えみ/ヒーリングセラピスト

癒しとはなんぞやと問いながら ヒーリング専門の自宅サロンを開いている 3人子持ちの主婦…

えみ/ヒーリングセラピスト

癒しとはなんぞやと問いながら ヒーリング専門の自宅サロンを開いている 3人子持ちの主婦の想いごとです TaKaRa焼酎ハイボールをこよなく愛してます

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【自分を大切にする】を実行する前に大切にしたいこと

自分を大切にするってどうしたらいいですか 私は、すっごく子育てに悩んでいた時期がありました。子供自身の発達がゆっくりなのと、本人の気性が荒く、どうしたらよいものか困り果てていました。 我が子が何か困っているのなら、その理由を理解して適切なサポートをしないといけないと頭では分かりつつも、他の家庭の子供と比べてなぜ我が家だけ…と落ち込み、いうことを聞かない子供に対して異様に怒ってしまうことが私を苦しめていました。 そこで、ある人が言った「怒ってしまう自分も自分やん」という言葉に

    • 正しいことしか選べなくなっている

      日本人は不安傾向が強いそうだ。 自然災害が多い国だから、 \備えあれば憂いなし/ という概念を背負って育ってきた 背景があるからだろうか? 間違いを選ぶことは許さないようにと 育てられてきたのかもしれない。 やりたいことがわからない 何かやりたいという 抽象的な想いがあって でも実際 何をやればわからなくて… そんな話は良く聞く。 私は側から見たら、やりたいことを やっているように見えるらしい。 私の現在の仕事は… カラーセラピーとボディトリートメント

      • 折れた鉛筆

        長男が小学5年のとき。 何がきっかけでそうなったか、私は忘れてしまったのだが、 画像は長男が授業中に怒ってへし折った鉛筆だ。 卒業まで筆箱に入れておいた折れた鉛筆この春、中学に上がった長男。 小学校から使い続けた箱型の筆箱を今後も使いたいそうだ。 必要とされている名前ペンや、中学に上がったから使用を許されるシャーペンを入れるには、 今現在筆箱に入っている鉛筆を一本減らさないといけない。 だから、 「ずっと入れ続けていた折れた鉛筆を減らせばいいんじゃないか?」と長男に私は伝

        • チートでもいいんじゃない?

          靴紐結べなくても、靴紐結べなくて済む靴を選べばいい。 難しい演奏するなら、自分ができる範囲の音数で挑めばいい。 完璧でなくてもいいんだ。 やれ、挑め やれ、チャレンジ これを闇雲に推し進めてくるのは、ハラスメントになりかねない。 完璧に挑んでいくから、困難になる。 まずは、自分にとって心地よい環境を整えてから 自分がやってみて心地よい方法を選ぶ。 それが挑戦でいいじゃない。 チートと言われようが関係ない。 誰かがそこまで完璧に達成しているなんかは関係ない。

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        【自分を大切にする】を実行する前に大切にしたいこと

          長男の小学校卒業を迎えて

          本日、2023年3月24日。 長男が6年通った小学校を卒業した。 先週三男がこども園を卒園し、その時から私の中で卒園卒業モードになり、長男が何にするにしても「あぁ、これが最後なんだ」と感慨深く、いちいち涙脆くなっていた。 歳をとったなと思いつつ、長男の卒業式の日にはさぞ号泣するであろうと思っていたのだが、いざ当日を迎えると意外に冷静な自分もいて、 でも、卒業式を終えた途端に訪れたこみあげる想いもあり、 この想いを徒然なるままに綴ってみようと思う。 不安に満ち溢れた小学校入

          長男の小学校卒業を迎えて

          根底にあるものは…

          ある日の自問自答 私:相手にたいしてうまくいかないでほしい 心の声:そう思うのはなぜ? 私:負けたくないから 心の声:なぜ? 私:成功していると思われたい 心の声:なぜ? 私:そうある自分がかっこいいから 心の声:かっこ悪い自分は自分じゃないの? 私:そんなわけないけど、やっぱかっこつけたいやん 心の声:かっこつけたい自分を見せたいのはなぜ? 私:弱いところを見せたくないから 心の声:弱さも人間にとっては必要 強いだけの人間なんてきっと存在しないのだよ

          飽和状態でもいいんじゃない?

          世の中はなんでもかんでも飽和状態。 だから一辺倒ではなく、 「ここは合わなかったから今度はここっ」て感じで、 選択肢が多ければ多いほど、救われる人が増える。 なにか始めた人って、過去の自分を癒したい人たち。 癒されたそのツールで、今度は自分も同じように違う誰かを癒したい。 でも人って常はないから、 「あれ?昔はこうだったのに、なんか今は違うよね。」と、かつて癒された相手に対して そう思ってしまうこともある。 それは、その人が癒したい根底が一緒でも、提供しているツールが

          飽和状態でもいいんじゃない?

          ただ母の趣味に付き合わせてしまっただけだけれど

          我が家の次男三男が通う音楽教室が、野外フェスを開催した。 「ちがいを知って惹かれ合う」をコンセプトに、 障害、国籍、ジャンル、年代、プロアマなどの有無問わず、同じ時間に多種多様な人達が集まって行われた唯一無二な音楽祭だ。 動機は…まず、この音楽教室に通うきっかけとなったのは、ある記事だった。 それは、リコーダーが苦手な子のためのあるサポートグッズのことについて述べられたもの。 その当時、長男が小学校でリコーダーを習い始めたぐらいの時期。 なかなかリコーダーを上手く吹け

          ただ母の趣味に付き合わせてしまっただけだけれど

          誰かを特別におもう必要はない

          誰かを特別にすごいと思う必要はないし、 誰かを特別に嫌と思う必要もない。 自分と他人ってのも実はないらしい カレールーのようにこういう例えをしていた投稿があった。 本当は自分も他人もなくて、 もとはいっしょくたになったカレーみたいなものらしい。 たまたま、おたまで拾いあげたものが にんじんだったり じゃがいもだったり 玉ねぎだったり お肉だったり それぞれ別個のように思うけど、また鍋に戻せばカレーになる。 それを見て、あぁ、なるほどなと思った。 他人を見て自分を知

          誰かを特別におもう必要はない

          イライラの正体

          今日は朝からかなりコンディションが悪い。 ホルモンバランス的に致し方ないのだが、こんなときの犠牲者はこどもたちだ。(夫はもう仕事でいない) いつもなら許容範囲のこと ・なかなか起きてこない ・食べるのに時間がかかる ・今日の気候に合わせた服装ができない それらが引き金となり、イライラ爆破。 えらいもので、三兄弟のうち長男はこういう時に限って、私のイライラを潜り抜けてささっとこなすのだ。 弟たちとの経験の差だ。 私ばかりそういえば、今日は夫は当直の日。 ペットの世話

          おもいやり

          他人のことを100%はわからない。 わかりたくても、わからないものだ。 自分の意図しないことで喜んでもらえることもあれば、傷つけていることもある。 それをすべて把握はできない。 だから、 自分がされて嫌なことは相手にしないことを私は大事にしている。 それが、私なりの思いやりと考える。

          バイタリティの源

          去年の今頃は毎日note更新を頑張っていたのだけど、最近は発信意欲がダウンしてきている。 人はずっと安定したままなんて無理なのだから、今は今のペースでnote更新をできればよいと思っている。 私はたまに、逆ギレ、というか、よっしゃやったんで〜というスイッチが急に入る。 そうなったらめちゃくちゃ行動が早いのだ。 その姿だけを見れば、なんでこの人はバイタリティ溢れる人なんだろうと思われがちだけど、実際の私は、いかにのんびり、いかにダラダラ過ごせるかを大事にしている。 急にや

          気持ちのコントロール

          毎朝、子供達への接し方で自分のコンディションを知る。 今朝は、イライラモードだった。理由はなんもない。多分ホルモン周期的なやつだ。 鳥籠の掃除をするのに、子供に流しを使われると邪魔と感じた。 子供は自分の朝食の皿を自分で洗うのだから、何も咎めることはないのだけど、 私がやることを邪魔するなモードが発動していたため、理不尽なイライラを子供は向けられる。 ようやく、家事が落ち着いたタイミングでコンディション平常に戻る。そして、可哀想なことをしたなと振り返るのだ。 こんな親

          決まりばかりに縛られない

          色んな決まり事ってある。 それは、目に見えるカタチだったり 暗黙の了解のものだったり。 人が不快に思ったり、傷ついたりしなければ 決まり事を必ずしも遂行しなくてもいいのではなないかなと私は思う。 知らずとして不快にさせていたり、傷つけてしまったりすることはあるかもしれないけど、そこまではさすがに全部は汲み取れないから、 最低限自分がされて嫌なことはしないを鉄則にしている。 TwitterとかInstagramとか特にSNSなんかも同じことが言えるのではないか。 相手に不

          決まりばかりに縛られない

          夢の中に生き続けてる

          母の退院、推しのライブ、ツーショットチェキ。盛り沢山な1週間が過ぎ、なんかふわふわしている。 憑き物が落ちたような、軽い感じだ。 いやぁ、単純と言われれば単純だけど。 必死に頑張ろうとしていたことが、どーでも良く思ってしまっている。 頑張ってきたことを素直に認められるようになった。 私なりに、許容範囲内でやることやれているんだから、もっと自信持っていいのだ。 そんなことを気づかせてくれた1週間。 今週も頑張ろう。 あー幸せだ。

          夢の中に生き続けてる

          今日から

          今日は母が退院する日。 そして夜には推しのライブを控えている。 私にとっては色々めでたい日。 多分、みんなそれぞれの日常があって 色んなことを抱えながら生きている。 一生懸命日常を生ききっているからこそ、 非日常をうんと楽しめる。 今日は、なんだかすごく心が穏やかなのだ。 なぜかはわからないけど… 色々スケジュールは立て込んでいるんだけど… とにかく、 みんな健康でいてくれてありがとう。