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宅建試験に合格したこと。

令和5年度の宅建試験に(ギリ)合格しました。
去年に続き2回目の挑戦でした。

受験理由は、誤解を恐れずにいうと「ただ何となく」です。
ただし、適当な気持ちで受験したわけではなかった。

今回合格できたこともあり、ここまでの気持ちを言語化しておきたい。

きっかけは2年前、多くの社会人が少なからず、1度くらいは、抱く感情だと思いますが、このままの自分でいいのか、自分には何も無いではないか、今後の人生への不安や焦りが、私の中で最高潮に達していた時期です。

コロナ禍でおうち時間が増えたことにより、今まで分かりつつ蓋をしてきた「重要だけど緊急性のないこと」を日常に追われ「重要じゃないけど期日が決まっているタスク」のせいにして、自分は頑張っていると思うようにしていた時期にポッカリできる時間が、その蓋を開けるよう急かした。

開けた途端、今まで先送りにしていたことが溢れ出し、それを片付けるスキルがない自分が一気に露呈した。もう蓋は閉めれなかった。

分かってはいたけれど、大事そうに抱えて持っていたカバンの中には何も入ってはいなかった。道理でずいぶん軽いなと思った。
成長していたのは自分のイメージというカバンの大きさだけだった。

それからは腹を括ってできることから向き合っていったし、変えていった。
安易だけれど資格が欲しいと思った。
士業の中であれば・・・・宅建だ。

今の業種に関係ないし、そんな動機で受かるとも思っていなかったし、目的が曖昧だし、時間の浪費だとも思った。
分かってはいたけど、当時は本当に追い込まれていたし、何でもいいから手をつけたいと思った。勉強をして気づいたことだけれど、自己投資できるものであれば、何でもよかったと思う。

なぜなら、自己投資をして自己成長していくにしても、成長度合いを可視化できるものがあまり思いつかなかったからだ。
本を読んで知見や気づきを得ても、本当に自分が成長しているのか、変われているのか分からないし、目に見える成果があった方が自己実現欲求も満たせるし、何か一つでも成長が実感できれば、人生における満足度は総合的に高まると考えていた。

試験勉強は問題が解けるようになれば成長が把握しやすい。
自己投資の起爆剤として勉強を続けていくことができた。

さらに勉強を通じて、学ぶ喜びと学べる有り難みを実感できた。(今までどれだけ勉強してこなかったのか)
日々の生活に追われ、可処分時間や自己投資できる金銭的余裕が全くない人もいる中で、学びに興味を持って投資ができる環境に感謝しかない。

こうして勉強を続け、1回目の試験に挑んだ。
結果は不合格
それでも2点差での不合格だったのでとても悔しかった。

また1年間勉強かと思うと、それなりに絶望感も感じていた。

今年は夏頃から勉強を再開した。

明らかに理解度は増したが、資格の必要性に迫られていない分、少しだらける時もあった。だけど宅建士の資格取得の平均勉強時間の400時間は昨年と合計すると超えていた。

試験当日は、明らかにわかる問題が多かったけれど、自己採点ではギリギリの点数となった。

結果は何とか合格することができた。

成長が目に見える成果となって現れた瞬間であった。

私は、自分の努力や成長を可視化する手段として宅建を受けた。
少なくとも勉強をしていた2年は、誰が何と言おうと自分なりに前に進んでいたと言える。

生きる上で何を大切にするかは人それぞれ
ただ、私は自分が納得できる成長を自己満足の範囲でしていきたいと思った。

とても贅沢なことだと感じる。
学べる時間と学べる環境、そして何より、学べる余裕を確保していかなくてはいけない。

日々の暮らしに感謝し、習慣は次の自己成長に充てていこうと思っている。

今日もいい1日です。

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