『夏の日のきらめき 清方一家の夏休み』 鏑木清方記念美術館
鎌倉にある鏑木清方記念美術館に行って参りました。
今まで行こう行こうと思っていたのですが、鎌倉ということで、なかなか足が伸びず…。思いきってグリーン車に乗って行ったらメチャクチャ快適で、あっという間に到着。
鎌倉駅から小町通りを真っ直っすぐ進み、10分くらい歩いて左折した閑静な場所にありました。
入館料はなんと300円。
しかも記念館で咲いた紫陽花の栞までいただいてしまいました。作品を見る前から嬉しい😆
入ってぱっと見、展示スペースの場所が分かりにくかったので入場口の警備員さんに質問。
正面の真っ直ぐ先が展示スペースで、引き出しの中にも作品があるのでそれも見てほしいこと、右手には清方の制作部屋が当時のイメージのまま再現されていることをご教示頂きました。凄く丁寧な説明でこれまた嬉しい😄
展示スペースでは、今回メインの《朝涼》だけでなく、清方一家&一門の夏休みを描いた絵日記、挿絵に下絵の数々。コンパクトな展示スペースながら見応え充分。
清方一家&一門には夏のしきたりがあったようで、毎年、皆で金沢(@神奈川)の別荘にひと月ほど滞在していたよう。
別荘までの道程から別荘地での出来事を小学生の絵日記のごとく記録。娘たちが、たくあんで蟹を釣ったとか、ほんと些細なことまでを描いていて微笑ましい。
警備員さんが教えてくれた引き出しの展示は初めて見ました。奥行きのある、おっきい箪笥のようなものなのですが、6段ほど引き出しがありまして、それを引き出すと下絵やデッサンの数々が間近で見られるのです!独り占め感もあり、これまた嬉しい😃
なかでも蜻蛉のデッサンが秀逸でした。
そして今回のメイン展示《朝涼》(あさすず)
第6回帝展出品作。こちらの作品は金沢の別荘で長女の清子と一緒に朝の散歩をしている姿を描いた作品。219☓83.5とサイズもおっきいです。
学芸員さんのギャラリートークにも参加したのですが、こちらの《朝涼》、下絵の段階では体の前で両手を重ねる構図だったようなのですが、清子さんのクセであった髪を触る姿に変えたようなのです。
それを聞いて清方が娘を想う気持ちが更に伝わってきました。
美術館内には図書スペースがありまして、目立つ場所に清方の孫である根本章雄さんの書籍がありました。
タイトルをメモるの忘れたのですが、たぶん『孫が語る 鏑木清方 その人その姿』。因みに市販はされていないようです。
孫煩悩の清方のエピソードが満載でついつい読み進めてしまいました。
根本さんは清方の次女・泰子さんの息子。清方には息子がいなかったのと、長女の清子には子供が、いなかったので幼少期から清方の著作権相続者として育てられたと。
特に叔母の清子さんからは清方の孫として恥ずかしくない振舞いをするように厳しく躾けられたとありました。
清方を画家として大成するように支え続けた妻の照(てる)が亡くなってからは、清子さんが清方の身の廻りの世話しながら支えていたようです。
そして清方が93歳で亡くなった翌年に、後を追うように清子さんも亡くなったとありました。
それを読んで、率直に心が震えました。
清方の代表作でもある《築地明石町》のモデルは江木ませ子氏ですが、顔以外の立ち姿のモデルは実は清子さんのようなのです。(これも今回学芸員さんに教えてもらいました)
ということは清方の代表作である《築地明石町》《朝涼》以外の作品でも実際のモデルは清子さんの作品が多数あるのでは?と。親子でありながら共同製作者に近い存在だったのかなと思ってしまいました。
もしそうであれば、親としてこれ以上の幸せはないよなー、と。
いっぽうで清子さんも自分がモデルとして描かれた美しい作品が、世に知られることに娘として幸せを感じていたのかなと感じました。
ギャラリートークでは、清方の制作部屋の解説もありました。
画面右端の小机は、清方の挿絵画家時代から使用していたもののようです。
弟子たちにとっても師匠の清方が、この小机で描いているのが印象に残っていたらしく、伊東深水が描いた清方像もこの小机越しの画になっているということでした。
そして、このあと清方の《墨田川舟遊》を見に東京国立近代美術館に向かったのですが、そこで伊東深水の描く《清方先生寿像》にもお目にかかることに…。
鎌倉にお越しの際は、是非、鏑木清方記念美術館にお越しくださいませ。いいところですよー。