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1953年と1974年のアット・マッセイ・ホール――チャーリー・パーカーとマイルス・デイヴィス

1953年のアット・マッセイ・ホール

『Jazz at Massey Hall』

突然であるが、『Jazz at Massey Hall』という一枚はご存じだろうか。
少しでもモダンジャズのアルバムに触れた経験がある人であれば、恐らく、というか殆ど間違いなく聞き馴染のある作品であると思う。
なぜならばこれ、面子がとてつもなく凄いからだ。まずトランペットにディジー・ガレスピー、サックスにはチャーリー・チャンことチャーリー・パーカー、ピアノにはバド・パウエルで、ベースにはチャールズ・ミンガス、ドラムにはマックス・ローチというパーソネルである。
ジャズの歴史を少しでも知っている人であれば、この人事が如何に凄いのかそれはもう十分すぎるくらい分かっていただけると思う。
ここに参加している演奏家たちは、全員が全員ジャズの歴史に殿堂を築いた巨匠たちである……ということは今更何度も繰り返さない。
さらにこの作品で面白いのが、「逸話」の面である。確かにモダンジャズの作品には無数の神話が存在する。それはたとえば『Bags Groove』においてマイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクが繰り広げたという「喧嘩セッション」などは、その噂の真偽を問わず、広くジャズマニア間において受け入れられている。なぜマイルスが頑なに否定しているにもかかわらず、ジャズマニアたちはその噂を受け入れるのか。それは十数年来語り継がれてきたまさに伝統であり、「神話」であるからだ。如何に現実との認識で齟齬が生じようが、受け入れたいものというのは常々存在するものである。
しかしながら、マッセイ・ホールの場合、その滑稽な噂の大半が真実であると思われるのであるから猶更滑稽だ。なぜチャーリー・パーカーがアール・デア・ビガーズのミステリー小説に登場する中国人探偵”チャーリー・チャン“としてクレジットされているのか――レコード会社との契約問題があったため、妻のチャン・ウッズから名前を拝借している――、あるいは質屋にサックスを売り払ってしまったがためにオーネット・コールマンと同じグラフトン・サックスを使用していたりと話題はとことん尽きない。
その他、《All the Things You Are》ではフランク・ザッパやテオ・マセロに先駆けること十数年近く、明らかにオーバーダビングが施されているなど、本作の逸話には後世の評判の高さに反して、あんまりなエピソードがあまりにも多い。終いには同日には"ジャーシー"・ジョー・ウォルコットとロッキー・マルシアーノの歴史的試合が繰り広げられたために客席はガラガラ、プロモーターは長らく参加したメンバーたちに給与を支払う事が出来なかったというエピソードまで付いている。
全てが雑さに包まれている本作、一方で「これがジャズだ!」と言えばそう言えなくもないおおらかさに包まれているのも間違いない。タモリの「ジャズっていう音楽があるんじゃなくて、『ジャズな人』がいるだけ」という発言がある。その日の麻薬のために自分の武器(=サックス)を売り払い、その日の金のためにレコード会社との約束もフイにする、向上心などまるであったもんじゃないチャーリー・パーカーが吹き込んだこの作品も、実に「ジャズな人」の雰囲気に溢れていると思う。

1974年のアット・マッセイ・ホール

『at Massey Hall 1974』(So What)

さて、今回取り扱うのは上記の録音から21年後、1974年のマッセイ・ホールである。1953年から1974年、長いような短いような21年という年月の経過も、ジャズの歴史にとって革新が起きるのには十分すぎる年月であった。まず、周知の事実としてチャーリー・パーカーとバド・パウエルは既にこの世を去っている。
それだけではなく、多くの技術革新と、新たなポップスの台頭がこの20年の間で起きたのである。言わずもがな、ビートルズやレッド・ツェッペリンといったロック勢、ジェームス・ブラウンやモータウン等々、これらは精神の自由と解放を訴えた時代の潮流に上手く乗り、これまでと比較にならない莫大なセールスを記録するに至った。ジャズはいまや王座を譲り、ミュージシャンたちは各々独自の道を模索する……というのが60年代後期と70年代初頭の出来事であった。
後世のリスナーからすると、ジャズミュージシャンの反応は大きく二分されていたと思う。「ジャズはジャズで良い!」としてこれまで通りの演奏を繰り広げ、ニッチな需要を満たす派と、「もっと大きく外に打って出ていかなければ!」として”クロスオーヴァー“に可能性を見出す派閥である。ご存じの通り、マイルスは後者の道を選んだ。その甲斐もあってか1970年作『Bitches Brew』はその音楽性の難解さにもかかわらず、セールスはゴールド・ディスクに達するなど好成績を記録した。本作はこれまでフリー派に加担しなかったことから、ともすると保守派とも見做されがちであったマイルスの、ジャズファンからの見方を根底から変えてしまった。さらに曲がりなりにも従来クール・ハードバップ・モードと、ジャズの変革に関わってきたマイルスがロックやファンクに接近したとなっては、これまで「よそはよそ、うちはうち!」が通用していたジャズファンにとって、いよいよ残酷な現実を突きつけられたようなものだったと思う。そのような賛・否の渦の中にあって、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演時凄まじい大騒ぎを持って迎えられたように、結果的には高い評価を得ることとなった。
しかしその先の、『On The Corner』以降のマイルスは、セールス的には決してふるわなかった。いや、「ふるわなかった」というのは過小に評価しすぎている。事実を踏まえると、「悲惨」ともいえるくらいであった。
現代音楽とファンクの融合を果たし、若い黒人層でのウケを狙った『On The Corner』であるが、結果的には賛・否よりも酷い、無視という結果で終わった。また1973年には『Head Hunters』、1975年には『Tale Spinnin'』など、かつての門下生たちが続々と成功を収めたことが彼のプライドを刺激した。このようなレコードビジネス上での失敗と、鎌状赤血球症による耐え難い身体上の苦痛がマイルスを苛んだのである。
1974年に話を戻すと、この年はマイルスにとって最も厳しい一年となった。多忙なツアーをこなしつつも、身体的苦痛は深刻の度合いを一層深め、真剣に音楽業界引退を考える程であったという。
本稿で取り上げる1974年のマッセイ・ホールとは、かくも厳しい状況下で(観客によってこっそり)録音されたのである。反面、前年より始動したアル・フォスターによるドラムス、ピート・コージー&レジー・ルーカスによるツインギター、いわゆる「アガパン」バンドの音楽的な完成度は着実に高まりを見せていた。
怪我の功名というべきか、過酷なツアーを熟すことによって一人二人の成長に留まらない、全体的な練度の高さを手にするに至っている。爆音すぎて互いの音が聴こえない...というような状態に陥るまでもなく、右が出れば左も出る、左が引っ込めば右も引っ込む...という阿吽の呼吸がここに来て完成していたと思う。
そんな調子で74年マッセイホール、53年のそれと聴き比べれば、違いは一目瞭然。
21年という時の長さを十分に感じさせるものになっているだろう。

personnel
Miles Davis (trumpet,organ)
Dave Liebman (tenor sax,soprano sax,flute)
Michael Henderson (electric bass)
Al Foster (drums)
Reggie Lucas (guitar)
Pete Cosey (guitar,percussion)
James Mtume Forman (percussion)

① Turnaroundphrase

アガパンバンドの一曲目といったらこの曲、《Turnaroundphrase》である。レジーの演奏はいつも以上に重ったるく、カッティング一刻みごとに伸し掛かってくる。そう、73年から75年までのアガパンバンドの大きな違いは「レジーの刻み様」にあるのだ。バンドの演奏に追いつくのにも必死で、愚直に刻むことしかできなかった73年6月と比べると、ここでの演奏は明らかに成長が見られる。もっとも、その傾向は早くとも73年10月の時点で見られてはいたが、それにしたってこの成長はスゴい。
それだけではない、レジーに煽られてか、この日は全員のプレイがこれ以上ないくらいにへヴィーなものとなっている。マイルスの身体中から音を振り絞っているかのような6分間のソロが終わると、デイヴ・リーヴマンが続いて出てくる。この時点でフォーマットは限りなくパターン化されていたと思うが、しかしリーブマン、相変わらずマイルスにもコージーにも食ってかかるような技で魅せる。この技巧と熱さは、後続のソニー・フォーチュンもサム・モリソンであっても決して持ち得なかったものだと思う。

② Tune in 5

アガパンバンドの最大の魅力は、その強迫的なまでのグルーヴ感である。「強迫的」というのは正しく比喩表現などではなく、実際にマイルス本人が強迫的な状態であったからこそ創造できた音楽だと僕は思っている。
そんな強迫観念極まる74年アット・マッセイホール、《Tune in 5》でも存分に発揮されているだろう。マイルスの文字通り魂を削っているかのようなトランペットには、如何に消えかけて貧弱であろうとも涙を禁じ得ない。
18分後半ひとしきり爆発し終えた後の彼のソロからは、まるでお経を聴いているかのような安らぎが得られる。続く楽曲はスロウパートであるが、ここ十数分間を聴いたからには聴き逃せない。

③ Zimbabwe

《Turnaroundphrase》、《Tune in 5》と来て続くスロウパートに《Zimbabwe》という選曲は珍しい...ように感じる。フツーは《Ife》が来るパターンが多いように感じるが、実際問題どちらのパターンも珍しくはなかったようだ。そもそも《Zimbabwe》が公式初登場した『Pangaea』の時点でも、この曲順であったため単なる気の所為だと思われる。
さて、肝心のアット・マッセイホール。前曲と打って変わってレジーが大人しいため、エムトゥーメのコンガが非常に際立つ。マイルスの裏でしっかりとポコポコ叩きながら煽る...この曲の主役はひょっとするとエムトゥーメであるといえないか。
もっとも、そんなことが言えるのもリーブマンが出てくるまで。さらにコージーも出てくると、再びドッカン爆発する。31分から繰り広げられる〆のコージーは壮絶ったら壮絶。

④ Right Off

コージーの壮絶なソロから休む暇もなく、そのままの勢いでアルのドラムパターンがチェンジする。そう、《Right Off》だ。
マイケルとレジーの強烈な刻み、更にはコージーも出てくると来てはもう凄すぎる。やるっきゃない、行くっきゃないな凄まじい爆発っぷり。ワー・ワーペダルを踏んだコージーはそれはもう壮絶に「ジミヘン」する。間違いなくここ一番の見所。

⑤ Funk

マイルスが強引に割って入って始まるこのセクション、後に単独の楽曲として成立することとなる《Funk》。もっとも「後に」というだけあって、この段階では《Right Off》のインプロの一部にすぎない。このフォーマットはまだ73年時を継承している。
1stセット最後の10分間はマイルスを中心に繰り広げられる強烈なオルギア(狂宴)。リーヴマンも、アルも、エムトゥーメもその全員がまるで酩酊したかのような騒ぎっぷり。楽器の聴き分けが困難な音の悪さも相まって、バンド全員が束になって襲いかかってくる強烈さがある。
ここで他の誰よりも皆を引っ張っているのは間違いなくマイルス。コージーがソロを弾こうが、決して易々と引っ込まない。この日のマイルス、ちょっと異常なくらいだ。

⑥ Ife

三曲目に登場しなかった《Ife》は2ndセットの一曲目に登用されている。
エムトゥーメのリズムマシンが不穏に煽り立て、リーブマンがフルートで動き回る。「ピコピコピコワシワシワシ」といったノイズにも近しい音を撒き散らすリズムマシン、73年にヤマハより提供されて以来、そこそこ活用されてきたが、まさかヤマハもこんな使われ方をするとは予想だにしていなかったことだろう。
演奏はリーブマン、コージーとソロを次々と交代し、徐々に熱気を増していく。そこでもやはり良くも悪くも目立っているのがエムトゥーメ。ソリストが張り切っている傍ら、「音量では負けられん!」と「ピコピコピコワシワシワシ」で張り合う。ギター×2にトランペットにサックスと、普段音量面ではやや分が悪いエムトゥーメのパーカッション。リズムマシンを手にしたことで、馬鹿でかい音を出す事にかけては右に出る者がいないソリストたちに渡り合えるようになっている。1時間1分以降、実質彼のソロといっても差し支えがないような時間が豪華に与えられている。

⑦ For Dave

マイルスのオルガンが次の展開を怪しく示唆し、デイヴ・リーブマンに捧げられた《For Dave》が幕を開ける。1時間5分頃、マイルスとリーブマンを遮るかのように鳴っているノイズはコージーのシンセサイザーか?ここまでノイズ極まると、観客の拍手と似たようなものである(実際そうなのかもしれないが)。
自らの名前が題された楽曲というだけあって、前半の主役はやっぱりリーブマン。彼の演奏はファジーでいながら、それでいて知的で音楽主義的。ここら辺がトリスターノから学び、今現在教育者として活躍している所以か。
惜しむらくはリーブ21を必要とする絶壁頭...と冗談はさておき、その後の演奏も中々にスゴい。この記事だけでは到底書ききれないが、ともあれ熱気は十分である。

⑩ Calypso Frelimo

「カリプソ」なのかはよく分からないが、「フレリーモ」(モザンビークの左派政党)には不思議な納得感があることでお馴染み、《Calypso Frelimo》である。いやはやマイルスのネーミングセンスには脱帽させられる。
この日も普段のライブバージョンのフォーマットに則り、マイルスのオルガンから始まる。リーブマンがドッカンするところも普段通り。
そこから若干テンポがスロウになってからのコージーのソロは非常にブルージー。今日は好調なマイルス、いつも通りなリーブマンとコージー、三者三様のインプロが楽しい。
最後の爆発が訪れる1時間31分、マイルスはヤケクソ気味にオルガンを抑えまくる。ここまで聴いた感想としては何ですが、これ、当時の観客は理解できたんだろうか。

総評

入門度 ★★★☆☆
音質が良くないため、最初の一枚には明らかに適さない。しかしパフォーマンスの完成度は高い為、ある程度ブートに慣れ親しんだ方には推奨できる。
テンション ★★★★★
テンションはかなり高い。73年、74年、75年の中でもここまでの熱気は珍しい。
音質 ★★☆☆☆
全体的に籠り気味で、一つ一つの楽器の音像が捉えにくい。バランスは良好なので、オーディエンス物に慣れ親しんだ方には推奨できる。
パーソネル ★★★★☆
パターン化している面もあるが、同じパーソネルでも73年時とは比べ物にならないほど練度が上がっている。
レア度 ★★★☆☆
公式発表に恵まれてはいないものの、このパーソネル自体は決して珍しいものではない。ただしビバップの名盤が残されたマッセイホールでのライブとあって価値は高い。

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