【パッチワーク書評】文藝春秋3月特別増刊号『この国のかたち』 半藤×磯田 巻頭対談
―読者にも時代にも容赦のない書きぶりに手がかりを求めて
『この国のかたち』は、1986~1996年まで『文藝春秋』巻頭に掲載された司馬遼太郎さんのエッセイ。いわゆる、司馬史観の集大成だと言えるだろう。
ファンは司馬さんに様々なものを求めているが、その1つに爽快感が挙げられる。だから、どうしても若い頃は『国盗り物語』や『竜馬がゆく』などの英雄譚に目が行きがちとなる。
『この国のかたち』に、そういった爽快感はほとんどない。波のように次から次へと知識が押し寄せ、その波が時代という大きな造形を浮き彫りにする。
読者にも時代にも容赦はない。書評として扱うことが難しい作品である。そこで、その手がかりを求めて本書を手にしたのである。
先日、惜しくも亡くなられた外交評論家・岡本行夫さんをして、こう言わしめている。
圧倒的な歴史への造詣を見せつけられて、一知半解の凡人は、司馬山脈の前に、こうべを垂れるよりほかないのである。
筆者ごときがすぐに理解できないのは、当たり前である。
さて、巻頭に作家・半藤一利さんと歴史学者・磯田道史さんの対談が掲載されている。半藤さんは、映画にもなった『日本のいちばん長い日』をはじめ、近現代史を中心に活躍しているが、元々は文藝春秋の社員であり、『文藝春秋』の編集長にまでなった人である。作家というよりも、編集者として司馬さんとの思い出を語っているのが、非常に面白い。
僕は「週刊文春」の編集部員で、受賞インタビューにうかがったんです。司馬さんはもう白髪でしたが、三十六歳。
司馬さんのトレードマークと言えば、あの美しい白髪。ファンなら一度は憧れたことがあるはず。36歳にして、すでに完成されていたのである。さらに半藤さんは司馬さんの素顔を明かす。
家に行くと、「ご馳走してやるわ」と炒飯を作ってくれましてね。「俺はこれが得意なんだ」とおっしゃって。たった二回なれども、司馬さんの炒飯を食べた人は、あまりいないかもしれません。
ここで、半藤さんは、とても興味深いエピソードを披露する。
忘れられないのは直木賞をとられてすぐ、「週刊文春」に連載された『豚と薔薇』という小説のことです。推理小説なんですが、これがまあ、あまり出来がよろしくなかった(笑)。司馬さん自身「俺はなんで推理小説を書いたのか」と嘆いて、全集にも入っていません。「もう一度『週刊文春』で復讐戦をさせてくれ」とおっしゃって載ったのが、『燃えよ剣』です。この名誉挽回作で、司馬さんの筆名はいっぺんに上がったわけです。
司馬さんの名誉を守るためか、この話はここで終わる。このエピソードを聞いて、筆者はある作家の顔が脳裏に浮かんだ。司馬さんは、あの人を間違いなく意識していたと。
司馬さんと同じく新聞記者出身で、推理小説作家として確固たる地位を築きながら、短篇で多くの歴史小説を発表。司馬さんの『豚と薔薇』が「週刊文春」に掲載されたのが、1960年7月~8月。
その頃、1960年1月から「文藝春秋」で連載が開始され、大きなムーブメントを巻き起こしていたのが、歴史事件を扱ったノンフィクション『日本の黒い霧』である。
筆者が脳裏に浮かんだ作家とは、松本清張さんである。司馬さんが、清張さんへ対抗意識を燃やしていたとするのは考え過ぎであろうか。もちろん、真相は“黒い霧”である。
ただ、司馬さんほどの天才をもってしても、向き不向きは存するのである。そうして、その後、名作『燃えよ剣』を生み出すのであるから、やはり天才であることは間違いない。
司馬さんのこのエピソードは、noteへ書き綴る筆者に、示唆するところが大きなものに感じられた。
―ちゃんと、あなたに向いた文章が書けていますか?
司馬さんに、そう問われている気がしてならない。
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