見出し画像

折れた鉛筆

長男が小学5年のとき。
何がきっかけでそうなったか、私は忘れてしまったのだが、
画像は長男が授業中に怒ってへし折った鉛筆だ。

卒業まで筆箱に入れておいた折れた鉛筆

この春、中学に上がった長男。
小学校から使い続けた箱型の筆箱を今後も使いたいそうだ。
必要とされている名前ペンや、中学に上がったから使用を許されるシャーペンを入れるには、
今現在筆箱に入っている鉛筆を一本減らさないといけない。

だから、
「ずっと入れ続けていた折れた鉛筆を減らせばいいんじゃないか?」と長男に私は伝えた。

「あぁ、そうだね。そう言えば、あの時、みんなに言いすぎたよなー。」
と、折れた鉛筆を見ながら突然話し始めた。

私は何の気なしに、折れている鉛筆だし、もう筆箱に入れておく必要はないのじゃないかなと思って、提案しただけだったけど、
長男にとっては、もしかしたら、
戒め?
反省?
の意味を込めて、敢えて筆箱に入れ続けていたのかもしれないと気づいた。

迷惑をかけていない人なんていない

授業中に怒って、鉛筆へし折るなんて迷惑行為だ。他害がなかっただけいいけど、授業がそこでストップしてしまったのだから、他の児童にしてみたら迷惑な話だ。
学ぶ時間を奪われているのだから。

だけど、2年も経って、忘れっぽい長男なのに、その出来事は鮮明に覚えているようだ(親の私は忘れていたのだけど)

その経験があったからこそ、彼の中で気持ちのコントロールの仕方を学んだのかもしれない。その時に声をかけてくださった先生の言葉がずっと残っているのかもしれない。

迷惑かけないように気をつけていても、迷惑かけていることだってある。

だから、
自分が今まで経験してきたことを活かして
自分がされたら嫌だと感じることはせめて他人にはしないとか、
迷惑かけ合って学んでいくしかない。

それで社会が成り立っていくものだとも思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?