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生粋のマイルス・デイヴィス信者。 サイケな/ファンキーな/ノイジーな/ノスタルジックな…

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生粋のマイルス・デイヴィス信者。 サイケな/ファンキーな/ノイジーな/ノスタルジックな/ジャジーな音楽・文化が好きです。民俗学・宗教学も嗜みます。

最近の記事

ブートレグを集めるべきではない3つの理由

ブートレグは集めるべきではない。 決して何があっても「公式では未発表のレアトラック!」などという甘い文句に飛びついてはいけない。 一度飛びついてしまえばそれが最後、底なし沼、借金地獄、自己破産、自殺未遂、一家離散、ホームレスの六重苦...。 後ろ五つが誇張表現であることは良識のある方であればお分かりとして、実際ブート収集は苦行にも等しい行為なのである。 ここで知らない方のために補足しておくが、ここで言う「ブートレグ」とは、所謂「海賊版」とは厳密に異なる。 「どっちも著作権法を

    • 1953年と1974年のアット・マッセイ・ホール――チャーリー・パーカーとマイルス・デイヴィス

      1953年のアット・マッセイ・ホール 突然であるが、『Jazz at Massey Hall』という一枚はご存じだろうか。 少しでもモダンジャズのアルバムに触れた経験がある人であれば、恐らく、というか殆ど間違いなく聞き馴染のある作品であると思う。 なぜならばこれ、面子がとてつもなく凄いからだ。まずトランペットにディジー・ガレスピー、サックスにはチャーリー・チャンことチャーリー・パーカー、ピアノにはバド・パウエルで、ベースにはチャールズ・ミンガス、ドラムにはマックス・ローチと

      • 何にも成り切れていない"1968年"のマイルス・デイヴィスが好きだ

        長い活動歴を持つアーティストのディスコグラフィーにおいて、「迷い」を感じさせる時期が一切ない...なんていうことは恐らくほとんどないのではないか。僕たちの人生が、まるで教養小説が説くような容易い進化・深化へと結びつかないのと同じように、ミュージシャンの世界にも微睡の時代は必ず存在しうるのではないかと思う。 そういう状態を停滞と呼ぶか、過渡期と呼ぶか、その人の立つ位置によって大いに左右されるだろう。試行錯誤の末、自らの音を確立させたミュージシャンにとっては消したい過去であること

        • 電化マイルス版"On Green Dolphin Street"を聴く

          多くのファンが知っている通り、マイルス・デイヴィスは進化し続けた。彼が生前・死後発表した70枚余りの作品たちに聴き浸っていると、ふと「本当にこれ全部同じ人の作品?」という気持ちに駆られる。その驚きはマイルス者に限った話ではない。これからマイルスに入らんとする人は普く体験することになるのではないか。 しかし実際問題彼は、進化し続ける以上に「過去を踏まえた上で未来へと進む」、意外なくらい慎重な側面を併せ持っていた。 「オレは双子座の生まれだ」というのは本人の言、そして件の側面はス

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        • 1953年と1974年のアット・マッセイ・ホール――チャーリー・パーカーとマイルス・デイヴィス

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          Weather Reportが真にヤバかったのは”1973年“だ!!

          はい。 タイトルでほとんど言い尽くしている感もあるが、「人にものを伝えるときは簡潔な方が良い」と職業訓練センターでも学んだのでこう書いた。 皆さんご存じ(ですよね?)”Weather Report“(以下、”WR“)。知らない人のために補足しておくと、ウィーン出身の怪人ジョー・ザヴィヌル、宇宙にUFOに南無妙法蓮華経に何でもござれな変態ウェイン・ショーター、彗星のように現れベース奏法に幾多の革命を起こした狂気の大天才ジャコ・パストリアスたちが在籍した、ジャズ・フュージョン界の

          Weather Reportが真にヤバかったのは”1973年“だ!!

          1969年10月31日ウィーンのマイルス・デイヴィスを聴く

          マイルスが1969年に率いた五重奏が”Lost Quintet(失われた五重奏)“と呼称されている事実は、今この記事を読んでいる殆どの人にとっては知れていることであろう。言わずもがな、スタジオはおろか公式録音が一切なされなかったことからこの呼び名が付いている。これもまたどこかで記述したことの繰り返しになるが、このロスト・クインテットが名実ともに「失われた五重奏」であったのは、少なくとも四半世紀以上前。現在では各国のFM音源が多数発掘され、「失われた五重奏」であったのも今は昔…

          1969年10月31日ウィーンのマイルス・デイヴィスを聴く

          1972年9月29日NYのマイルス・デイヴィスを聴く(In Concert)

          今のところ毎週投稿できているこのマイルス・デイヴィスのライブレビュー。一体モチベーションがどのくらい維持できるか分からないが、飽きが来るまで続けたいと思っている。さて、これまで73年→70年→と気まぐれな時系列で続けてきたが、今回、これまた違った趣向の音楽について語ることになると思う。 68年に始まり、75年でいったん幕引きする「エレクトリック・マイルス」の時代。幼児が母親の腹から生まれて小学校に入学するまでのたった7年間、マイルスの音楽はそれこそ「電化マイルス」という一語で

          1972年9月29日NYのマイルス・デイヴィスを聴く(In Concert)

          1970年4月9日フィルモア・ウェストのマイルスを聴く

          1970年4月、マイルスたちはロックの殿堂、フィルモア・ウェストへの出演を果たす。「果たす」という表現が、この当時すでに大御所であったマイルスに相応しい物であるかどうかは置いておくとして、畑違いの(それもヒッピー目線からすれば黴の生えたジャズの!)巨匠が態々俗界に身を窶しに来たというのだから驚きだったであろう。 もっともこれは当時コロンビアの社長を務めていたクライヴ・デイビスの狙い。ロックと比べても熱気の点では全く見劣りしないマイルスの音楽を、もっと広い世代に(もっと言えば同

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          1973年6月19日のマイルスを聴く

          ブートをさらにブート化したコピー合戦に、新規音源発掘と謳っておきながら実際は既発音源の別ソースといった殆ど詐欺に等しい商売まで、ブートの世界は「出したもん勝ち」的な言い訳がまかり通っている。しかしながらそんな玉石混淆を見分けるのが困難な世界においてさえも「名盤」と呼ぶべき作品は存在するのは確かだ。 例えばビートルズであれば『ULTRA RARE TRAX』、ローリング・ストーンズでは『Nasty Music』などがある一定の世代から懐古の念をもって受け入れられている。これらが

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          【マイルス・デイヴィス考古学】『Agharta』 Preludeの謎

          マイルス・デイヴィスという音楽家の変遷をたどっていくことは、時に考古学にも近しい。それは「語られぬこと」を注意深く手に取ってみていくこと、考古学者が遺構で見つかった壺や断章的な作品に対して一つ一つストーリーを与えていくのと同じ作業なのではないかと思うのである。マイルスはその生涯において決して「語らぬこと」を善美としていた。語らぬこととは、彼がしばしば評された”Cool“の表現と一致する。この彼特有のスタイル・モードは、自己を曝け出したいという露出癖的な願望と、他人に理解され他

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          Amazonから始められるマイルス・デイヴィス・ブートレグ入門

          どこの誰が言い出したのやら、「まずはオフィシャル、次いでブートレグ」という風潮があった。公式盤を集めたのちに、それでも満足できない場合はブートレグを集めようというのである。これは確かに間違いないと思う。大手のレコード業者がリリースし、販路などもきちんと整備されているオフィシャルと、西新宿のせせこましいレコード屋で目を見張ってお目当ての品を探し、そうした苦労の末にやっと手に入れた品物が音質劣悪のガッカリものだったりするブートレグとでは、あまりに易しさの点で差がある。 あるいは倫

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