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式子内親王(1149-1201) 田渕句美子(1957- )『新古今集 後鳥羽院と定家の時代(角川選書)』角川学芸出版 2010.12  『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』KADOKAWA(角川学芸出版) 2014.2  平井啓子(1947- )『式子内親王(コレクション日本歌人選 010)』笠間書院 2011.4  馬場あき子(1928.1.28- )『式子内親王(ちくま学芸文庫)』筑摩書房 1992.8  

田渕句美子『新古今集 後鳥羽院と定家の時代(角川選書)』
角川学芸出版 2010年12月刊
2011年2月15日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4047034819

「八番目の勅撰集『新古今和歌集』が編まれた時代は、和歌の黄金期である。新たな歌風が一気に生み出され、優れた宮廷歌人が輩出した。未曾有の規模の千五百番歌合、上皇自ら行う勅撰集の撰歌、と前例のない熱気をみせながら、宮廷の政治と文化は後鳥羽院の磁力のもと、再編成されていく。後鳥羽院と藤原定家という二つの強烈な個性がぶつかりあい、日本文化の金字塔が打ち立てられていく時代の熱い息吹に迫る。」

〈目次〉
第一章 新古今時代の前夜
第二章 後鳥羽院歌壇始まる
第三章 女性歌人たちの活躍
第四章 『新古今和歌集』撰ばれる
第五章 後鳥羽院歌壇の隆盛
第六章 『新古今和歌集』の改訂と完成
第七章 帝王が支配する宮廷と文化
第八章 歌壇からはじかれた人々の開花
第九章 新古今歌壇の夕映
第十章 流謫の上皇
第十一章 都に生きる定家
第十二章 終焉と再生と
主要参考文献
あとがき

「新古今時代」を作った後鳥羽院の誕生から、藤原定家の死後までを描いていて、巻末に記載されている主要参考文献百点以上のうち五冊しか読んでいない私にも読みやすく楽しめる本でした。

「『正治初度百首』[1200年]の式子内親王の百首からは、後にその四分の一にもあたる二十五首もの歌が『新古今集』に採られたが、最も良く知られているのは『新古今集』のこの歌であろう。

 百首歌の中に、忍恋を
 式子内親王
 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする (恋 一)

自らの命を滅ぼそうとする、あまりにも有名な歌だが、これは近代において長い間、女性の、あるいは式子自身の、忍ぶ恋の歌であると解釈されてきた。

だが近年、「忍恋」という歌題は基本的に男性の立場に立つもので、女性の体験詠ではあり得ず、虚構で描き出された恋歌であり、例えば『源氏物語』の柏木のような立場に立ち、女三宮との密通の露顕を恐れる恋歌かとの説が出され(後藤祥子「女流による男歌」『平安文学論集』 風間書房 1992)、きわめて説得力に富む。式子の秘めた恋の歌であるというイメージは、払拭すべきなのである。

式子内親王は、皇女という高貴な身分にありながら、歌道家の藤原俊成に指導を受け、定家とも交流し、多くの和歌を詠んだ。とりわけ晩年の建久期に、九条家[藤原兼実・良経]で花開いた新風歌人の和歌をいち早く学び、時代の先端をゆく表現世界を捉えながら、独自の歌境を獲得した。

『千載集』以前からいくつもの百首歌を詠み、専門家人に伍して秀歌を詠出することに力を注ぐという立場を、自ら選び取ったのである。
このような道を選んだ内親王や女院は、この前には全く見られないし、後も南北朝期の永福門院まで見い出せない。」

p.64「第三章 女性歌人たちの活躍 四 異端の皇女 式子内親王を把え直す」


田渕句美子 『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』KADOKAWA(角川学芸出版) 2014年2月刊
2014年3月29日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/404703536X

「中世初頭に生まれた和歌の黄金期、この空先絶後の和歌の隆盛の陰には、社会の規範や畏れを乗り越えていった歌人たちがいた。
皇女という枠を突き破り、時には荒ぶる言葉で「私」を描いた式子内親王、
和歌を厳しく突き詰め短い人生を駆け抜けた宮内卿、
歌道家の期待を一身に背負い、誇り高く純粋に生きた俊成卿女。
帝王・後鳥羽院の期待をこえる活躍をし、後世にまで影響を及ぼした新古今歌人たちの姿を明らかにする。」

目次
はじめに
第一章 権力者と才女たち 二百年をはさんで見る 
一 『源氏物語』の時代 道長と女房文化 
二 後鳥羽院の時代へ 帝王がひらいた黄金期
 
第二章 式子内親王 後鳥羽院が敬愛した皇女 
一 若きころの式子 斎院として、内親王として 
二 和歌への情熱と精進 式子の百首歌と贈答歌 
三 『新古今和歌集』の光輝 稀代の皇女歌人として 
四 終焉の後 うつろう映像 

第三章 女房歌人たち 新古今歌壇とその後 
一 王権と女房歌人 規則と超越のはざま 
二 後鳥羽院の革新 女房の専門家人の育成 
三 宮内卿 上皇の期待を受けて 
四 俊成卿女 歌道家の歌人として 

第四章 女性歌人たちの中世 躍動と漂流と 
一 「女歌」をめぐって さまざまな言説 
二 変遷する世 女院と女房歌人のゆくえ 
皇室略系図/御子左家略系図
主要参考文献
掲載図版一覧
あとがき

2011年2月に読んだ、
田渕句美子『新古今集 後鳥羽院と定家の時代(角川選書)』
角川学芸出版 2010.12
https://www.amazon.co.jp/dp/4047034819
の姉妹篇。

新古今和歌集の代表的な女性歌人、式子内親王と宮内卿と俊成卿女を描いていて、巻末に記載されている主要参考文献百冊以上のうち四冊しか読んでいない私でも読みやすく、一週間以上毎日楽しめました。

次は、
近藤香『俊成卿女と宮内卿 (コレクション日本歌人選 050)』
笠間書院 2012.11
https://www.amazon.co.jp/dp/4305706504

を読んでみたいなぁ。

「『新古今集』に入集(にっしゅう)した歌数を見ると、当代女性歌人は、
式子内親王が突出して多い四十九首、
俊成卿女が二十九首、
二条院讃岐が十六首、
宮内卿が十五首、
殷富門院大輔が十首、
[以下略]である。」
p.146「第三章 女性歌人たち 新古今歌壇とその後 二  後鳥羽院の革新 女房の専門歌人の育成」

「後鳥羽院が治天の君として支配した時代は、唐突に幕を閉じた。承久三年(1221)五月、後鳥羽院が鎌倉幕府を倒そうとして起こした承久の乱は、またたくまに終結したのである。わずか一ヶ月後、北条泰時らが率いる約十九万の幕府軍によって都は占領された。宮廷も、宮廷歌壇も瓦解した。後鳥羽院は七月に隠岐に配流された。」p.112

「隠岐へ配流されてから十五年を経た嘉禎二年(1236)頃、後鳥羽院は、『新古今集』を見直して、秀歌だけを残す形で精撰した。隠岐本『新古今集』と呼ばれる集である。

もとの『新古今集』約二千首から四百首弱を削除した。

新古今時代が終焉した後に、後鳥羽院が改めて『新古今集』を俯瞰して、歌人たちの和歌を結局どのように評価し位置づけたかを、端的に示すものとなっている。

削除率が低い歌人は、上から、式子内親王、寂蓮、良経、家隆、俊成、俊成卿女、有家、慈円、定家、雅経という順である。

隠岐本での式子内親王は、すべての歌人の中で最も削除率が低い。もともと式子内親王は、『新古今集』の女性歌人の中で最多の四十九首が採られたが、隠岐本でも二首しか削除されていない。

うち一首は、惟明親王との贈答である。勅撰集を彩る王家の人々同士の贈答歌ではなく、題詠歌にこそ式子の歌の価値を認めていたことの証しであろう。」
p.118「第二章 式子内親王 後鳥羽院が敬愛した皇女 三 『新古今和歌集』の光輝 稀代の皇女歌人として」

「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする
藤原定家は『百人一首』に、式子のこの歌を採入した。
正確には『百人一首』の原型とされる『百人秀歌』だが、九十七首まで同じなので、ここでは『百人一首』としておく。

内親王(皇女)は百人中ただ一人である。女性歌人二十一人のうち、ほとんどは女房であり、天皇家の女性は万葉時代の持統天皇と、式子内親王だけであるから、式子内親王がここまでの長い和歌史を代表する皇女歌人として、いかに際立った存在であったかがわかる。

『百人一首』では、百首のうち、[勅撰集の]部立から言うと、恋歌は半分近くの四十三首を占める。定家は恋歌にかなり比重を置いて撰歌した。しかも女性歌人に限って言えば、二十一首のうち十六首が恋歌である。

けれども、題詠歌であってもはっきり男の立場で詠んでいる歌は、式子の歌のほかにはない。定家は「玉の緒よ…」の歌が男歌であることを深く理解していたであろうが、あえてこの歌を入れた。

女性歌人による、恋する女を歌の主体とした嫋嫋とした恋歌が並ぶなかで、この歌だけが異質な鋭さ、強さをもって屹立している。

定家は若い頃から仕えた式子内親王が、これほど激しい表現を選ぶような精神を内包していることを深く感じ取っていて、畏敬の念を抱いていたのではないか。」p.120


平井啓子『式子内親王(コレクション日本歌人選 010)』
笠間書院 2011年4月刊 122ページ
2011年6月24日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4305706105

https://kasamashoin.jp/2011/04/post_1776.html
「そのしみじみと見つめる物思いの中には、自己をも肯定せず、見ている現実をも肯定できない式子のかなしみがあるように思う。ーー馬場あき子

式子内親王(しょくしないしんのう)
「しきし」とも読む。『百人一首』に「玉の緒(を)よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」で知られる作者。後白河天皇の皇女に生まれ、若き日を賀茂斎院として過ごす。王朝崩壊から武家社会へ変革する政治の激動期に、母の死、弟以仁王(もちひとおう)の横死(おうし)に遭(あ)う。穏やかでない環境の中で歌を藤原俊成に学び、中世和歌の新風を感じさせる繊細優艶な作品を残す。高雅な精神から生まれた歌は、呪詛事件に巻き込まれるなど実生活の混濁から抜きんでた清澄(せいちょう)なもので、和歌史上に燦然(さんぜん)と耀(かがや)く。藤原定家との交流に材をとった能「定家葛(ていかかづら)」が今に伝わる。

平井啓子(ひらい・けいこ)
1947年岡山生。
ノートルダム清心女子大学大学院文学研究科博士後期課程修了。
主要著書・論文
『式子内親王の歌風』(翰林書房)
「ノートルダム清心女子大学附属図書館蔵『後水尾院御集』紹介」(『清心語文』第3号)
「黒川真頼頭注『新勅撰和歌集抄』(弄花軒祖能)–〈翻字〉」(『清心語文』第7号)

【目次】
01 色つぼむ梅の木の間の夕月夜はるのひかりを見せそむるかな
02 山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
03 ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
04 いま桜咲きぬとみえて薄ぐもり春にかすめる世のけしきかな
05 八重にほふ軒端の桜うつろひぬ風よりさきに訪ふ人もがな
06 花はちりてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
07 ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見し世に変らざるらん
08 忘れめや葵を草にひきむすび仮寝の野辺の露のあけぼの
09 まどちかき竹の葉すさぶ風の音にいとど短かきうたたねの夢
10 夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声
11 たそがれの軒端の荻にともすればほにいでぬ秋ぞ下にこととふ
12 秋風を雁にやつぐる夕ぐれの雲ちかきまでゆく蛍かな
13 うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋のはつ風
14 ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん
15 あともなき庭の浅茅にむすぼほれ露の底なる松虫の声
16 千たび打つ砧の音に夢さめてもの思ふ袖の露ぞくだくる
17 更けにけり山の端ちかく月さえて十市の里に衣うつこゑ
18 桐の葉も踏み分けがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど
19 秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへも閉ぢよ蔦のもみぢば
20 わが門のいなばの風におどろけば霧のあなたに初雁のこゑ
21 風さむみ木の葉晴れゆくよなよなに残るくまなき庭の月影
22 みるままに冬はきにけり鴨のゐる入江の水ぎは薄ごほりつつ
23 さむしろの夜半の衣手さえさえてはつ雪しろし岡のべの松
24 身にしむは庭火の影もさえのぼる霜夜の星のあけがたの空
25 天のしためぐむ草木のめも春にかぎりもしらぬ御代の末々
26 松がねの雄島が磯のさよ枕いたくなぬれそ海女の袖かは
27 たそがれの荻の葉風にこのごろの訪はぬならひを打ち忘れつつ
28 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
29 忘れてはうちなげかるる夕べかなわれのみしりてすぐる月日を
30 我が恋はしる人もなしせく床の涙もらすな黄楊のを枕
31 しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟のゆくへもしらぬ八重の潮風
32 夢にてもみゆらむものを嘆きつつうちぬる宵の袖のけしきは
33 逢ふことをけふ松が枝の手向草幾夜しをるる袖とかは知る
34 君待つと寝屋へもいらぬ槙の戸にいたくなふけそ山の端の月
35 さりともとまちし月日ぞうつり行く心の花の色にまかせて
36 生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮を訪はばとへかし
37 みたらしや影絶えはつる心地して志賀の浪路に袖ぞぬれにし
38 ほととぎすその神山の旅枕ほの語らひし空ぞわすれぬ
39 今はわれ松の柱の杉の庵に閉づべきものを苔深き袖
40 斧の柄のくちし昔は遠けれど有りしにもあらぬ世をもふるかな
41 暁のゆふつけ鳥ぞあはれなるながき眠りをおもふ枕に
42 暮るるまも待つべき世かはあだし野の末葉の露に嵐立つなり
43 日に千度心は谷になげはててあるにもあらずすぐる我が身は
44 さりともと頼む心は神さびて久しくなりぬ賀茂の瑞垣
45 静かなる暁ごとに見わたせばまだ深き夜の夢ぞかなしき

歌人略伝
略年譜
解説「斎院の思い出を胸に 式子内親王」(平井啓子)
読書案内【付録エッセイ】
花を見送る非力者の哀しみ 作歌態度としての<詠め> の姿勢(抄)
(馬場あき子)」

式子内親王(1149-1201)の和歌四十五首んを鑑賞。
四十五首のうち三十五首は『新古今和歌集』に収録されている作品。

私の好きな
「はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば花にもの思ふ春ぞへにける
 新古今 春下 101」
は取りあげられていませんでした。

「花はちりてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
  新古今和歌集 春下 149

さくらの花は散ってしまい、桜色があるというわけでもない空を、なにを眺めるというのでもなくじっと眺めていると、そのなにもない空に春雨が降っている。

新古今時代になると、従来の美意識に加え、何もないものに関心があつまり、否定的な美を好むようになっていく。この歌にはその傾向が強くあらわれている。散っている花をよむのでもなく、散り敷いた花をよむのでもない、散って跡形もなくなった状態を見つめてうたうのである。

花をうたって花はなく、花の残像が残る空に美を見出す。あくまでも花の歌でありながら、花はないのである。

何もない空の形容である「むなしき空」は、漢語「虚空」を和語化したことばといわれる。類似表現に「むなしき枝」「むなしき床」があるが、「むなしき空」同様、新古今を特徴づける歌語である。

「その色となく」も、同様の美意識からくる言い方で、美しい色あるものを受けての否定表現となっている。」p.14

「花が散ってしまったのちの空に春の雨が降っていることをよんでいるわけだから、心としては惜春の情をうたっているものと考えられる。だが、読後にひろがる感情は、惜春の情だけではおさまりきらない。

心の裡にひろがる茫漠とした感情とでも言ったらいいのであろうか。あるいは、先の見えない捉えどころのない感覚とでも言い得るであろうか。そうした心に、花を終えた空に降る春雨を見ている。

無常な世といってしまえば簡単であるが、そこまではっきり整理できていない感情が、作者の心に湿潤している。見る対象を定めないで、雨の落ちくる空を眺めている様子を描きだし、奥行きの深い無限の広がりが感じられる一首である。」p.16

馬場あき子『式子内親王(ちくま学芸文庫)』
筑摩書房 1992年8月刊
2009年11月18日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4480080120

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480080127/

「「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることのよわりもぞする」の歌に代表されるように、式子内親王の作品には、鬱と激情の交錯する、特異な審美性にあふれた作品が多い。その個性的な詠嘆の底には、どのような憂鬱の生涯がひろがり、いかなる激情にあやなされた思慕があったのか。歌と生涯を辿りつつ、沈鬱と激情の歌人、式子内親王の内面に鋭く迫る。

目次
第1部 式子内親王とその周辺 四宮の第三女式子の出生
斎院ト定前後
み垣の花 斎院式子の青春の夢と失意
前小斎院御百首のころ 平氏全盛のかげの哀傷
治承四年雲間の月 以仁叛乱と式子の周辺
贄野の池 以仁敗死とその生存説の中で
建久五年百首のころ 後白河時代の終焉と式子の落飾
軒端の梅よ我れを忘るな 病苦の中の正治百首

第2部 式子内親王の歌について 宇治の大君に通う式子の心情
式子は多量の霞を求めねばならなかった
梅のおもかげ
花を見送る非力者の哀しみ 作歌態度としての〈詠め〉の姿勢
式子を支配した三つの夏と時鳥
落葉しぐれと霜の金星
巷説「定家葛」の存在理由
忍ぶる恋の歌
式子と定家、ならびに宜秋門院丹後
梁塵秘抄は作用したか

初版 紀伊國屋新書 1969
1928年1月28日生まれな馬場あき子さん41歳、歌集以外の最初の著書。

巻頭と巻末の年表を除くと200ページほどしかない薄い文庫本ですが、読み応えたっぷりの評伝と鑑賞で、読み終えるのに四日かかりました。

何か十分に理解出来ないまま読み終わってしまったという気がしています。

「時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ
新古今和歌集 巻十六 雑歌上 1486

「ほととぎすよ、その神山の旅の一夜に、お前がほのかに鳴いて過ぎた、その空の明けゆく色を、どうして忘れ得ようか」
という、それだけの内容の一首に、
なぜ、私はこうまで執さざるを得ないのか。

一句、そして三句と、幾つにも断絶しつつ続いてゆく抒情のゆれの中に、ほのぼのと露じめりの初夏の夜明けは訪れ、短い夢はあっというまに覚めてしまって、洗われた心の色のような空色の空間が、無限の時を秘めて式子の視野にひろがってゆく。

はてしなくひろがるそれは、読者のはてしない艶な空想と重なり、式子について考えようとする時の出発点にまたいつのまにか戻ってきて佇んでいる。

この「空ぞ忘れぬ」の一首にはそうした魅力があって、中々読者を立ち去らせないのである。まさに、式子の絶唱の一つであり、もっともうるわしい式子の夏を集約してみせたものといえるであろう。」
p.166「式子を支配した三つの夏と時鳥 1 空ぞ忘れぬ」

読書メーター 和歌の本棚(登録冊数57冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091215

https://note.com/fe1955/n/nce8e9a0c3675
『新日本古典文学大系 11 新古今和歌集』
田中裕・赤瀬信吾校注 岩波書店 1992.1
丸谷才一『後鳥羽院 第二版』
筑摩書房 2004.9
ちくま学芸文庫 2013.3

https://note.com/fe1955/n/n3c66be4eafe5
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『日本詩人選 10 後鳥羽院』筑摩書房 1973.6

https://note.com/fe1955/n/n56fdad7f55bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『樹液そして果実』集英社 2011.7
『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9 
『恋と女の日本文学』講談社 1996.8





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