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【れきどくコラム】日本史有名人の少年時代 山本五十六

―褒められなかった少年は「ほめてやらねば人は動かじ」の名言を残した

懐かしの新人物往来社刊の本から、面白いエピソードを紹介する【れきどくコラム】

タイトルの通り有名人の少年時代を紹介する本である。見開きで1人というページ構成。面白いのは、戦後・戦前・明治・江戸・戦国と時代をさかのぼって紹介しているところ。また、圧倒的に近現代の人数が多い。さかのぼるほど、史料が少なくなるからだろう。

様々な方々が執筆を担当されている。文章は少し難しいが流麗でいて、どこか講談調。面白さを優先しているため、少し勇み足の点も見受けられる。例えば、博覧強記の南方熊楠は、キューバ独立戦争に参加したなんて記載がある。面白い話だったので、noteにしようかとも考えたが、調べてみるとどうも違うらしい。

有名人の少年時代

タイトル:別冊歴史読本 日本史有名人の少年時代
発行年月日:1997年3月14日

さて、本日ご紹介するのは、言わずと知れた連合艦隊司令長官・山本五十六艦長。戦前という時代を生きた人でありながら、悪いイメージがあまりない稀有な人物。今も大変な人気がある。大成されてからのエピソードは、よく知られているが、幼少期の話はあまり聞いたことがなかったため、取り上げてみた。

五十六艦長と言えばこれ

やってみせ、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。

五十六語録として、あまりに有名。この言葉のスゴイなと思うところは、やはり冒頭に「やってみせ」を持ってきていること。

やってみせられて、「カッコいい」と憧れる気持ちが大切だと思う。

ただ、「ほめてやらねば」は、正直ちょっと言い過ぎかなとも感じていた。

本書に沿って、五十六艦長の少年時代の話へ入る。

六男一女の末っ子。名前は父親が五十六歳のときに生まれたことに由来する。歓迎されて生まれてきた子どもではなかったようである。

生まれたとき、五十六にはすでに甥がいた。五十六より10も年上で、とても“甥っ子”とは言い難い。長兄・譲の嫡男で力という。力は大変な秀才で、父親の愛情は力に注がれていた。

父親からすれば、50を過ぎてから生まれた五十六は恥ずかしい子どもであり、力は自慢のかわいい孫である。

五十六も小学校を卒業するまで首席を通した。父親は経済的逼迫を理由に進学を拒否していたが、五十六の前途を惜しんだ教師が奨学金を取り付け、中学への進学が許された。

ところが、父親にとって“自慢のかわいい孫”であった力が、病のため24歳の若さで夭逝する。そのとき、父親から五十六へ投げかけられた言葉。

「おまえは高野家にとってどうでもいい子なんだ。家を継ぐべき力にかわって、おまえが死んでくれたほうがよかった」

悲嘆に暮れた上の八つ当たりなのであろうが、それにしてもヒドイ。それでも、五十六が屈折せずに済んだのは、力を慕っていたからだった。勉強の面倒を見てくれたのも、進学を薦めてくれたのも、この10歳上の甥である。

五十六にとっても実兄以上の存在であって、自らの悲嘆から父親の悲嘆が理解できたのであろう。力が勉学だけではなく、人柄にも優れていたことがよくわかる。そして、それは五十六にもしっかりと受け継がれていたのである。

高野姓から山本姓へ変更する経緯も面白いが、今回は割愛する。

海軍兵学校に2番で合格してからは、父親の期待が五十六へ移り、成長を何よりの楽しみにしていたそうである。

「ほめてやらねば人は動かじ」という言葉は、家族関係の複雑な感情が無関係ではないだろう。

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