レトロな中学時代 その2
石井くんか鈴木くん
中学生のわたしには、理想の男の子像があった。
まず、絶対に、運動が出来ること。体育の授業で目立ってること。これは必須条件だった。
でも、それだけでは駄目。頭も良くないといけない。成績がよいとかではなくて、知恵のあふれる人が良い。
「脳みそが筋肉」みたいな人は、申し訳ないけど、御免こうむりたい。
そして、まだ大切なことがある。
ユーモアのセンスがわたしと似ていること。
一緒に笑えること。
それに、自分の気持ちを、恥ずかしいとか思わずに言えること。
最後に。わたしが励ましてあげたいと思える人。
わたしは励まされることはあまり好きではなくて、励ましたいほうだからだ。
理想は理想なんだけど、全部の条件に当てはまる男の子は、なかなかいなかった。
なにせ昔のことなので、その時代の東北の男の子は、なんといっても恥ずかしがりで無口なのだ。自分の気持ちを臆面もなく言える子なんて皆無だった。
それでいて、どんな根拠か分からないけど、男の子だっていうだけで威張っているから、励まして欲しいような感じも見受けられない。
あぁ、もう!全然駄目!
理想の男の子は存在しなかった。
ところが、ところがである。中学も二年生になり、秋の二学期が始まった頃に、変化は起きてきた。男の子たちの雰囲気が、変わってきたように感じられたのだ。
男の子たちは、なんとなく、哀愁を帯びてきた感じがした。強気なばかりだった男の子たちが、時折、フッと寂し気な表情を見せるようになってきたのだ。
そのなかでも、石井くんと鈴木くんの変化はすごかった。寂し気な表情が、かなりグッとくる。
いいなぁ。あの二人。
わたしはどちらかの子となら、帰り道、一緒に帰っても良いなぁ。と、思った。でも、チャンスは全然なかった。二人とも、わたしには見向きもしなかった。
好きでもない男の子からは告白されるのに、いいなぁと思う男の子からは、ほぼ無関心な対応を受けていた。
うまくいかないね。。
イジイジしたまま、中学時代は過ぎて行った。何も起きることは無かった。こころのなかでいろんな妄想をして、楽しんでみるばかりだった。
でも、わたしの理想の男の子像は、今でも、中学時代とあんまり変わっていないかもしれない。たとえ妄想でしかなくても、いろいろ考える中学時代って大切なんだな。と思う
明彦くんとフランコ・ネロ
中学二年生の新学期を少し過ぎた頃、わたしたちのクラスに転校生が来た。
わたしの通う学校は、転校して行く人は時々いたけれど、転校して来る人はめったにいなかったので、印象的な出来事だった。
転校生は、「明彦くん」という男子である。
何故か「明彦くん」には、わたしの隣の席があてがわれた。担任の先生はわたしに、
「明彦くんは転校して来たばかりで、まだ、教科書が無いので、見せてあげて下さいね。」
と言った。
一つの教科書を、二人で一緒に見るわけだから、当然なことに、二人はかなり接近してしまう。わたしは少しドキドキした。
「明彦くん」は、教科書を見せると、
「ありがとう。」
と、言ったけれど、あとは何も言わない。無口な子なのかな、と思った。
それでも毎日二人で一緒に、一つの教科書を見ているうちに、さすがに、少しずつ、「明彦くん」も打ちとけてきた。
彼はよく消しゴムを忘れてきた。そうしてわたしに、
「ごめん、消しゴム貸してくれる?」
と言った。
「いいよー。真ん中に置くからいつでも使ってね。」
そう言って、わたしは消しゴムを、「明彦くん」の机寄りに置いた。
「明彦くん」は、時々わたしの消しゴムを使っては、また、机の同じ場所に戻した。
けれど、何日経っても、「明彦くん」はやっぱり無口だった。あんまり私の方をまっすぐ見ない。わたしたちは並んで座っているし、「明彦くん」の顔をちゃんと見るチャンスはほとんどなかった。
そこで、わたしは、休み時間に、他の男子と談笑している「明彦くん」の表情を、盗み見ることにした。
そうしたら、気がついたのだ。
「明彦くん」は、わたしが大好きな、マカロニ・ウェスタンのスターの、「フランコ・ネロ」と似ている!ということに!
その頃、わたしは、何故か、マカロニ・ウェスタンにはまっていた。
深夜テレビの洋画ロードショーで、たまたま観たマカロニ・ウェスタンの「フランコ・ネロ」の、寡黙で正義感に満ちた佇まいに、すっかり虜になってしまっていたのだ。
マカロニ・ウェスタンのヒーローは、なんといっても、「ジュリアーノ・ジェンマ」だったのだけれど、わたしに素敵に見えたのは、二番手の「フランコ・ネロ」のほうだった。
名画座に「マカロニ・ウェスタン」が来て、主演が「フランコ・ネロ」な時は、必ず観に行った。
その頃の映画館は、まだ、今のような入れ替え制ではなかったので、わたしは、朝一番に入ったら、一日中、ずっと、飽きるまで「フランコ・ネロ」を見ていることが出来たのだ。
「マカロニ・ウェスタン」は、残酷な場面も多く、血みどろな人が大画面一杯に映し出されることもあって、子どもだったのに、よく見ていられたものだ、とも思うのだけれど、あの当時のわたしは何故か平気で観ていた。
もしかしたら、「フランコ・ネロ」だけを観ていたのかもしれない。
むさ苦しい感じの男なのに、目の中に知性が宿っていて、目の印象がとても涼しい。もう、ぞっこんだった。
そんな「フランコ・ネロ」と似ている「明彦くん」!
わたしは、その瞬間に、「明彦くん」に恋をした。
良く見ると、「明彦くん」の「目」にも、やっぱり知性が宿っていて、そうして、目は、「フランコ・ネロ」のように青くはないけれど、やっぱり涼しいのだ。
わたしの隣には「フランコ・ネロ」が座っている!と思ったら、断然ワクワクした。
「明彦くん」は無口でいい。だって「フランコ・ネロ」なんだもの。
わたしは、そう思うことにした。だから、「明彦くん」の無口は、もう、気にならなくなった。
わたしは毎日、「フランコ・ネロ」に教科書を見せて、「フランコ・ネロ」に消しゴムを貸している、と思ったら、授業中も楽しかった。
けれど、そんな楽しい日々は、長くは続かなかった。
まだ、教科書も揃っていないのに、「明彦くん」は、またまた転校することになってしまったのだった。
夏休み前に、「明彦くんのお別れ学活」が開かれた。みんなで、ゲームをしたり、歌を歌ったりして、「明彦くん」とのお別れを惜しんだ。
「明彦くん」は、最後に、
「みんな、ありがとう。」
と言ったけれど、それ以上は続かなかった。やっぱり無口だった。
夏休みが明けて、学校が始まった時には、もう、「明彦くんの姿」はどこにも無かった。
それでも、わたしの「フランコ・ネロ」は、まだ、スクリーンに居た。
三年生になる少し前に、「フランコ・ネロ」は、「マカロニ・ウェスタン」の映画ではなく、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の、「哀しみのトリスターナ」という映画に、カトリーヌ・ドヌーヴの恋人役で登場した。
むさ苦しい西部劇の、汚らしい服装ではなく、現代的な、貧しい画家の役だった。
知性的な、涼しい目もとが生きる役だったので、わたしはますます好きになった。
「フランコ・ネロ」は、愛に満ちた人生を送った人で、おじいさんになった今でも、やはり、知性的な印象で、素敵な人だ。
中学二年生のときに、一瞬恋した「明彦くん」は、その後、どうなったのだろうか。
「フランコ・ネロ」のように、おじいさんになっても、素敵な人になっていてくれたらいいな、と、ふと思う。
怪しいパーティ
中学二年のクリスマス・イヴは、不思議な一日だった。今でも、本当にあったことだったのか、わからなくなるくらいだ。
あの日は、学校は終業式で、次の日から冬休みということになっていたと思う。学校が終わるとき、席の近かった男の子三人と女の子三人とで、今夜クリスマスパーティーをしようよ、ということになった。
言い出しっぺの男の子は、こう言った。
「今夜さ、おかあさんが外のクリスマスパーティーに行っちゃうから、オレ、一人ぼっちなんだよ。ご飯も用意して出かけるから、お友だち連れてきて食べていいよ。って言われてるんたけど。」
その子はおかあさんと二人暮らしで、おかあさんは実業家だった。
「そうなの。じゃ、淋しいね。みんなで行ってあげるよー。」
わたしたちは協力してあげることになった。一旦各自家に帰り、着替えてから街で待ち合わせて、その子の家を訪ねた。
学校は終業式で早めに終わっていたので、夕方の五時過ぎにはその子の家に着いていたと思う。
「来たよー。」
「やぁ。いらっしゃい。どうぞ。入って入って。」
その子は上等なセーターを着ていた。私服姿をあまり見たことがなかったので、なんだか違う子に見えた。
その子の家を訪ねた面々は、少しとぼけたことを言ってはみんなから笑いをとる男の子、医者の息子で、将来は医者になることを期待されているすごい秀才の男の子、大学教授の一人娘で、頭の良いわたしの親友の女の子、個性的な美人で、クールな雰囲気が魅力の女の子、そしてわたし、であった。
テーブルには、クリスマスの定番のお料理がたくさん並んでいた。これをもし、お留守番の男の子が一人で食べていたとしたら、とてもかわいそうなことだったと思う。なので、来てあげて良かった!とみんな思ったはずだ。
「美味しいね!」と言いながら、わたしたちはしこたま食べた。お腹が一杯になると、テーブルの主は、奥からシャンパンを持ってきた。赤ワインも持ってきた。
「え?わたしたち、呑んでいいの?」
絶対いけないはずだけど、昔の東北では、あまりにも大人がお酒漬けだったために、お盆やクリスマスやお正月に、大人から、盃一杯くらいのお酒は、あてがわれて呑ませてもらっていたので、みんな、少しは呑んだことがあったのだ。
それでも、シャンパンも赤ワインも一本ずつあって、主が持ってきたのは、大きなコップ六個だ!
「いいのかなー?」
と言いながらも、わたしたちは、ハメを外してみたくてワクワクしていた。誰も見てないしな。
主はシャンパンを開けた。わたしたちは、コップに入れて乾杯して、笑って呑んだ。禁断の酒盛りである。
わたしは、父親がイケる口だったので、顔も赤くならず、わかりやすく酔ったふうには見えなかった。女の子たちは意外と平気そうだった。
でも、男の子たち、特に、医者の息子は、耳まで真っ赤になって、熱でも出した子のようになってしまった。主も赤くなったし、とぼけた子もほっぺが薔薇色になって、赤ちゃんみたいになった。
「外に出て冷まそう。」
「おかあさんのパーティー会場まで、すぐだから行ってみよう。寒いところを歩いたらきっと冷めるから。」
主はそう言って、みんなを急き立てたので、わたしたちは外に出た。主の家は街の真ん中で、外に出るとすぐに繁華街なのだった。
「あそこがおかあさんのパーティー会場だから、もう見えてるから大丈夫!」
わたしたちは、意味も分からずパーティー会場に潜入した。パーティーには、ざっと百人以上の参列者がいた。壇上で、挨拶をしている男の人がいて、時折、拍手などが起こっていた。
わたしたちは、そうっと入って、いかにも参列者であるかのように、壁際に並んだ。主のおかあさんも見える位置にいた。
ふと、壇上を見あげると、その時、そこで挨拶をしていたのは、なんと、わたしの父だった!
「え。マズい!」わたしは小声でつぶやいた。父は、市役所職員だったが、その頃は、大分出世していて、市長の代理で挨拶をしていたのだ。
「帰る!」わたしは父に見つからないうちに帰らねばと焦った。真っ赤な耳の医者の息子も、「ぼくも帰る。」と言い出した。
わたしと医者の息子は、主に合図をして手を振って、そうっと会場を抜け出した。
さて、抜け出したら、また、繁華街である。
「どうしよう。」
「タクシーで帰る。」と、医者の息子は言い出した。二人でタクシーに乗って、先にわたしの家に行き、そのまま、今度は医者の息子の家まで行ってもらうことにしよう、と秀才らしく言い放った。
「タクシー代は、ぼくお金持ってるから全部払ってあげるよ。」 さすがにお金持ちだ。お酒が入ってるから、太っ腹になっているのかもしれなかった。
「わかった。でも、○○くん、すごく赤いし、よく喋れていないから、お酒呑んでること、ばれそうだよ。だから、一言も喋らないでね。」と、わたしは忠告した。
二人は無言でタクシーに乗り、わたしが行き先を告げ、一言も喋らずに、家まで帰った。繁華街から、それぞれの郊外の家まで、結構な時間、二人は無言だった。
本当は、話したいことが一杯あったのだ。だって、わたしはその頃、席が隣り合わせになったその秀才に、淡い恋心を抱いていたのだから。
素晴らしいチャンスだったはずなのに、二人は無言を貫いた。わたしが先に家に着いて、タクシーを降りる時も、ただ手を振っただけだった。
父は、幸いにも、わたしに気づいていなかった。お友だちの家でクリスマスパーティーをして来るからね、と言って家を出たので、母も普通に「おかえり。」と言っただけで、事は済んだ。
中学二年のクリスマス・イヴは、こうして過ぎていった。好きな子と二人で、タクシーに乗っていたのに、耳まで赤いその子は、気持ち悪そうだったし、わたしはなんにもしてあげることが出来なかった。
年が開けると席替えがあり、その子とはずいぶんと席が遠くなってしまって、もう、話す機会は無くなってしまった。
あのクリスマス・イヴのことは、秘密であって、あのとき集まった子たちの誰も、その後、その話題に触れることはなかった。
だから、今でも、夢のなかの出来事だったような気がしてしまうのだ。潜入したパーティー会場の壇上に父がいたなんて、出来過ぎだ。
全ては夢だった、と思っても良いのかもしれないけれど、どう考えても、残念なクリスマス・イヴだったと今でも思う。
おおくにぬしのみことさま
だいぶん幼い頃から、わたしは、「おおくにぬしのみことさま」と結婚するのだ、という希みを持っていた。それは、幼かったわたしが、神棚に飾られている「おおくにぬしのみことさま」のお姿に恋をしてしまったことから始まっていた。
幼い頃の奇想天外な妄想と言ってしまえばそれまでなのだけれど、不思議なことには、わたしのこころのなかには、ずっと「おおくにぬしのみことさま」への思慕の念がそのまま温存されていて、そのおもいは、時折、忽然とわたしの前に現れては消える、を繰り返していた。
ーーわたしは、将来、「おおくにぬしのみことさま」と結婚することになっている。
この想念は、わたしにとって、忘れた頃にまた意識のなかに現れては消える、ずっと変わらぬ大問題だった。幼稚園の時も、小学生だった時も、そして、中学生になってからも、である。
そして、やっかいなことに、わたしは、もう幼稚園の頃に、既に、「おおくにぬしのみことさま」に違いないと思われる人物を自分なりに特定していたのだ。幼なじみの男の子である。
ーーなんとなく、顔つきや雰囲気がわたしのイメージの「おおくにぬしのみことさまぽい」と、わたしは勝手に思っていた。
幼稚園の頃は、わたしたちは近所に住んでいて、よく一緒に遊んだ。幼稚園も一緒だった。仲良しだったし、遊んでいて楽しい子だった。
小学校も一緒で、わたしは途中で引っ越したので家は遠くなってしまったけれど、六年間、クラスも同じだった。
その子は優しくて、頭も良く、クラスのリーダー格で、困っている子にいつも親切だったので、「おおくにぬしのみことさま」ぽい特徴をかなり兼ね備えている、とわたしは思っていた。
特に大好きだったとかいうわけではなかった。ただ、イメージが合っている、ということだけで、その子は、わたしの、「運命の人」ということになってしまっていたのである。
わたしも、好きになった男の子はそれなりに数人ほどはいたけれど、その幼なじみは、いつだって、わたしのなかでは「別格」の扱いだった。
やがて「結婚」することが、きっと「運命」なわけだから、途中に、それぞれに好きな人がいたとしても、特に問題はない、ということだ。
中学校では、同じクラスになることがなく、わたしたちは疎遠になっていった。もう、すれ違っても挨拶も交わさなくなっていた。
ところが、受験の時期を迎えたある日、その子は、突然、わたしの通う塾に入って来たのだ。
「やぁ、よろしく。」
少し恥ずかしそうに、彼は言った。受験まであと二ヶ月くらいだった。帰りのバスが途中まで一緒だったので、そこから、また、わたしたちは、話をするようになっていった。楽しいときを過ごしたけれど、やがて、受験の少し前に、塾の最終講義は終わった。
最後の塾の夜、わたしたちは、
「お互い志望校に合格出来るように!」と誓って、手を振って、別れた。
「運命の人」なのだから、必ずまた会えるだろうとわたしはたかをくくっていた。
しかしながら、「運命」は、皮肉であった。その子は、試験の三日前から高熱を出して、体調が回復しないままに受験し、不合格になってしまったのだ。わたしは合格した。
合格発表の日、わたしたちの中学校は、合格者は午前、合格しなかった者は午後、に登校することになっていて、わたしたちは出会うことが出来なかったのだ。
自分だけが合格したことに気おくれして、わたしは、その子に連絡を取ることが出来なかった。そして高校時代は一度も会うことなく過ぎた。
大学生の時、一度だけ、偶然に会ったけれど、なんだか、もう、彼のイメージは変わっていて、到底わたしの「おおくにぬしのみことさま」には見えなかった。
幼稚園の頃から妄想していた、わたしの勝手な「おおくにぬしのみことさま」の物語は、こうしてあっけなく終わりを告げた。
幼なじみのその子は、最初から最後まで、何んにも知らない。そして、その子が「おおくにぬしのみことさま」らしくなくなってしまったことには、何の罪もない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?