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大江山いく野の道の遠ければふみもまだ見ず天橋立  吉海直人(1953- )『百人一首を読み直す 2 言語遊戯に注目して』新典社 2020年9月刊 「第十五章 小式部内侍「大江山」歌(六〇番)の掛詞再考 浅見論を契機として」p.213-236『古代文学研究』第二次 28 2019年10月

吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して
 新典社選書 97』
新典社 2020年9月刊
312ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4787968475
2021年6月18日読了
福岡市総合図書館蔵書

「第十五章
 小式部内侍
「大江山」歌(六〇番)の掛詞再考
 浅見論を契機として」p.213-236
『古代文学研究』第二次28 2019年10月

大江山いく野の道の遠ければふみもまだ見ず天橋立
 和泉式部保昌に具して丹後国に侍りけるころ、都に歌合侍りけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、中納言定頼つぼねのかたにまうできて、歌はいかがさせ給ふ、丹後へ人はつかはしけむや、つかひはまうでこずや、いかに心もとなくおぼすらむ、などたはぶれて立ちけるをひきとどめてよめる
 小式部内侍
金葉和歌集 巻第九 雑歌上 550

小式部内侍(999 頃 -1025)
和泉式部の子。
万寿二年(1025)十一月没。

「小式部内侍は二十代で亡くなったこともあり、
詠んだ歌も少ないことから、家集らしきものは残っていない。
勅撰集には四首程度しか入集しておらず、
その数値からは到底一流歌人としては認めがたい。
百人一首に撰入されている理由も明白ではない。

「大江山説話」は
[『十訓抄』『古今著聞集』の他に]
『俊頼髄脳』にも収録されている。

これ程有名な和歌であるにもかかわらず、
何故『金葉集』以前の
『後拾遺集』に採られていないのか。
『金葉集』の撰者は源俊頼であり、
『俊頼髄脳』の作者も同じく俊頼。

今のところ小式部内侍の和歌も説話も、俊頼以前には遡れない。
この和歌や説話は、俊頼に見出され評価されたものということになる。

どうして俊頼以前に評価されなかったのか、
俊頼はこの和歌をどのように発掘したのかなどはわからないものの、
有名な伊勢大輔の
「61 いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへににほひぬるかな」歌にしても、
同様に『後拾遺集』には収録されておらず、
後の『詞花集』(三奏本『金葉集』)に掲載されている。

こういった当意即妙の返歌は、
『後拾遺集』では評価されなかったのかもしれない。
また「八重桜」が当時必ずしも美的なものではなかったのと、同様、
「天の橋立」にしても、
当時は美的な歌枕として認識(評価)されていなかった。

以上は、小式部が「大江山」歌を詠んだことを前提としての話である。
後世の作り話(虚構)と見ることもできなくない。
その折りに開催されたはずの歌合の記録が一切残っておらず、
必然的にその歌合で小式部が詠んだであろう歌も
伝わっていないからである。

公的行事としての歌合の記録がなく、
その前哨戦でしかない小式部と定頼のやり取りだけが
後世に伝わっているというのは本末転倒で、
歌合が行われたということ自体も疑わしくなってくる。

和泉式部が都に残していく小式部を気遣っていたという記事が
『和泉式部集』にあり、その和泉式部を定頼がからかった話が
『定頼集』にあることから、そういった記事を複合して
小式部内侍説話が醸成された可能性も否定しがたい。

仮に歌合が虚構であるとすれば、
必然的に定頼と小式部のやりとりも虚構ということになる。
もしそうなら、小式部は「大江山」歌も詠んでいないことになる。

ではこの歌の作者としてもっともふさわしい(可能性が高い)のは
誰であろうか。これはあくまで仮説であるが、
真っ先に想定されるのはもちろん俊頼その人である。」
p.221-223「四 源俊頼の浮上」

「定家が意図的に「ふみもまだ見ず」を「まだふみも見ず」に改訂した。
この掛詞[「ふみ」「文」「踏み」]は
定家によって仕掛けられたのではないだろうか。」
p.233「九 まとめ」

目次
はじめに
第一章
 天智天皇「秋の田の」歌(一番)を読み解く
第二章
 「白妙の」は枕詞か 持統天皇歌(二番)と山辺赤人歌(四番)の違い
第三章
 柿本人丸歌(三番)の「ひとりかも寝ん」の解釈
第四章
 柿本人丸歌(三番)の「長々し」の特殊性
第五章
 大伴家持「かささぎの」歌(六番)を待恋として読む
第六章
 阿倍仲麻呂「天の原」歌(七番)の再検討 上野論を起点として 
第七章
 在原行平「立ち別れ」歌(一六番)の新鮮さ
第八章
 在原業平歌(一七番)の「ちはやぶる」幻想 清濁をめぐって 
第九章
 在原業平歌(一七番)の「水くぐる」再考 森田論を受けて 
第十章
 素性法師歌(二一番)の「長月の有明の月」再考
第十一章
 『百人一首』の「暁」考 壬生忠岑歌(三〇番)を起点にして 
第十二章
 紀友則歌(三三番)の「久方の」は「光」にかかる枕詞か?
第十三章
 清原元輔歌(四二番)の「末の松山」再検討 東北の大津波を契機として 
第十四章
 藤原公任「滝の音は」歌(五五番)をめぐって 西行歌からの再検討 
第十五章
 小式部内侍「大江山」歌(六〇番)の掛詞再考 浅見論を契機として 
第十六章
 清少納言歌(六二番)の「夜をこめて」再考 小林論の検証 
第十七章
 俊恵法師歌(八五番)の「閨のひま」再考
第十八章
 参議雅経歌(九四番)の「さ夜更けて」の掛詞的用法
第十九章
 従二位家隆歌(九八番)の「夏のしるし」に注目して
初出一覧
後書き


吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す』
新典社 2011年5月刊
262ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4787967916
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/796282843779690

四年前に読んだ本。吉海直人 『百人一首を読み直す 非伝統的表現に注目して (新典社選書)』 http://goo.gl/y65g16 #bookmeter 新典社...

Posted by 山本 鉄二郎 on Thursday, March 19, 2015

吉海 直人(よしかい なおと)
1953年長崎県生まれ
同志社女子大学表象文化学部日本語日本文学科特別任用教授
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/talk/japanese/detail01/
吉海直人さんの本を読むのは7冊目です。

読書メーター
吉海直人の本棚(登録冊数7冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091377
百人一首の本棚(登録冊数13冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091294
その半分7冊は吉海直人さんです。

https://note.com/fe1955/n/n586a12682eab
秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第一章 天智天皇
「秋の田の」歌(一番)を読み解く」p.15-24
『日本語学』2017年6月号(第36巻6号)

https://note.com/fe1955/n/n62266db52edf
春すぎて夏来にけらししろたへの衣ほすてふ天の香具山
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第二章 「白妙の」は枕詞か
 持統天皇歌(二番)と山辺赤人歌(四番)の違い」

https://note.com/fe1955/n/n0ba90ea3e6c6
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第三章 柿本人丸歌(三番)の
「ひとりかも寝ん」の解釈」

https://note.com/fe1955/n/n8a17ee829b0e
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第四章 柿本人丸歌(三番)の
「長々し」の特殊性」

https://note.com/fe1955/n/n4f431d990faa
かささぎのわたせる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第五章 大伴家持
「かささぎの」歌(六番)を待恋として読む」

https://note.com/fe1955/n/n33fa91b5395e
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第六章 阿倍仲麻呂
「天の原」歌(七番)の再検討 上野[誠]論を起点として」

https://note.com/fe1955/n/n1e1c79d9cfff
立別れいなばの山の峯におふるまつとし聞かば今帰り来む
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第七章 在原行平「立ち別れ」歌(一六番)の新鮮さ」

https://note.com/fe1955/n/ncf668d55a127
ちはやふる神代も聞かず竜田川から紅に水くぐるとは
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す 2
 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第八章 在原業平歌(一七番)の「ちはやぶる」幻想
 清濁をめぐって」p.97-113
『同志社女子大学大学院文学研究科紀要』17
 2017年3月

https://note.com/fe1955/n/nd7cbc56bb2ef
ちはやふる神代も聞かず竜田川から紅に水くぐるとは
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第九章
 在原業平歌(一七番)の
「水くぐる」再考 森田論を受けて」

https://note.com/fe1955/n/n0cd814798890
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十章 素性法師歌(二一番)の「長月の有明の月」再考」

https://note.com/fe1955/n/nf5c13c161a9f
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十一章『百人一首』の「暁」考
 壬生忠岑歌(三〇番)を起点にして」
『同志社女子大学大学院文学研究科紀要』13
 2013年3月

https://note.com/fe1955/n/na4105dc83b68
久方の光のどけき春の日に静(しづ)心なく花の散るらむ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十二章 紀友則歌(三三番)の
「久方の」は「光」にかかる枕詞か?」
『解釈』683集(第61巻3・4号)
 2015年4月

https://note.com/fe1955/n/nb4ff7c92d48c
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十三章 清原元輔歌(四二番)の
「末の松山」再検討 東北の大津波を契機として」p.179-199
 『古代文学研究』第二次23 2014年10月

https://note.com/fe1955/n/n3b8dec0bafab
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなを聞こえけれ
吉海直人(1953- )
『百人一首を読み直す
 2 言語遊戯に注目して』
新典社 2020年9月刊
「第十四章 藤原公任
「滝の音は」歌(五五番)をめぐって 西行歌からの再検討」

https://note.com/fe1955/n/nce8e9a0c3675
後鳥羽院(1180.8.6-1239.3.28)
『新日本古典文学大系 11
 新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注
岩波書店 1992.1
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『後鳥羽院 第二版』
筑摩書房 2004.9
『後鳥羽院 第二版』
ちくま学芸文庫 2013.3

https://note.com/fe1955/n/n8dfcbf3d6859
式子内親王(1149-1201)
 田渕句美子(1957- )
『新古今集 後鳥羽院と定家の時代(角川選書)』
角川学芸出版 2010.12
『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』
KADOKAWA(角川学芸出版) 2014.2
平井啓子(1947- )
『式子内親王(コレクション日本歌人選 010)』
笠間書院 2011.4
馬場あき子(1928.1.28- )
『式子内親王(ちくま学芸文庫)』
筑摩書房 1992.8
 

https://note.com/fe1955/n/n47955a3b0698
後鳥羽院宮内卿
(ごとばのいんくないきょう、生没年不詳)
『新日本古典文学大系 11
 新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注
岩波書店 1992.1

https://note.com/fe1955/n/n34d98221cddf
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫つて行つては呉れぬか
永田和宏(1947.5.12- )
『あの胸が岬のように遠かった
 河野裕子との青春』
新潮社 2022年3月刊
318ページ

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