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光と影

人は自分自身が光であることを求めます。
「いつも輝かしい自分で居たい。」
「誰かに誇れる自分でありたい。」
「苦手なことは隠したい。」
「上手くやり過ごしたい。」
自ら(みずから)の失敗を許さず、成功ばかりを望み、その完璧なビジョンを描く自分を称賛したがります。
自分の意志で、弱く脆い自身の姿を拒否します。
けれども、光があれば必ず影があります。
影は光がなければ存在しませんが、光もまた、影や闇によって支えられるものなのです。

ユング心理学で、自分の苦手なことや回避していたことを「影(Shadow)」と呼びます。
影への畏怖や礼節を忘れれば、その人全体のバランスは崩れて行きます。
トラブルや災難を「負」の体験としてばかり捉え、『運が悪い』『上手く行かない』と嘆き、影に適切な居場所を与えなければ、自分の影はいずれ復讐の形で迫り寄って来るのです。
「私を見てよ」
「なかったことにしないで」
哀しみは、やがて怒りに変わります。
哀しみは、誰かが触れて掬い上げなければ膨張して行きます。
身体と心の奥底で膨張し続けた哀しみや傷は、まるでブラックホールのように、手に負えない深い深い漆黒の影になります。
膨張する間も、影は私達に合図を送ります。
「早く気付いてよ」
その合図は、宇宙空間にまで達し、世の中とも不調和を起こし始めます。
トラブルや災難は、気付かれるまで形を変えて何度も繰り返されます。

そうして膨張した影の沼に浸かっている時、そこに光は当たりません。
光が届かなければ、人は絶望し思考を止めてしまいます。
意固地になり、徹底的に強くあろうと影を無視します。
ああ、何と言う悪循環。

さて、実際に生きて来た人生は光、実際に生きなかった人生の半面は影に相当するとされます。
人の感情には波や歪みがありますし、宇宙の調和も人も絶えず動いていますから、苦しみの最中にいても、人の中で光と影を統合すべき時はやがて訪れます。
これまで避けて来た影が、心の扉をコンコンとノックするその時、まさに影を受け入れる準備が整った証でもあります。
しかし、本当の自分と向き合うことは、これまでの自分を否定することにも繋がります。
新しい思考や新しい行動は、脳の回路を新たに構築しなければならず脳にも大きなストレスが掛かるからです。
それなりの覚悟と体力が要りますから、「対話」や「対峙」なんて生易しい言葉では表現出来ない程に痛みを伴い、「対決」と呼ぶことが相応しいような展開になることもあるでしょう。

けれども、影の中にこそ成長の種が潜んでいることを忘れてはいけません。
自分の中で乗り越えられる力がついた時、余力が生まれた時に影は訪れ、その種の存在に自ずと(おのずと)気が付かせてくれます。
その時は、意思があろうがなかろうが、自然な形でサインを受け取ります。
自分が自分自身に立ち向かえるようになったその瞬間、光と影がようやく出会うのです。
長い人生の中で形を変え何度も訪れる奇跡的な瞬間をポジティブに受け止め、母のような光で優しく包み込むことで、深く漆黒の沼だった影も光に取り込まれます。
自分の弱さをありのまま受け入れ、影を大切に扱い認める経験を経てこそ、また自分の方向性を定めて次のステージに上がることが出来るのです。


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