章 参議雅経歌(九四番)の
「さ夜更けて」の掛詞的用法」p.279-291
『解釈』第61巻9・10号 2015年10月

https://note.com/fe1955/n/n128163d33fd1
風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十九章 従二位家隆歌(九八番)の
「夏のしるし」に注目して」
『解釈』第63巻9・10号 2017年10月

https://note.com/fe1955/n/n2fbd6ef83427
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す 2
 言語遊戯に注目して
 新典社選書 97』
新典社 2020年9月刊
312ページ

https://note.com/fe1955/n/nce8e9a0c3675
後鳥羽院(1180.8.6-1239.3.28)
『新日本古典文学大系 11
 新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注
岩波書店 1992.1
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『後鳥羽院 第二版』
筑摩書房 2004.9
『後鳥羽院 第二版』
ちくま学芸文庫 2013.3

https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
式子内親王(1149-1201)
 田渕句美子(1957- )
『新古今集 後鳥羽院と定家の時代(角川選書)』
角川学芸出版 2010.12
『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』
KADOKAWA(角川学芸出版) 2014.2
平井啓子(1947- )
『式子内親王(コレクション日本歌人選 010)』
笠間書院 2011.4
馬場あき子(1928.1.28- )
『式子内親王(ちくま学芸文庫)』
筑摩書房 1992.8
 

https://note.com/fe1955/n/n47955a3b0698
後鳥羽院宮内卿
(ごとばのいんくないきょう、生没年不詳)
『新日本古典文学大系 11
 新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注
岩波書店 1992.1

https://note.com/fe1955/n/n34d98221cddf
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫つて行つては呉れぬか
永田和宏(1947.5.12- )
『あの胸が岬のように遠かった
 河野裕子との青春』
新潮社 2022年3月刊
318ページ

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