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キタダヒロヒコ詩歌集 131 夜行列車十首 その①



 昭和最末期の大学生だったわたしが、当時書いた連作です。
 時代性を感じる表現がところどころにありますが、いまとなれば貴重な記録かもしれません。上京の目的など、どういうこと?と読者が思われるであろう箇所もそのままにしてあります。ぜひコメント等でご質問ください。では、一夜の旅の記録にお付き合いください。

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 昭和61年7月10日夜から翌11日早朝にかけ、靖国神社における社頭奉仕のために東京へと向かうべく、僕は4人の友とともに暫時車中の人となった。以下の十首はその際の小さなメモ帳から抄録したものだ。文中の時刻は当時のダイヤによるが、この時刻は61年11月旧国鉄最後のダイヤ改正により変更、現在のJRでは当時よりも約1時間も短い所要時間でこの大垣発東京行普通(途中より快速)列車を運行している。僕たちの乗ったこの夜行列車はかくして完全に記憶の中の存在となった訳だ――。


1 静岡は菊川の駅に立ちゐたる落合式茶摘機の看板


 大垣発東京行340М普通列車は21時42分に名古屋駅に入線する。夏の帰省ラッシュにはまだ早いこの時期なら、東京までの7時間を車中で過ごすのも比較的楽。少しの窮屈を我慢すればシートに横たわることも可能だが、これが8月中旬の帰省ラッシュ時であればたちまち、最低2時間前にはホームに並ばぬことには座席を確保しにくい事態となる(僕などは一度、30分前にホームに入ったために車内の洗面所で7時間を過ごす羽目になった)。幸いにして時節に恵まれた僕らはゆうゆうと座席に就き、2分後に名古屋を出発したのだった。

 静岡までこの列車は「鈍行」。熱田、笠寺、大高、共和と過ぎ岡崎あたりまでは残業や呑み帰りのサラリーマンらしい連れ合いの姿が目立つ。が、岡崎を出るころからそうした空気も薄らぎ、22時55分豊橋を出るときは完全に長旅らしき乗客のみとなる。次の二川を23時04分に発車すれば県境。静岡県を東へ、歌中の菊川駅に着くころは既に日付が変わっている。旅のさなかの夜は不思議だ。自分たちを取り囲むものことごとく全てが有情――駅の片隅に立て掛けられた何の変哲も無い茶摘機の看板までが。


2 零時の夜風に火照りし頬を冷やしゐて車窓飛び去る慕情(びじょん)を数ふ


 0時13分菊川を出ると、22分金谷、27分島田、31分六合、35分藤枝……多分このあたりで詠んだ歌。開け放たれた窓から見るものは闇の中の点々と僅かな灯。そういう時間を列車は往く。そうした灯りが次々と飛び過ぎては夜風をこちらへ送ってくる。車内にいまだ誰も眠ってはいない。刻々飛び去るものを数えているような、あるいは何もかもが意識の外に抜け出たような顔で誰もが夜風を受けているのみ。

                         (その➁へ続く)






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