やりたいこと/役割/個人の利益/全体利益
生き甲斐とか働き甲斐とか幸福感とか、日本人は世界レベルでは低いらしいですが、昔はどうだったのか、イマイチ覚えていません。
昔から、そんなに幸福感の高い国民じゃなかったような気もします。
日本人は、海外の人に比べたら個人主義ではないと思えるのですが、かといって社会について考えているかというと、考えていないように見えます。
政治への関心は、僕が若者だった1980年代は、極めて希薄でした。
若者だけじゃなく成人もあまり政治に関心を持っていませんでした。
それに比べると今は、かなり進歩したと思います。やはりインターネットやSNSの力は大きいと思います。
海外の10代の学生へのインタビューがテレビで流れたりすると「随分しっかりしたことを言うなあ」と思ことがしばしばあります。日本人は、楽しいとか辛いとか気持ちいいとかの個人的感情はうまく表現するけど、社会性のあるコメントが出来る人が少ないかも。
それでも最近の大学生とかの発言を見ていると、かなり冷静客観的に物事を捉えてコメントしているなと感心することもあります。
まだまだ発展途上ですね。
「やりたいこと」と「自分」に傾倒する傾向
SNSを見る限り、今は「やりたいこと」や「自分」について言い過ぎな感があります。
どんなことよりも、まず自分とその生活が大事、と思うからそうなるんでしょうが、それはおそらく社会に依存しても良いことが無いと思っているからなのかもしれませんね。
社会を見る目を養う
「社会」と言ってもいろんな社会があります。
まんべんなく日本社会全体を見渡せる人なんてまずいないし、政治家でも同様だと思います。
SNSは「社会ネットワーク」なのですが、もっと正確に言うと「〇〇の社会ネットワーク」なんです。
特定の価値観や、考え方や、趣味や、推しが集まった社会の、それぞれを指しているのですね。だから自分が所属している社会(見ているSNS・コミュニティ)は、いずれかの社会なんです。
たまには、自分がやっているSNSで本当にいいのかな?と考えることも大事です。Twitter とか LINE とかいうシステム的な捉え方ではなくて「誰をフォローしているか」「誰からフォローされているか」「何を発信しているか」「何にいいねをしているか」「自分はどんなアカウントなのか」ということを立ち止まって考えて、場合によっては見直していくことも必要なのではないでしょうか。
そうすることが、社会というのを客観的に見たり、社会の面白さを発見していくことにつながるのではないでしょうか。
自分の考えだけで所属する社会を決めて微動だにしないのは、かなりお年を召した年配者がやることであって、若い人は、自分の意見に絶えず疑問を投げかけて改善していくことが大事だと思います。
なんでも関われば面白くなる
仕事でも趣味でもゲームでも旅行でもそうだと思うけど、やってみたらその面白さに気づくことって多いと思います。
それに、自分にとって面白いかどうかは、自分にしか分からないんですよね。周りの多くの人が言っているからといって、その通り良いと思えるかどうか分かりません。
もしかしたら、みんなが「だめだ」「つまんねー」と言っていることが無性に面白く感じるかもしれないんですよ。
社会とは対峙しない
「社会と自分」という風に、あまり対峙的に考えない方がいいと思います。
自分の家族は社会の最小単位だと言われますが、その延長上に地域やSNSでのつながりがあるし、友達もあるし、社会とは決して対峙すべきものではなくて、自分の世界の「拡張」なんです。
極端に言うと「社会の中で誰かがしたことは自分にも影響がある」と思えるかどうか。蜘蛛の巣の真ん中に自分(蜘蛛)がいて、端っこの方で何かが動いていたら気づくのと似ています。
「全部つながっている」という感覚を持てば、もう少し社会に向けて何をすれば良いか、自分はその中でどうあれば良いかが、自然に見えてくると思います。
全くの個人的な主張より、社会との関係性を持った主張の方が、多くの人に共有されやすいし、最終的にはやりがいや幸福感につながっていくのではないでしょうか。
自分の考えに閉じこもらないで、積極的に周囲に声を広げていくことをしてみたらどうでしょうか。
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