【司馬さんとの旅日記】『この国のかたち』「3.“雑貨屋”の帝国主義」
―司馬さんらしからぬ冴える悪文
司馬さんの旅に勝手ながら随伴して、その世界にひたすら耽ることを目論む【司馬さんとの旅日記】
司馬さんも人間であることを知らされる回であった。ここは、通過駅でもいいかと思えたほど。
1986~1996年と10年も続いた連載である。ハズレの回があっても仕方のないこと。
司馬さんが創作した、“モノ”と呼ぶ異胎と問答するのである。戦前の日本が作り出した化け物という意味なのであろう。
この件りがまことに冗長である。司馬さんの魅力は、これまでにも、そのいくつかを挙げてきた。
新聞記者として鍛え上げられた、後口に爽やかさすら感じる切れ味のよい文章も、そのひとつである。冗長とは対極をなしている。
描写もそれほど上手くない。例えもそれほど上手くない。話の展開も…。
次項、「4.“統帥権”の無限性」とリンクしているとも読めるので、サラリと読み流して次項へ行くのもアリである。
ただ、次項も司馬さんらしからぬ悪文は続く。そのことは、改めて書く。
次から次に押し寄せる波のような知識も、この項ではきわめて控え目である。
では、件の化け物は、どのように生まれたのであろうか。
調子狂いは、ここからはじまった。大群衆の叫びは、平和の値段が安すぎるというものであった。講和条約を破棄せよ、戦争を継続せよ、と叫んだ。「国民新聞」をのぞく各新聞はこぞってこの気分を 煽りたてた。ついに日比谷公園でひらかれた全国大会は、参集する者三万といわれた。かれらは暴徒化し、警察署二、交番二一九、教会一三、民家五三を焼き、一時は無政府状態におちいった。政府はついに戒厳令を布かざるをえなくなったほどであった。
私は、この大会と暴動こそ、むこう四十年の魔の季節への出発点ではなかったかと考えている。
司馬さんは、1905年に起こった日比谷焼打事件が原因であったと言っている。
司馬作品を読んでいると、ハッとさせられることがある。いや、ハッとさせられることばかりである。いいや、ハッとさせられたいがために読んでいると言っていい。
この項でハッとしたのは、この日比谷焼打事件の記載ぐらいである。
普通の作家なら、それで十分であるとも思える。
筆者が司馬さんに、『この国のかたち』に、求め過ぎであるのかも知れない。そんな、反省の弁をもって、本日の筆をおく。
…司馬さん、ごめんなさい
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