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熱のかたち

当初の目的を忘れてしまうことはよくあること。


やっていくうちに目的が変わっていくのは仕方がないのかもしれないけれど、それが団体であった時、誰かと共有していた熱量であった時、まわりはその変化をどう受け止めていけばいいのだろう。


団体や組織で動くってゆーのは、小さい頃からやっていることだけど、いつになっても問題だらけで、うまくいくことの方が少ない。


大好きなGSC学生連合の学連長を引退して、肩が軽くなった今、団体に対して思うことがたくさんある。



大学生になった今、それぞれが共有しているもの以外に別のものを抱えているのはわかっている。


3年生になって就活を始める人も増えてきて、ゼミも始まって、2年生までの自由さは一気になくなってしまった。


他で活動をしている人、アルバイトを優先するこ子、学業に集中したいと思っている人。


何を優先するかはそれぞれ、どんな活動をしているかも詳しく話すことは少なくて、互いの生活に干渉する機会は無くなってくる。


入って少しして、活動をしなくなってしまう子もいる。なんでこの団体に入ったのだろうと不思議に思う。


活動していなかったけれど、なぜか所属し続ける人。どこに理由があったんだろうとまた不思議に思う。


熱量の違いってほんとに難しい。


個人でやるものならどうなってもいいのだけど、チームでやるものは、少し熱量が違うと気持ち悪さが漂ってきてしまう。


長く、仲間で、うまくやっていくには、どうしても熱量の差はかけ違えてはいけないのだと思う。


忙しくなって、心を合わせてきたものを優先できない人も出てくる。


でも、やると言ったなら、ちゃんとやろうよ
と私は思うタイプ。


そうでない人もいるんだと思う。


入ったことで納得してしまう人。
称号だけもらえて満足している人。
立場をなくしたくない人。


所属している事に意味を見出していて、中身はあまり興味がない。優先順位が低い、もう用がない。


そうはなって欲しくはないんだけどな。
ぐるぐると考え続けた。




学生だからこその難しさだと思う。


見栄を張るための所属は本当に意味があるのだろうか。


団体の活動はアルバイトでもないし、お給料ももらえない。


いくら頑張っても目に見えて利益になるものは出てこない。


責任のある役職についても、外から見たらそこまで価値も見出せない、言ってしまえば自己満足な名称を背負って活動を続けていかなければならない。


その、外から見たら価値がないものに、自分がどこまで価値を見出していけるのか。



その価値を見出すには、所属することの先に自分がそこで何をしたいのか、目的や目標を持っていないといけないのだと思う。


最初だけ意気込んで、周りを置いて自分だけ。
それは団体では異質な塊としてしこりになってしまう。


協調性や責任感、そして所属意識。


ただただ団体に所属しているだけではダメなんだ。


称号泥棒をして欲しくはない。




人と何かを創り上げるのが好きだから、もっと良くしていきたいと考えるから、私はよくこの壁にぶつかってしまう。


自分の熱量の高さ。


私だけがこんなに高くてもしかたがないよな。


何度もそう思って、落ち込むことも、孤独を感じることもあった。これからもきっとある。


学生が団体で活動すること。


難しい、ほんとに難しい!
でも、それが面白いとも思う。


私が人生削って熱を注ぐ場所に、みんなは何をしたくて、何を求めて、やってくるのだろう。


約120人のメンバーそれぞれ、団体に何を感じているのだろう。


熱量を掻き立てるにはどうしたらいいのだろう。


学連長の任期を終えても、私の心は変わらず燃え続けている。


中心を離れて前みたいに組織を動かしていく場にはいられないけど、盛り上げる一員として、まだまだ動いていける。


学連長の任期1年間、私が1番楽しそうに活動すると心に誓った。


私から楽しさが、面白さ、熱量が伝播していったらいいと、そう思った。


でも、1人じゃ限界があった。


誰かが一緒に伝えていってくれないと、私だけでは力が弱いと感じた。


せっかく、私の大好きな学生連合に入ってくれた、仲間が増えたのだから、そこに何か意味を持って、あわよくば好きであってほしい。


そう願って願って、心を燃やし続けた。


引退直前になって後輩に、どうでしたか?と聞かれた。


楽しかった。


本当に楽しい1年だったと、最初に出た言葉はそれだった。


私はやっぱり人と関わることが好きだ。


対 人だから、人間関係の問題は尽きることがない。


それにどこまで丁寧に向き合っていけるか。
私が人と関わる時に大切にしたいと思っていること。


できない時もあったな!
めいである自分と、学連長である自分を区切っていかないといけなかった。


でも、ガチガチに組織として、厳しくはしたくなかった。


学生だから、しがらみが少ないから、まだまだ遊べるから、だからこそ許されることがきっとたくさんあるから、できる限り上と闘うのは私が担って、自由な発想で心が震えるほど面白いと思うことをやっていて欲しかった。


あと1年あったら、と考えることもないことはない。1年という任期は思っているより短かった。


こんなに熱をかけられる場所にいられて、幸せだなとよく思う。


団体の引退まではまだ少し時間がある。


なんだか最近、以前より団体の活気が少し戻ってきたような気がしている。


次は何をしようか、とみんなで考えている時間が楽しくてしょうがない。





1年生の時から側で一緒に走ってきてくれた仲間、楽しさを教えてくれた先輩方、それを引き継いでいく新しい世代。


代替わりして、また新しい空気が学連を纏っていく。


全力で走り出す後輩を見ていて、私の熱は伝わっていたんだなと思う。


私の学連生活はまだ終わっていない。


卒業まで、できるところまで学連に熱を流し続けていたい。



老害にならないといいなと思うけど。


でも、遠慮はしない。


私は私なりに。

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