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【司馬さんとの旅日記】『この国のかたち』「1.この国のかたち」

―なかなかの噛み応え、ここは一緒に乗り越えていただくしかない

司馬さんの旅に勝手ながら随伴して、その世界にひたすら耽ることを目論む【司馬さんとの旅日記】

──日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている。

『この国のかたち』は、この言葉から始まる。この連載のカタチを決めるために、司馬さんが考え抜いて選んだものと思われる。

この場合の思想とは、他の文化圏に入りこみうる──つまり普遍的な──思想をさす。古くは仏教や儒教、あるいはカトリシズム、回教、あたらしくはマルキシズムや実存主義などを念頭においていい。

司馬さんは、日本では普遍的な思想が自前で展開しなかったと続ける。さらに、古代の日本が統一国家となったのは、隋という統一国家が誕生したという情報が、日本にもたらされたからだと言う。

隋唐の官制を導入しながらも、もっともユーラシア大陸的な宦官は入れず、また隋唐の帝政の基本ともいうべき科挙の制も入れなかった。この二つをもし入れていれば、当時の日本は、中国そのものになっていたろう。さらに大きなことは、面としての儒教を入れなかったことだろう。

司馬さんの言う“面としての儒教”とは、儒教の持つ宗教意識(祭祀儀礼)のこと。

結局、日本における儒教は多分に学問──つまりは書物──であって、民衆を飼い馴らす能力をもつ普遍的思想として展開することなくおわった。

つまり、日本では、儒教が思想・宗教としてではなく、あくまで学問として展開したと司馬さんは言っている。確かに、明治維新によって学制が置かれるまで、いわゆる四書五経はエリート層の基本的素養とされてきた。

岩倉使節団に同行したことで知られる、浄土真宗本願寺派の僧侶・島地黙雷も、吉田松陰や月性に影響を受け、四書五経に熱中していたとされる。なぜ、ここでこのエピソードを書いたのかと言うと、司馬さんはここから仏教の話を展開するからである。

隋唐で成立した鎮護国家の仏教であって、あくまでも王朝や氏族を守護する効能としてのものだった。平安初期の新仏教である天台・真言も、この点ではかわりがない。奈良仏教とちがい、いわば救済の体系という面をもちつつも、隋唐的な鎮護国家の系譜から離れてはいなかった。

ファンにはお馴染み、話を脱線する際に使用するフレーズの1つ、“ついでながら”を付け加え、仏教の話を展開しながら、多くの人が聞き慣れないであろう言葉を記す。

ついでながら、日本仏教における民衆とのかかわりについては鎌倉仏教という特異なものがあり、とくに浄土真宗に妙好人という精神的な事象があるため、右のように一概にはいいにくい。

産経新聞社京都支局時代に、龍谷大学大宮学者にある図書館に足繁く通ったことは有名である。この図書館で大いに仏教を学び、名作『空海の風景』へと繋がっていくのだろう。龍谷大学は、浄土真宗本願寺派の僧侶を養成するために創立された学校である。

妙好人という言葉によって、日本仏教と精神性というところを表現されたかったのであろうが、ニッチなところを攻めるなと率直に思う。

日本仏教と精神性であれば、即身成仏の方が一般的であろう。鎌倉仏教と精神性であれば、禅宗の方が一般的であろう。

妙好人を辞書的に説明すると、浄土真宗の教えに篤信であった人ということになる。ただ、これだけでは、とても説明が不十分である。

妙好人と呼ばれた方々は、文盲の方やハンディキャップを持った方など、社会的身分が低い、今で言うマイノリティの方が少なくなかった。つまり、頭で浄土真宗の教えを理解しているのではなく、肉体から理解しているような人。

浄土真宗は、この世で悟りを開く(仏となる)ことは出来ないという教えである。

そのことは踏まえた上で説明すると、一般的に「何かあの人、悟ってるよね~」的オーラを放っている人、と説明するのが妙好人のニュアンスが最も伝わりやすいのではないかと思う。

とくに浄土真宗に妙好人という精神的な事象があるため

という司馬さんの説明に誤りはなく、さすがと言うほかない至上の表現ではあるものの、不明な方も出てくると思われた。そのため、司馬さんに比すれば、お粗末な説明ながら付け加えるに到った。

ひとびとのすべてが思想化されてしまったというような歴史をついにもたなかった。これは幸運といえるのではあるまいか。
 そのくせ、思想へのあこがれがある。
 日本の場合、思想は多分に書物のかたちをとってきた。

シニカルかつ愛情たっぷりの言葉で、この項を司馬さんはこう締めくくった。

要するに、歴世、輸入の第一品目は書物でありつづけた。思想とは本来、血肉になって社会化さるべきものである。日本にあってはそれは好まれない。そのくせに思想書を読むのが大好きなのである。こういう奇妙な──得手勝手な──民族が、もしこの島々以外にも地球上に存在するようなら、ぜひ訪ねて行って、その在りようを知りたい。

戦争体験や戦後の有り様から、司馬さんは思想やイデオロギーというものが、嫌いであったことはよく知られている。その最も嫌いな、“思想”に挑むという、高らかなる宣言なのではないかと思えてならない。

できる限り引用を少なく、まとめることを試みたが、この項は、『この国のかたち』の肝要であるため、それが困難であった。次項、「2.朱子学の作用」も、肝要な部分であるため、同じような体裁になってしまうことをご容赦いただきたい。

それ以降の項は、司馬さんの言葉をできる限り血肉化して、引用を少なく、上手くまとめつつ、プラスαの情報を提供することに努めていきたいと思う。

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