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斯波遼三郎
2023年12月25日 17:50
京都市東山区に六波羅蜜寺とい真言宗智山派の寺院がある。951年に京都で疫病が流行し、空也上人が車に十一面観音像を乗せて京都市中を回って祈祷を行ったのち、現在の地にお堂を建て「西光寺」と称したことが始まりである。 空也上人の死後、跡を継いだ弟子の中信が「六波羅蜜寺」と改名して現在に至る。十一面観音像は本尊とし、国宝に指定されている。その他にも空也上人立像や伝平清盛坐像などの重要文化財に指定され
2023年12月20日 17:54
大分県別府市といえば温泉で有名であるが、別府八湯(べっぷはっとう)と呼ばれる温泉郷の中に鉄輪温泉と呼ばれる温泉がある。こちらの温泉は、いわゆる蒸し風呂で、地元の伝説では「一遍上人が鉄輪の地獄を鎮め、温泉療養の場として鉄輪を開いた」とされている。 この話はあくまで地元の言い伝えであり、根拠となる史料がない。唯一の手がかりとなるのは、一遍聖絵に一遍上人が太宰府にて師である聖達と再開した際、二人で
2023年12月16日 21:36
一遍上人は32歳から51歳まで遊行と呼ばれる行脚の旅に出ていたわけだが、そこで気になるのが費用についてである。これについては全くもってどうしていたかはわからない。しかし、時代は中世鎌倉期、僧と言うだけで各地で施しを受けていたのかも知れない。ただ、資金があったという可能性も捨て難い。 徒然草の中に、しろうるりという、仁和寺真乗院の盛親僧都がある法師につけた渾名の話がある。この法師は、師匠が亡く
2023年12月9日 18:24
一遍上人とは、どんな人物だったのか?こういったことをいくら考えても、本人の性格を読み取れるような史料は残されていない。 歌も残っているが、それからは真面目な人柄以外の人物像がなかなか浮かび上がってこない。もっと言ってしまえば、歌のような史料というのは、だいたい真面目な感じになっているし、自分を良く見せようとするツールなので、人物像に迫ることはできない。 私は、一遍聖絵に残されている踊り念
2023年12月1日 17:42
丹後を遊行していた一遍上人はある干ばつに苦しむ村に到着した。見かねた一遍上人が念仏を唱えたところ、海から大きな龍が現れ、雨を降らして村を救ったという話が「一遍聖絵」に描かれている。 鎌倉期に新仏教の宗祖となる僧が6人出たが、そのような伝説が残されているのは一遍上人だけである。これは一体何を意味するのだろうか。龍にどのような意味があるのだろう。日本におけるワニ 私は龍について調べてみた