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発信=自己表現である

どうも、ユリウスです。

最近つくづく思うことがあって、それが「発信=自己表現」だなということ。

発信するにあたって自分の感情・価値観が含まれていないものは、ただのWikipediaのような内容になるし、情報の横流しをしているだけでは選ばれることは決して無い。

たとえありきたりなテーマであっても、自分の価値観・感情が反映されているのであれば、それは立派な「作品」であり、「創造物」だと思う。

創造っていう言葉を使うと大げさに感じるかもしれないけど、僕がいいなあと感じるコンテンツは、やっぱり「作品」であり、その人らしい「表現」があるんだよね。

だからこそ、

自分の価値観を明確にしたり、日々の自分の感情の動き・違和感に敏感になる必要がある。

自己啓発本もそうだし、ライティングの教材なんて腐るほど出回っているけど、未だに売れるのは「現代人」は「人」で「商品・サービス」を選んでいるから。

結局は、自分という発信者をどう表現して届けるのがいいのか?を深く考える必要があるし、その奥には、自分は「何を伝えたいのか?」という部分が重要になってくる。

伝えたいことがあるからこそ、何かしらの形で表現したいという気持ちも生まれてくるんだよね。

もちろんビジネスという視点で考えたら、お客様の役に立つという要素は大事なんだけれども、そもそも「発信を通して伝えたいこと」だったり、発信するうえでの「強い動機」が無いと、価値提供をする意欲も湧いてこないよなーと。

ざっくりまとめると、

発信とは自己表現そのものであり、自己表現であるからこそ、自分の価値観・感情を反映させた「創造物」じゃないと、誰からも選ばれないという悲惨な結果になってしまう。

なので、発信するうえでの「自分の価値観」や「発信を通して伝えたいこと」を明確にする必要があるよね、という話。

一応補足だけど、なぜ自分の価値観・感情が反映させた発信じゃないと選ばれないのか?といえば、それはつまり「情報の質のみ」で化け物みたいな実力者と正面から殴り合うことになるから。

ようは今から家電メーカーを立ち上げるとして、機能面でパナソニックや日立、東芝、三菱といった大御所とやりあうようなもの。

その覚悟があるなら、学んだ情報をただ横流ししていればいいと思うけど、恐らくその方法でうまくいくのは一瞬だけ。

自分が学んだ情報が枯渇すれば、途端に発信する内容がマンネリ化してしまい、発信がつまらなくなって詰むからね。

ではでは。

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