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東京国立博物館 「近代の美術」

東京国立博物館 本館1階にある18室「近代の美術」では、日本画の名作が展示されていて、毎回楽しみにしております。

少し前ですが5月に訪問した際にこちらの2作品が並んで展示されてました。

松本楓湖の《牛若》と小林古径の《芥子》。

《牛若》松本楓湖|明治
《芥子》小林古径|大正10年(1921)
並ぶとこんな感じ(収まってないですが…)

 帰宅後に、そういえばこの二人の関連って…とググってみたら、松本楓湖の門下の今村紫紅らが発足した紅児会のメンバーが小林古径でした。そして、この時は今村紫紅の《熱国之巻》も展示されてました。

今まで深く考えずに見ていましたが、近代日本画の流れや作品テーマ、作家同士の関連付けなどを組み合わせ展示されているのだなーと改めて感じたしだいです。(あたりまえですが…)

次回行くときはその辺も気にして見てみよう…
と思ってから、展示替えされたこともあり本日トーハクに行って参りました。

今回はこちらの4作品が並んで展示。

右から柴田是真《瀑布》、河鍋暁斎《花鳥図》、荒木寛畝《雨中双鶏図》、横山大観《雨後》

こんな感じて並んで展示
《瀑布》柴田是真|明治7年(1874)
《花鳥図》河鍋暁斎|明治14年(1881)
雉に蛇が絡まって鷹と睨みあってます
《雨中双鶏図》荒木寛畝|明治26年(1893)
 《雨後》横山大観|大正8年(1919)


水墨の激しい滝から始まって、極彩色の花鳥図、雨をしのぐ鶏と小鳥、そして雨があがって、もの静かな景色を朦朧体て締める。そんな感じでしょうか?

生年を確認すると、柴田是真が1807年、河鍋暁斎と荒木寛畝が1831年、横山大観が1868年で年齢順に展示。

年が離れてますが柴田是真と河鍋暁斎は《鯉の滝登り》という合作がありました。(滝で瀑布と繋がってる?)

河鍋暁斎と荒木寛畝は同い年ではあるものの、経歴は全く別。wikiによると、暁斎は明治3年に筆禍事件で逮捕されたことも有る程の反骨精神の持ち主。

一方、寛畝は土佐藩主・山内容堂の目に止まり、土佐藩の御用絵師に。容堂の死後は洋画を学び元老院の命で明治天皇の御影を描くほど信頼されていた人物。

まさに正反対の存在。但し絵師としてはともに引けを取らない素晴らしい作品。

暁斎は岡倉天心とフェノロサに請われ、東京美術学校の教授を依頼されたが果たせずに明治22年に逝去。いっぽう寛畝は明治33年に橋本雅邦の後任として東京美術学校の教授に就任。

大観は寛畝の教授就任前に天心と共に東京美術学校の助教授を辞し、日本美術院創設に参加。その後、西洋画の画法を取り入れ「朦朧体」を確立。新派として日本画壇の重鎮として長らく君臨。

なるほど、調べてみると勉強になります。

という意味合い含めて、この4作品が展示されている、という事であってますでしょうか?と、担当学芸員さんに聞いてみたいなー、と思ったトーハク@近代日本画でございました。

そして入ってすぐの1番おっきなスペースに展示されていたのは、大河ドラマ「光る君へ」に合わせてでしょうか、一条天皇の中宮彰子の初産の様子をダイナミックに描いた、安田靫彦の《御産の祷(いのり)》。

《御産の祷》安田靫彦|大正3年(1914)

これからドラマで描かれるであろうシーン。
キャッチーなタイミングでの展示ですねー。お見事。


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