田中一村展 奄美の光 魂の絵画 東京都美術館
『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』を見に東京都美術館に行って参りました。混んでました…。
田中一村は東山魁夷と藝大日本画科の同期だったのですね。ただ2ヶ月で退学しているので、どれだけ接点があったのか…。
ググってみたら2015年に千葉市美術館で二人の企画展が開催されていたようです。
田中一村は千葉市に1938年〜58年、東山魁夷は市川市に1945年〜99年(逝去)まで在住。
その間に魁夷は1947年の《残照》、50年の《道》で日本画壇での地位を確固たるものに。いっぽう一村は1947年の青龍社展で《白い花》が入選して以降は日展、院展含めて落選…。同期であった2人ですが戦後を境に明暗分けた人生を歩んでいたのですね。
本展覧会の「ごあいさつ」では、監修者でもある、千葉市美術館 副館長・松尾知子氏のコメントが掲載。
会場でもある東京都美術館の生い立ちと、田中一村の人生を重ね合わせ、まるで檄文かのよう。
「いつか東京で決着をつけたい」と語っていたと言われる田中一村。東京都美術館は決着の場として最も相応しい場所ということなのでしょう。
で本展覧会について…
若き日の南画や晩年の奄美での作品も素晴らしいのですが、個人的に最も良かったのは観音様を描いた作品でした。なんていいますか表情が柔らかく、それでいてシュッとしている。
例えるなら浅田真央ぽい雰囲気とでもいいましょうか。(そもそも真央ちゃんが菩薩顔ですが…)赤い蓮の上に白衣をまとった御姿が美しい。その後に展示されている十六羅漢図も表情豊かで見応えありました。
あと、琳派の傑作と言っても良さそうな《椿図屏風》。速水御舟の《名樹散椿》に負けないくらいの迫力。
千葉寺の春夏秋冬の風景は、どれも懐かしさを感じる作品。立ち止まってゆっくり鑑賞したくなる。特に冬の風景が秀逸。
最後の部屋では奄美時代の作品が正にメインディッシュの如く丁寧に展示。50歳を過ぎてから知り合いもいない新天地で、新たな画風で作品を描き続けられた原動力は何だったんでしょう。
独りで居ることで見えてくる、感じる風景があるということなのでしょうか。
そういえば、奈良さんもひとりでいることに対してポジティブに語っていたのを思い出しました。
南国・奄美の光を感じる作品を見ながら、孤独と創作の関係について考えてしまいました。寂しがり屋には分からん感覚でしょうね…。
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