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『砂の光』 2023星新一賞投稿作品(選外)

(あらすじ)2065~2070年、気温が大幅に上昇し陸地の1/3が砂漠と化した世界で、一風変わったロボット技術を駆使して、砂漠化の拡大を止めようとする科学者の物語。中国の内モンゴル自治区に生まれた主人公は、放牧を守る父の姿に自らの存在意義を見出しますが、彼女の才能を搾取しようと企む官僚機構に理想を阻まれます。その挫折を乗り越えた彼女が、砂漠民のプライドを賭けて挑む相手は?そしてその結果は如何に。

2065年早春。まだ青い空が広がる北京郊外に爽やかな口笛がそよいでいた。


「トヤー!そろそろ出かけるわよ。支度はできているの?」

「もうちょっと待って。父さんに会うのよ。ちゃんとしないといけないでしょ。」


母オユンは行動が速いし準備も早い。モンゴル語で“知性”を表す名に負けず、判断は速く的確だし、肌も髪も綺麗で整える必要がない。私も普段は母に似て速いのだけれど、今日は特別。久々に会う父にいい所を見せたいじゃない!だから自然と口笛が湧き出してしまう。


「お待たせ。えっ、何で母さんが運転席にいるの?今日は私が運転するよ。」

「大丈夫かしら。免許取り立てでしょう?まだ私が運転したほうが…。」

「心配ご無用。上手いって評判なんだから。それに私はロボット科学者よ。車の運転くらいで心配しないで。」


私たちはこれから、600㎞ほど離れた内モンゴル自治区に暮らす父を訪ねる所。普段母と私は北京近郊の“生態移民村”(政府が減牧政策の受け皿として整備した村)に住み、母は国の補助を、私は国から奨学金を得て大学院に通っていた。それがこの春、研究者として第一歩を踏み出したので、晴れ姿を見せにゆくのだ。


「父さん元気かなあ。前に会ったのは10年前だから、分からないかもね。」

「そうね。ネットを使わないから写真も送れない。けど親だもの、すぐ分かるわ。」

「仕事はどうなの?しばらく治まっていた砂漠化が、またぶり返したって聞くけど。」

「そうなの。お父さんも苦労しているわ。貴方に相談に乗って欲しいそうよ。」


父はノゴーン・モリ。“緑の馬”という名を持ち、放牧を生業とする砂の民。代々続いた生き方に誇りを持つが、私たちまでは賄えないから扶養から外し、自分だけ故郷に残る決断をした。私に“輝き”という名をくれたのは父だ。母譲りの知性を輝かせ、広く社会を照らして欲しいと願って付けたらしい。だから2040年、生まれたての私を母と街へ遣り、放牧の伝統から解放してくれた。だけど今の私はむしろ父の生き方を尊敬している。砂漠化を止めるのに私も何かできないだろうか?……色々考えた末に、ロボット科学者の道を選んだのだ。そんなことを考えていたら母の声が聞こえた。


「でも、何でまた砂漠化が?何十年も前に生態移民村ができ、過放牧が縮小してからは治まっていたはずよね。何か知らない?」

「地球環境が激変しているからって学んだわ。中国は割と上手く管理できているけれど、世界では砂漠化がかなり進行していて、ついに陸地の3分の1が砂漠になってしまったと。その影響で気温が急上昇し、植物によっては生育できない環境になったのではないかしら。」


そんなことを話しながら10時間以上、たまに母と運転を交代しながら夕方にやっと、父が暮らすオルドスの村に着いた。夕日を背に、丘の上から父が駆け下りて来るのが見えた。イメージより少し細く小さい気がしたが、それは多分私が成長したせいだろう。


「いやあ大きくなったな。そして綺麗になった。お母さんの若い頃にそっくりだ。まあ入れ。お腹がすいたろう。夕食ができているぞ。お前の就職祝いに頑張ってボウズ(祝い用蒸し餃子)を作ったんだ。さあ固くならないうちに食べてくれ。」

久々の対面なのにいきなり直球で褒められ、さすがに頬が赤くなった。恥ずかしいから、バレたら夕陽のせいにしよう。


「そうなんだ。年々緑が減り、これじゃうちの高級ヤギを育てられなくなる。」

「カシミヤが取れるんだよね。おかげでうちは放牧を続けられたって聞いた。」

「そうだよ。昔、政府が減牧政策を取った時、思い切って逆張りで投資して買ったんだ。その時に躊躇った家は採算が取れなくなって、結局みんな放牧を辞めてしまった。」

「その……緑が減ったのは、やはり高い気温が関係しているの?」

「そうかもしれない。ヤギが食べる植物は暑さに弱いからな。最近の夏は40℃超えが珍しくない。そうして枯れると塩分が溜まって、ますます植物が育たない土になり、締まりも悪くなって風に舞うんだ。そうして砂漠になってゆく。」


「ねえ、そんな苦労をしても放牧を続けたい理由って何なの?私は放牧の家に生まれながらその魅力を知らないからさ。この機会に父さんの言葉で聞きたいな。」

「う~ん、改めて聞かれると困るな。……でも今日はお前の門出だから、整理してみるか。そうだな、まず放牧は動物や植物とのふれあいだから、自然と一つになった気がするんだ。それに砂にはいつも苦労させられるけど、よく見てみろ。すごく綺麗なんだぞ。特に朝と夕暮れはキラキラ光って格別だ。冬の厳しさだって、それに耐える強い身体をご先祖様がくれたことに感謝が湧くし、澄んだ朝の景色は何物にも代えがたい……うん、話していて分かってきたけど、父さんの心の中でバランスがいいんだ。厳しさに耐えるとご褒美が待っていて、苦労すれば喜びがある。そういうのをひっくるめて、地球と生きているって感じがする。だから力尽きたら地球に還るだけ。この仕事をしていると、いつか死ぬのが怖くなくなった。俺もいずれあの綺麗な砂になって、果てしなく飛んでゆくんだと思うと、心が軽くなるんだ。そうそう!お前が生まれた時、小さな体から砂を連想して、“輝く”と名付けたんだよ。……でもそれが東へ飛んで、うちのカシミアを買ってくれる日本の人たちを困らせているって聞いて、悲しかった。だから小さなお前と離れるのは辛かったけれど、砂を何とかしなきゃと思って半分は政府に従った。でも俺はこの生き方を変えられない。放牧をやめたら俺じゃなくなってしまう。うまく話せないけど分かってくれるか?」

「うん。すごくよく分かるよ。放牧は知らないけど、今の話はすっと入ってきた。名前にそんな想いを込めてくれたことも、すごく嬉しい!ここにいる間に父さんの世界を知りたいから、いろいろ教えてね。」

厳しい年月で刻んだ深い皺を目尻に集めて、父はこの上なく嬉しそうに笑った。


 翌日は朝から風が強かった。家の中にも砂が入ってくるのか、口の中がじゃりじゃりする。

 「今年も黄砂の季節が来たな。昨日は食事の支度で、天気読みを疎かにしてしまった。母さんは家の目張りを頼む!トヤーは一緒に来い。砂の威力を知るいい機会だ。」


 外に出ると、遠くに茶色い雲のような砂嵐が見えた。あの形ならこちらには来ないという父の言葉を信じ畑へ出た。作物がない所の土が大きく抉れてしまっている。昨晩父が言っていた「植物が枯れると土の締まりが悪くなる」とはこういうことか。

 「作物が枯れるのって、気温だけが原因なの?」

 「いや他にもあるぞ。ここら辺だと1m位かな。掘ると白干土という硬い層があるんだ。炭酸カルシウムが集積して水を通さない。だから僅かに降る雨もこの層に沿って流れ出てしまう。その下には水があるんだが、草の根ではその層を突き抜けられないのだよ。」

 「やっぱりね。理由はその2つ?だったら、私のロボットで何とかなるかもしれないわ。」


 「やっぱりってお前、もしかして調べていたのか?そして俺のためにロボット科学者に?」

 「父さんのためっていうより、父さんが大事に思う、この砂漠のためにね。私の名前にも関係しているこの砂が、悪く言われるのって嫌じゃない?」

 「なんだかお前、赤くないか?旅の疲れで熱が出たんじゃ……どれ、見せてごらん。」

 父の手を額に感じ、私の頬はさらに林檎化。しまった、もっと夕方に来ればよかった。


 私のロボットは『樹木ロボ』。大学院1年目に着想、卒業論文で実用可能性を証明。就職した地方政府の科学技術協会から支援を受け、在学中に実機も制作済。実は今回いくつか持参していて、そもそも実証実験させて貰う気満々でやって来たのだった。


 ちなみに技術的に難しかったのは「育つ素材」の開発。生物細胞を人工的に増殖させるのは可能だが、それだと実際の樹木の生育条件と変わらず、砂漠化には無効。一方で非生物細胞の自己複製は、ロボット工学では究極の理想だが、そんな壮大な夢を追う余裕はない。そこで私は発想を大きく転換した。その成果を今こそ父に示す時だ!


その日の夕食は、持参した食材で母がツォイワン(蒸し麺)を作ってくれた。父が好きな料理を久々に母が振る舞う形で、初日のお返しをした。

「うん!さすがにオユンが作ると美味しいね。いつも真似して作っているつもりだけど、全然違うよ。ああ!作っている所をもっとよく見ておけばよかった。」

「たぶん違いは火加減だと思うわ。あとで教えてあげるから安心して。それよりトヤーに大切なことを聞くのでしょう?まずはそっちに集中して頂戴。」


 「ではではお見せします。これが私の“樹木ロボ”第1号!」

 「おおっ本物の苗木みたいだ。これが自分で育つのかい?」

「そうよ。仕組みを説明するわね。ポリマー製で、このまま植えます。すると5倍の速さで根を伸ばし、真下へ10mの深さまで進んで止まります。」

 「5倍は凄いな!それに10mなら余裕で白干土を突破できるぞ。でもポリマーってプラスチックみたいなものだろう。それが伸びたり止まったりするのか!トヤーは何ともすごいものを作ったなあ。」

 「そう見えるけど厳密には違うの。ちょっとしたトリックよ。成長させる代わりに、畳んだのです。元々10mある根を苗木の大きさに縮めて、起動したら元に戻る寸法。例えるなら巨大テントを掌サイズに折り畳んだ感じね。葉も茎もそれで伸びます。構造も工夫したけど、全体を動かすのは電力。これをAIで統合管理する所が、このロボット技術の核心であり、革新の肝ってところかな。」

「それも凄いじゃないか!じゃあその“革新的な核心”を、詳しく聞かせて貰おうか。」

 「それはね、“環境発電”って聞いたことある?身の回りにある微小な自然エネルギーを、電力に変換する技術だけど、それをここに詰め込みました。まず普通の葉では、ソーラーセルで太陽光発電を、あえて追加した横向きの葉には圧電素子を埋込み、風や砂の力学エネルギーで振動発電を、茎と幹には砂嵐等の強風エネルギーを転換できるように、棒状の風力発電機を、そして根には電極を配し、蓄えた水分を電解液とした樹液発電を……という感じ。」

 「驚いた。そんなことが出来るのか。確かに動力がないとロボットは動かないものな。でも素人発想で申し訳ないが、その電気は貯めておけるのかい?」

 「さすが父さん。そこは大事な所よ。蓄電には“重力電池”を使いました。余剰電力で、幹の中で多層になっているパイプに沿って、いろんな重さの錘を持ち上げておくの。そして電気が足りない時には、必要な分の錘を落としてその位置エネルギーを電気に変えるのよ。」

 「おおっ!それは盲点だ。古来の手法だけど、自在なコントロールが難しいのだろうね。トヤーはよく考えたなあ。それでその電力を何に使うんだい?」

 「いよいよ本題ね。樹木ロボの役割は3つ。1つ目は、白干土の下から水を汲み揚げ活用すること。2つ目は、土壌に塩分が堆積しないよう吸い上げて動物の餌にすること。3つ目は、周辺の温度を適切に調節し微生物を含めた生態系を守ること。樹木ロボだけで問題を全て解決できる訳じゃないけれど、他の生物たちがそれぞれ役割を果たせるように、身体を張るの。丈夫に作ったから、砂漠に放置してもメンテなしで10年は持つわ。」

 「いやあそれは有難い。それだけ出来て世話が不要だなんて、夢のような技術だな。でも父さんにはそれだけのお金がないよ。きっと驚くほど高いのだろう?」

 「あのね、私がそれを考えていないと思う?私が働いている協会が持つわよ。その代わり、実証実験としてデータはしっかり取らせてもらうけどね。」

 「そうか!それを聞いてほっとした。安心したら飲みたくなったぞ。トヤーが立派に成長したことに乾杯しよう。じゃあ良い酒を取ってくる。おーいオユン、久々に飲もう!」


 あれから3カ月。樹木ロボはまたたく間に根を張り、ぐんぐん背丈を伸ばし黄砂や砂嵐から牧場を守った。目に見えて緑が増し、虫も増えた。自然はいろいろと繋がっているのだ。


 集めたデータを科学技術協会で発表したら、とても良い反応だった。上司からは、論文にして権威ある学会で発表することを勧められた。駆け出しの私には推挙だけでも身に余る光栄だったのに、論文化に必要なデータまで指摘してくれた。同じ女性としてこうなりたい!と思える理想の人物なのだ。


 「陳先生、心から感謝します!先生の教室に居ながら、ご専門の農業から外れてゆく私は叱責されて当然の立場なのに……本当に何と申し上げたらよいか。」

 「𠮟責だなんてとんでもない!科学者は自然が相手。人間が定めた専門など超えて当然。何も恐縮することなどありません。それに貴方は、成すべきことをその若さで見据えている。実に立派だと思います。だから私にできる限り、何でも支援したいと思っています。」

 「ああなんて勿体ないお言葉。ご推挙に恥じぬよう全身全霊で臨みます!」


その方は陳東梅(ちんとんめい)先生。柔軟な思考の持ち主だ。ご専門の農業に、異質なロボット工学を持ち込もうとする私の破天荒な提案にも耳を傾け、しかも私のロボットが“動かない”という特殊性も早くに見抜き、建築工学,流体力学,様々な素材の専門家を的確に紹介してくれ、本当にもう!心からの尊敬に値する素晴らしい科学者なのだ。


「しかし……費用の件は、本当によろしかったのですか?父は喜びましたし、良質なデータが取れたので相応の価値はあったと思いますが、量産前の段階は一番収支が厳しいはず。先生のご心労を増やしてしまったのでは……と、心苦しくて。」

「大丈夫ですよ。砂漠化対策は国が注力する分野なので。相応の予算が期待できますし、そこを上手く獲得するのが私の手腕なので。」

「失礼いたしました!では、私はその期待を損なわぬよう尽力いたします!」

「そうそう!その意気ですよ。」

……と2人で笑い合ったが、真顔に戻った先生に少し影を感じたのは気のせい?


 それから1年、父との実証実験は順調だった。緑が一面に広がり、高級ヤギの数も増え、父は愛する砂に飲み込まれることなく、調和の取れた共存が実現していた。そしてそこから生まれた私の論文は、世界で大きな反響を呼び、権威ある学会でも、砂漠化と戦う国のみならず、気候変動の猛威に直面する国の科学者たちから、前向きな質問が引きも切らなかった。


 「素晴らしい成果ですね。その樹木ロボは、内モンゴル以外の土地でも使えますか?」

 「はい。苗木から元に戻る条件は、各地の気温や環境に合わせ自在に設定できますので。」


 「耐用期限の10年が過ぎたら、廃棄物として回収する必要がありますか?」

 「いえ。全て生分解される素材しか使っていませんので放置して構いません。」


 「しかしそのままだと、その後また砂漠化が進行してしまいませんか?」

 「いえ。砂漠化を押し戻せたので、次はもっと砂漠化の前線へ攻め上ることができます。」


 「そうすると、もう同じ場所に樹木ロボは必要なくなるのですか?」

 「はい。その場所には10年で低木等を含めた生態系が復活しているはずなので。」


 「飼育できる動物はヤギ以外でも、例えば牛とか豚とかにも使えるのでしょうか?」

 「はい。その動物が食す作物に合わせ設定でき、吸い上げた塩分濃度も調整可能です。」


 「内モンゴルより砂漠化が深刻な地域でも、同様の成果が期待できますか?」

 「とても良い質問だと思います。樹木ロボだけで全ての問題が片付く訳ではありません。中国では既に、様々な政策で砂漠化を抑え込んできた基礎があったので、今回の成果が生まれました。樹木ロボだけでも、近年激化した気候変動の影響を緩和できるとは思いますが、引き続き適切な政策との連動が必要であると考えます。」


 大成功だ!天にも昇る気持ちを抑えつつ、まずは陳先生に御礼を……と探していた所、先生が年配の男性と話している姿が目に入った。

 「……振込先は……」

 遠くの会話なので断片的にしか聞き取れなかったが、先生の遜った物腰から、相手は政府の高官だと推察できた。ただ祝福の雰囲気はなく、むしろ高圧的な空気を醸し出していた。

 「いいな。くれぐれもしくじるなよ。」

 そこだけ威圧感が増したのではっきり聞き取れた。同時に会話が終わったようで、相手が離れてゆくのを見送った後、どちらかと言えば浮かない様子の先生に、わざと陽気に呼びかけてみた。

 「先生!ここにいらっしゃったんですか。探しましたよ。」

 「あらごめんなさい。トヤーさんおめでとう!素晴らしい発表だったし、聴衆の反応も想像以上だったわね。これで貴方も各方面から注目される存在になるわ。」

咄嗟に平静を装った?僅か1秒にも満たぬ間で、私は直感した。一体なぜ?……刹那に浮かんだ表情は、驚き,狼狽,悲嘆。あれが政府高官で話題が金銭関係とすると……まさか!


 祝福の雰囲気に飲まれ、気になることを聞けぬまま帰宅すると、そこに答えはあった。

父への請求書が私に届く手筈になっていた。放牧が復調したら収入から一定の支払いを約束していたので、請求自体に問題はない。問題は支払先が、勤め先の科学技術協会でなく、政府の一機関になっていたのだ。やはりそういうことか!


 調べたら樹木ロボの知的財産が、全て政府所属の科学者名義になっていた。論文と学会の多忙を理由に、陳先生に任せっきりがいけなかった。でも今さら抗議しても無駄だろうし、先生を余計に板挟みにさせてしまう。あの表情から察するに先生も不本意だったはず。ならばむやみに追い込んではいけないし、政府が動いたとなると抵抗は無意味だ。それだけ将来性のある研究成果を出せたと、誇りに思うべきなのだろう。


 私は必死でそう理解しようとしたが、間もなく“燃え尽き症候群”になってしまった。普通に仕事をしているつもりが、いつしか注意力が散漫になり些細な失敗が激増した。それはそうだろう。人生を賭けようと思った道が突然途切れてしまったのだ。ああやる気がでない。


 見かねた陳先生から食事に誘われた。果たしてどんな顔で対話したら……全く気持ちの整理がつかぬまま、私は気の抜けた顔で先生に付いて行った。

 「本当にごめんなさい……分かっているのね。答えなくていいの。貴方の豹変ぶりを見れば分かります。無理もないわ。貴方には人生の目的だったもの。それを私は奪った。そして手の届かない所へ移してしまった。才能を搾取した私には、許して貰う資格はありません。そのままでいいから、少し私の話を聞いてくれる?」

 付いて行った先は先生の自宅だった。初めて訪れた部屋は綺麗に整って品の良い、まさに先生の人柄を表していた。そうよ、先生だって不本意だったんだ……と思った途端、自分でも驚くほどの涙が頬を伝った。どうしよう止まらない。でもその涙が、しばらく閉ざしていた心の殻を溶かしてくれたようだった。そしてもう、私の心は先生を許していた。


 先生の話はこうだ。これで科学者であることを辞めないで欲しいと。樹木ロボは確かに素晴らしい成果だったが、もう手が届かない。ならば科学者であることを諦めるのか?あるいは“より完全な技術”を追求するのか?……まだ私は選ぶことができると言ってくれた。

 「より完全な技術?」

 「そう。貴方も聴衆の質問に答えたわよね。樹木ロボだけで、砂漠化について全ての問題が片付く訳ではないと。だから政策との連動が必要……だけど中国より厳しい環境や、政府に指導力のない国は沢山あるわ……となれば、この段階で技術を奪い取った政府は、時期を見誤ったかもしれない。政府の思う程、この段階で樹木ロボを買う国は多くないと思うのよ。どう?まだ勝負は終わっていないと思わない?」


 心のどこかで音がした。そして目に力が戻った。まだ終わっていない!そしてあの先生がまだ私を信じてくれている。それがどれ程の力を与えてくれるか……身を以て実感した。

 「ええ……ええ!そう思います……でもデータが手元にないので、初めからやり直さないといけませんよね。」

 「本当に?私は貴方なら、頭で大筋を復元できて、その先へ行けると思うのだけど。」

 「!」

 「私もかつてやったことよ。貴方ならできる。そして世界中の仲間と連携するの。」

 「どういうことですか?」

 「私も全貌は知らないけれど、心ある科学者だけの地下組織があってね、そこに関わったことがあるの。貴方は論文で見たことないかしら。なぜか国籍不明で、必ずGで始まる名前の投稿を。最近いろんな分野で話を聞くわ。」

 「ええ、あります。はっきり覚えていませんが、内容は斬新で高度な印象でした。」

 「彼らはブロックチェーンで閉鎖的に繋がっているの。そこに部外者のアクセスがあると、瞬時にネットワーク自体が消滅してしまう。だから誰にも正体は掴めない。」

 「それを知っている、ということは先生も。」

 「さあどうかしらね。でもここを使えれば、貴方の理想を追求できるのではないかしら。もちろん誰でも使える仕組みじゃないのよ。記憶力は必須だけど、何より人柄。科学の力を信じ、人類は地球と未来に亘り共存できる!という信念がないと駄目。だから宇宙関係の学者はいないわね。あとこれは私も詳しくないけど、口笛の音色も条件にしているそうよ。声紋分析ならぬ音紋分析があって、貴方は相応しい人柄だと出ました。」

 「いつの間に!もしかして、前に一緒に出た大会の時ですか?」

 「そうそう。どこに人生の扉が隠れているか分からないものね。」

 「まったく……では、先生は全てを見通した上で今回のことを?」

 「傷つけたことは申し訳なかったわ。だけど最初から、そうしないと資金は調達できなかったの。だから私は逆に利用しようと思った。貴方を試しながらね。人類が地球と共存するのに不可欠の技術だと思ったから。そして貴方は見事に合格した。」

 「ここを選んだのも、盗聴の心配がないからですね。」

 「そうよ。そして貴方は、抜け殻だったのに私を信じて来てくれた。今度は私が信じる番。」


それから4年後の2070年、国籍不詳で、ある論文が発表された。『樹木ロボに付属するユニットと、そこから発着するミミズ型ロボットの開発について』と題された内容はこうだ。


「この論文では、先に中国政府の科学者が発表した樹木ロボットの付属ユニットとして、樹木ロボから余剰電力を得て、別の稼働型ロボットへ動力として電力供給、かつそこに帰着するロボットから塩分を吸収する機能を持つ機構を開発したので、その構造と性能評価を論じると同時に、ここに発着するロボットとして新たにミミズ型を独自に開発したので、これも併せて論じたい。

 なお筆者は、この論文に係る知財を全て公開し、権利を主張しないことを約束する。」


ここで考案された『ミミズ型ロボ』が、樹木ロボと連動することで、塩分の堆積を抑制し、地中の水分を引揚げる効果も格段に増した。そして何より、豊富な運動力で地中を這い回ることで微生物などの生態系を活性化し、他の植物が繁殖し易くなった。樹木ロボの3効果をそれぞれ大きく増幅させる、良きパートナーとなったのである。


しかも製作費は格安だったので、より砂漠化が進んだ地域でも緑化できるようになった。つまり中国ほど強力な政策を打ち出せない国でも、民間の資金で導入が可能となったのだ。すると砂漠化が進む国の企業だけでなく、直接関係のない国の支援団体が、クラウドファンディング等で集めた資金を投じるようになった。その結果、中国製の樹木ロボは世界中に広まり、砂漠化の最前線で力強く、そのポリマー製の身体を張ったのだった。


 ほどなく陳先生が詫びと御礼で父の牧場を訪ねた。父は即座に陳先生の人柄を見抜き、経緯を理解した。その帰り道、いきなり先生が、得も言われぬ表情で私を問い詰めて来た。

 「本当によかったの?知財を全部手放してしまって!国連に譲渡して、収益を気候変動被害の補償に充てる手もあったのに。」

 「いいんです。そうすると価格が上がる分、普及が狭まりますから。砂漠化を押し戻す、地球規模の戦いに私欲なんて要りませぬ!」

 「もーストイックなのね。でも、だから貴方は信頼される。組織でも評価がうなぎ上りで、開発済みの鳥型や虫型ロボが、樹木ロボとの連動を模索し始めたそうよ。」

 「わーそれは心強い!樹木ロボが空母みたいで、そこから潜水艦,飛行機,ヘリが発着するイメージですね。何か本当に砂漠化に勝てそうな気がしてきました。」

 「何言っているの。最初から勝つ気だったくせに。見たわよ。貴方が投稿した論文の名前。Gereruとはモンゴル語で光。濃厚だった敗色を見事にひっくり返したわね。」

 私に輝きの名をくれた砂漠民の父。不意にその深い皺を刻んだ笑顔が浮かび、不覚にも林檎化した私の頬を、今度は砂漠の夕日が優しく隠してくれた。

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